古いコンピューターから新しいコンピューターへ全ての情報を引っ越しするためにコンピューターをPC Depot という店に3日間出しました。
コンピューターの置いてあった机の上はガランとした空間があり、家の中からコンピューターが無い生活が始まりました。
テレビや電話がありますが、とたんに原始生活に戻ったようです。
そして何か大きなものを失ったような喪失感に襲われました。
ブログや趣味人倶楽部やFace BookやBYOOLというSNSを通しておつきあいのあった全ての方々とのご縁が切れてしまったのです。
感動的な出会いがありました。心温まるコメントも沢山頂きました。
それは私にとってかけがえの無い大切なものでした。親しくなった方々ともう連絡のしようもありません。暗い気持ちになりました。
時々、自然にコンピューターの置いてあった机のそばに行きます。そこには明るく窓の光が射し込む空間があるばかりです。
そのうち昔の江戸時代の人々はコンピューターもテレビも電話も無くても幸せに暮らしていたことに気がつきました。
もっと昔に遡ればお釈迦さまやイエスさまが生きていたころは現在のように便利は電化製品など一切無かったのです。
それにもかかわらず2000年以上もすたれない永遠の言葉の数々を残してくれたのです。
そんなことを考えたら気分が明るくなりました。
コンピューターが家の中から消えてしまって得た貴重なものは人間の幸せは便利なものが有っても無くても心の持ち方しだいだということに確信が持てたことです。
そして今までコンピューターの前に座っていた時間が自由に使えるようになりました。読書が出来るようになりました。
そこでいろいろな本を読みましたが一番感動した本は片岡佳哉著、「ブルーウオーター・ストリー」でした。ブルーウオーター24という全長7.メートルとおい小さなヨットで南極大陸まで単独帆走したときの記録です。氷山の流れる南極の海は低気圧が続々とやって来て海は大荒れの毎日です。世界のどの海域にも見られない強風が吹き氷山を押し流します。
わずかに風のおさまった沖に出て氷山を縫うようにして進んで行きます。青く光る南極の島々はこの世のものと思えない絶景を見せています。しかしまた嵐が襲って来ます。
何度も逃げ帰りたいと思います。気持ちが折れ、荒れた海の恐怖が勇気を砕きます。
南米の南端から危険な海として有名なドレーク海峡を1ケ月もかけてやっと遥々南極大陸に辿り着いたのです。しかし南極は秋も終わり海は氷り始めています。無事生還は無理と思いイギリス基地へ冬の間だけ働くことをお願いします。鄭重に断られます。もう一度勇気を奮い起して帰路につき、命からがらアメリカ基地まで戻ります。イギリス基地から連絡のあったアメリカ基地の人々が大歓迎してくれます。そこで勇気づけられ南米ままで帰ります。そこからは喜望峰を回りインド洋を横断しオーストラリアまで行きます。地球を一周して日本に帰って来たのです。
私もヨットを25年間趣味にしていました。穏やかな海や湖でのんびりしたセイリングを楽しんできました。しかし片岡佳哉さんの本を読み恥ずかしくなりました。私のヨットの趣味は井之頭公園の池でボートを漕いで遊ぶように安全で気軽なセイリングだったのです。
読後に片岡佳哉さんのHPを見つけました。URLはhttp://aomi-sailing.com/です。以下にこmのHPからお借りした写真と文章の一部をご紹介いたします。お楽しみ下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
・・・・・ メルキョー群島に着いて7日目。早朝5時の船室に、2個の目覚まし時計が鳴り渡った。辺りはまだ薄暗い。
