小笠原諸島や伊豆諸島は東京都に所属していて幾つかの村に別れています。
しかし本州側の東京都にはたった一つの村しかありません。その村は檜原村でよく東京の秘境と言われています。多摩川の支流の秋川の上流にある村です。
そこには険しい山々に囲まれて、幾つかの集落があります。数馬、人里、本宿、神戸、藤倉、柏木野などの集落です。すべて谷間の僅かの平地に散在しています。
その集落まで行く自動車道路は深い緑に覆われた坂道です。兎に角、車で上げれるので根気よくドライブすれば行き着けます。
その谷間の集落から、さらに尾根に登った山の斜面に家が一軒、二軒と散らばってあるのです。その尾根上の家々へは車道がついていないので徒歩で登るか、よくミカン畑で使っている小さなモノレールに乗って行きます。健脚でなければ行き着けない天空の秘境です。
昨日は村役場のある本宿から北秋川に入り12Kmほど車で登って藤倉という集落まで行きました。そこで車を停めて周辺を歩き、どうにかして尾根の上の家まで車で上げれないかと調べてみました。そうしたら山の上に「小林家住宅」という重要文化財があり、その下の駐車場まで車で行けることが判りました。
行き着くと小さなモノレールがついています。急斜面を登っている玩具のようなモノレールは危なげに見えます。怖いので乗らずにさらに上の方に続いている林道を車で登りました。
そうしたらかなり大きな家が斜面にしがみ付くように建っています。ガレージには車が見えます。そこで写真を撮って、昨日の冒険の旅の終わりとしました。
秘境、檜原村で昨日撮った写真を示します。
上は藤倉集落から林道を登り尾根筋に出たところから見た山々です。
上は藤倉に行く途中にある神戸岩です。観光地になっています。
上は林道の上にある山の上の住宅です。
上も下も山の斜面にある住宅です。
そして下は檜原村で使われているモノレールの写真です。出典は、http://www.kitamura.jp/photo/repairer/2010/re510.html です。
この檜原村も過疎化が進んでいます。
1970年に5000人以上いた村民が現在は2300人以下になっています。
車で走っていると多くの家々が廃屋になっています。勝手な感傷ですが悲しい光景です。
しかし江戸時代の檜原村は幕府の天領として江戸へ貴重な材木を送り出していたのです。木炭も多量に産出していました。
それが1970年代になると経済の高度成長が始まり、外国から木材が安く輸入さ檜原村の林業は消えてしまいました。その上、石油や天然ガスが大量に輸入され木炭は誰も使わなくなったのです。炭焼き釜も無くなりました。
こうして昔の檜原村の繁栄ぶりが消えてしまったのです。
仕方が無い運命とは知りながら、やはり悲しいものです。そんなことを感じさせる小さな旅でした。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=========
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%9C%E5%8E%9F%E6%9D%91
檜原村(ひのはらむら)は、東京都の多摩地域西部にある村である。島嶼(とうしょ)部を除いた東京都の本州における唯一の村。あきる野市への通勤率は15.5%(平成22年国勢調査)。
村域のほとんどが関東山地の中にあり、多摩川の支流である秋川上流の周辺に集落がある。標高が最も低い地点は、あきる野市との境界線になっている下元郷(しももとごう)の中山沢が秋川へ流入する地点で海抜224.5m、標高が最も高い地点は、三頭山頂の1531mで、村域の9割以上が森林である。中央高地式気候に属し、冬の寒さは都心と比べて厳しく、払沢(ほっさわ)の滝が凍結するほどである。雪の量も都心と比べて多くなるため、路面凍結や集落の孤立などの雪害が発生しやすい。
北秋川と南秋川が合流して秋川となる付近を本宿(もとしゅく)と言い、ここが村役場がある中心部である。ここから下流に向けて上元郷、下元郷の地域がある。都道33号檜原街道がこれに沿う。
北秋川に沿って都道205号が通っており、少し遡った所で払沢(ほっさわ)の滝への歩道が分かれる。以後、千足、三都郷(みつご)、神戸(かのと)、小沢、樋里(ひざと)、笹久保、藤原、中俎、倉掛(くらかけ)の地域がある。
北秋川に沿って都道205号が通っており、少し遡った所で払沢(ほっさわ)の滝への歩道が分かれる。以後、千足、三都郷(みつご)、神戸(かのと)、小沢、樋里(ひざと)、笹久保、藤原、中俎、倉掛(くらかけ)の地域がある。
南秋川に沿っては都道33号が沿う。笹平、南郷と遡り、上川乗で都道33号が南秋川から離れて甲武トンネルを経て上野原市(旧上野原町)に向かう。以後川に沿う道は都道206号となり(通称は依然檜原街道)、和田、人里(へんぼり)、笛吹(うずしき)、数馬(かずま)の地域がある。数馬から奥の道路は奥多摩周遊道路となり、奥多摩町の奥多摩湖へ通ずる。