窓の外では風がうなり、<青海>は湾に打ち込む波に揺れている。今日こそは出発と思ったが、遮る物のない湾の外では、強風が吹き荒れているに違いない。
「どうしよう?」
澄んだ桃色に輝く南極の朝空を見上げながら、迷っていた。
とりあえずエンジンの暖機運転を始めると、灯油バーナーで熱い紅茶を沸かし、山盛りの砂糖を入れて飲みながら、しばらく待機を続けていた。
が、風は少しも弱まりそうにない。やがて時計は午前9時を指した。もはや日没前に目的地に着くのは無理だった。
それにしても、南極の夏はもう終わったのか。一体いつまで待てば好天になるのか。このまま悪天候が続き、冬になってしまうのか。<青海>は動けないまま、氷に閉じ込められてしまうのか。
来年の春までの食糧はない。近くのアルゼンチン基地の廃嘘にも、食べられそうなものはなかった。どうすればよいのか。湾に打ち込む波に揺れる船室で悩んでいた。
その揺れ方が、急に変化した。驚いて窓の外を見ると、目前に岸が迫り、岩々に白波が砕けている。錨が滑ったのだ。このままでは衝突してしまう。ただちに岸を離れなくてはならない。
急いで防寒服と長靴を身につけると、ハッチを開き、うなりを上げる風の中に歩み出た。周囲の海面には、強風で一面に白波が立っている。
厚いゴム手袋をはめると、直径16ミリのナイロンロープに全身の力を込めて、船尾から打った2個の錨をデッキに引き上げる。が、船首から陸に張った長さ60mのロープを回収するためには、岸までボートを漕がなくてはならない。錨が滑るほど強い風の中、それは無理な作業に違いなかった。
どうすることも出来ず、船首から外したロープの端を海面に捨てると、その場を急いで離れることにした。
見上げる灰色空には、ときおり雲の切れ間が開き、太陽の光が差すこともあった。が、それもつかの間、再び雪混じりの風が吹きつけてくる。南極はもう冬に向かっているのだ。
メルキョー諸島の中を行ったり来たり、島々の間の細い水路に入ったり出たりしながら、より安全な停泊場所を探し回った。測深器で海底の地形を確かめ、凹凸の少ない場所に錨を打ってみる。
だが、エンジンの回転を上げ、船体で錨のロープを強く引いて確認すると、錨は海底を滑ってしまうのだ。
海面から垂直に切り立つ青い氷壁は、今にも崩れそうで怖く、近づく気にはなれなかった。白いドーム状の斜面に近づいて、再び錨を下ろしてみる。が、だめだ。エンジンで強く引くと、やはり滑ってしまうのだ。
それから何時間、停泊場所を求めて吹雪の中をさまよい歩き、錨の上げ下げを繰り返したことだろう。停泊できずに夜の闇が訪れれば、島々に囲まれた狭い海面で、必ず座礁するだろう。そして<青海>は身動きできないまま、南極に冬が訪れる。
どうしようもなく絶望を感じていると、近くの岩に巻きついた太いワイヤーが目に留まった。直径5センチ以上もあり、真っ赤に錆びている。数十年も昔、捕鯨船が残したものだろう。日没が迫る今、これを使う以外に助かる手段はない。
利かない錨を臨時に下ろして<青海>を泊めると、幸いにも弱まり始めた風の中、ゴムボートを漕いで岩に上がった。持参した細いワイヤーとシャックルを使い、船首から運んだロープの端を岩に巻かれた太いワイヤーに固定する。船尾からは、隣島の岩までロープを張っておく。これで、<青海>が流される不安はない。
1時間ほどで係留作業を終えたとき、寒さと疲労で精根尽き果て、虚脱状態の自分を感じていた。時計を見ると、すでに夕方5時だった。停泊場所を求め、強風と吹雪の中、島々の間を朝から7時間も迷い歩いたことになる。
日が沈むと、潮流に運ばれた無数の小さな氷片が、船体にゴチゴチと音を立ててぶつかった。夕食後、疲れて眠り、夜半にふと目覚めてハッチを開けると、すでに風は収まり、凍てつく空一面に大粒の星々が強くまたたいた。
「よし、明日こそは出発できそうだ!」