しかし本州側の東京都にはたった一つの村しかありません。その村は檜原村でよく東京の秘境と言われています。多摩川の支流の秋川の上流にある村です。
そこには険しい山々に囲まれて、幾つかの集落があります。数馬、人里、本宿、神戸、藤倉、柏木野などの集落です。すべて谷間の僅かの平地に散在しています。
その集落まで行く自動車道路は深い緑に覆われた坂道です。兎に角、車で上げれるので根気よくドライブすれば行き着けます。
その谷間の集落から、さらに尾根に登った山の斜面に家が一軒、二軒と散らばってあるのです。その尾根上の家々へは車道がついていないので徒歩で登るか、よくミカン畑で使っている小さなモノレールに乗って行きます。健脚でなければ行き着けない天空の秘境です。
昨日は村役場のある本宿から北秋川に入り12Kmほど車で登って藤倉という集落まで行きました。そこで車を停めて周辺を歩き、どうにかして尾根の上の家まで車で上げれないかと調べてみました。そうしたら山の上に「小林家住宅」という重要文化財があり、その下の駐車場まで車で行けることが判りました。
行き着くと小さなモノレールがついています。急斜面を登っている玩具のようなモノレールは危なげに見えます。怖いので乗らずにさらに上の方に続いている林道を車で登りました。
そうしたらかなり大きな家が斜面にしがみ付くように建っています。ガレージには車が見えます。そこで写真を撮って、昨日の冒険の旅の終わりとしました。
秘境、檜原村で昨日撮った写真を示します。
上は藤倉集落から林道を登り尾根筋に出たところから見た山々です。
上は藤倉に行く途中にある神戸岩です。観光地になっています。
上は林道の上にある山の上の住宅です。
上も下も山の斜面にある住宅です。
そして下は檜原村で使われているモノレールの写真です。出典は、http://www.kitamura.jp/photo/repairer/2010/re510.html です。
この檜原村も過疎化が進んでいます。
1970年に5000人以上いた村民が現在は2300人以下になっています。
車で走っていると多くの家々が廃屋になっています。勝手な感傷ですが悲しい光景です。
しかし江戸時代の檜原村は幕府の天領として江戸へ貴重な材木を送り出していたのです。木炭も多量に産出していました。
それが1970年代になると経済の高度成長が始まり、外国から木材が安く輸入さ檜原村の林業は消えてしまいました。その上、石油や天然ガスが大量に輸入され木炭は誰も使わなくなったのです。炭焼き釜も無くなりました。
こうして昔の檜原村の繁栄ぶりが消えてしまったのです。
仕方が無い運命とは知りながら、やはり悲しいものです。そんなことを感じさせる小さな旅でした。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=========
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%9C%E5%8E%9F%E6%9D%91
檜原村(ひのはらむら)は、東京都の多摩地域西部にある村である。島嶼(とうしょ)部を除いた東京都の本州における唯一の村。あきる野市への通勤率は15.5%(平成22年国勢調査)。
村域のほとんどが関東山地の中にあり、多摩川の支流である秋川上流の周辺に集落がある。標高が最も低い地点は、あきる野市との境界線になっている下元郷(しももとごう)の中山沢が秋川へ流入する地点で海抜224.5m、標高が最も高い地点は、三頭山頂の1531mで、村域の9割以上が森林である。中央高地式気候に属し、冬の寒さは都心と比べて厳しく、払沢(ほっさわ)の滝が凍結するほどである。雪の量も都心と比べて多くなるため、路面凍結や集落の孤立などの雪害が発生しやすい。
北秋川と南秋川が合流して秋川となる付近を本宿(もとしゅく)と言い、ここが村役場がある中心部である。ここから下流に向けて上元郷、下元郷の地域がある。都道33号檜原街道がこれに沿う。
北秋川に沿って都道205号が通っており、少し遡った所で払沢(ほっさわ)の滝への歩道が分かれる。以後、千足、三都郷(みつご)、神戸(かのと)、小沢、樋里(ひざと)、笹久保、藤原、中俎、倉掛(くらかけ)の地域がある。
北秋川に沿って都道205号が通っており、少し遡った所で払沢(ほっさわ)の滝への歩道が分かれる。以後、千足、三都郷(みつご)、神戸(かのと)、小沢、樋里(ひざと)、笹久保、藤原、中俎、倉掛(くらかけ)の地域がある。
南秋川に沿っては都道33号が沿う。笹平、南郷と遡り、上川乗で都道33号が南秋川から離れて甲武トンネルを経て上野原市(旧上野原町)に向かう。以後川に沿う道は都道206号となり(通称は依然檜原街道)、和田、人里(へんぼり)、笛吹(うずしき)、数馬(かずま)の地域がある。数馬から奥の道路は奥多摩周遊道路となり、奥多摩町の奥多摩湖へ通ずる。