外国に行くとよく、「仏教とはどのような教えなのですか?」と聞かれます。
答は簡単至極です。お釈迦様が弟子のシャーリプトラ(舎利子)へ向かって話したことをまとめた「般若心経」の中の2つくらいの言葉を説明するのです。
「色即是空、空即是色」と「受・想・行・識亦復如是」という句です。
前者はこの世のことはすべて空しいという意味です。空しいからこの世なのですという意味です。
後者は全ての精神活動も、また同じく、実体は「空」ですという意味です。
そうするとキリスト教を知っている人は「この世のことに執着しないで天の神様やイエス様のことを愛せ」という教えと似ていますと言います。この理解も少し違うのですが、その辺で会話を終りにします。
私自身は「般若心経」が大好きです。
とても短い上にお釈迦様の教えの全てが詰まっているのです。
その上、「般若心経」を読むと幼少の頃の楽しい思い出がよみがえって来るのです。幸せな気分になります。
祖父が兵庫県の山里のお寺の住職をしていました。毎年、夏になると一家でそこへ帰省しました。祖父母が歓迎しますから楽しい夏の思い出が残ります。その折、毎日のように祖父と一緒に本堂で唱えたのがこの「般若心経」と「大悲心陀羅尼」というお経でした。
このお経は玄奘三蔵法師がインドから持って来て、唐の長安の大慈恩寺で漢文に翻訳したものです。そして大雅塔に全てのお経を大切に保管したのです。余談ながら私は1982年にこの大雅塔に登りました。幸な時間が流れました。
それはさておき、玄奘三蔵法師が翻訳した漢文の「般若心経」を示します。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多咒。即説咒曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経
(般若心経は、「大般若経」という600巻の経典(約300万文字)の内容を、わずか276文字に凝縮したものです)
この漢文の意味は次のようになります。
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hannya.htm
摩訶 般若 波羅蜜多 心経(まか はんにゃ はらみった しんぎょう)
偉大なる"悟りを開く智慧"の真髄
※摩訶=偉大なる
※般若=智慧
※波羅蜜多=悟りを開く、彼岸に至る
※心経=真髄
観自在菩薩 行深 般若 波羅蜜多 時、(かんじさいぼさつ ぎょうじん はんにゃ はらみった じ、)
観音様(かんのんさま)は、悟りを開くための修行を究められて、
※観自在菩薩=観音様。悟りを開いた明慧自在(みょうえじざい)の仏さま
照見 五蘊 皆空、(しょうけん ごうん かいくう、)
五蘊(形あるものと精神活動のすべて)は「空(くう)」であることを悟られ、
※五蘊=色(形あるもの)・受・想・行・識(精神活動)
度 一切 苦厄。(ど いっさい くやく。)
一切の苦しみから逃れられる道を示されました。
舎利子。色 不異 空、空 不異 色、色 即是 空、空 即是 色。(しゃりし。しき ふい くう、くう ふい しき。しき そくぜ くう、くう そくぜ しき)。
舎利子よ。形あるものはすべて「空」であり、「空」が形あるものの真の姿です。
※舎利子=お釈迦様の十大弟子のひとり(般若心経は、彼への呼び掛け)
※A不異B=AはBと異ならない
※A即是B=AはBである
受・想・行・識 亦復如是。(じゅ・そう・ぎょう・しき やくぶにょぜ。)
精神活動も、また同じ(く、実体は「空」)です。
※受=心が感受すること
※想=思いをめぐらすこと
※行=意志を持つこと
※識=認識・識別すること
舎利子。是 諸法 空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。(しゃりし。ぜ しょほう くうそう、ふしょうふめつ、ふくふじょう、ふぞうふげん。)
舎利子よ。この世にあるすべてのものの実体は「空」です。
生じることもなく滅することもなく、
汚れもせず清らかにもならず、
増えることもなく減ることもありません。
是故空中、無 色、無 受・想・行・識、(ぜこくうちゅう、む しき、む じゅ・そう・ぎょう・しき、)
故に、「空」が実体のこの世には、形あるものも、精神活動もありません。
無 眼・耳・鼻・舌・身・意、無 色・声・香・味・触・法。(む げん・に・び・ぜっ・しん・に。む しき・しょう・こう・み・そく・ほう。)
目も耳も鼻も舌も身体も精神もなく、(目から見える)形も(耳から聞こえる)声も(鼻で感じる)香りも(舌で感じる)味も(身体が感じる)触感も(精神が)感じ取ることもありません。
無 眼界、乃至、無 意識界。(む げんかい、ないし、む いしきかい。)
目に見える世界も、目に見えない意識の世界もありません。
無 無明、亦 無 無明 尽、乃至、無 老死、亦 無 老死 尽。(む むみょう、やく む むみょう じん、ないし、む ろうし、やく む ろうし じん。)
この世に無明はなく、無明が尽きることはありません
また、老死もなく、老死が尽きることもありません。
※無明=悟りを開いていないこと
無 苦・集・滅・道。無 智 亦 無 得。(む く・しゅう・めつ・どう。む ち やく む とく。)
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす道もありません。
また、教えを知ることもなく、悟りを得ることもありません。
以 無所得 故、菩提薩埵、依 般若 波羅蜜多 故、(い むしょとく こ、ぼだいさった、え はんにゃ はらみった こ、)
よって何も得ることがないため、菩薩(ぼさつ)さまは悟りを開いたが故に、
心 無罣礙、無罣礙 故、無有恐怖、遠離一切 顛倒夢想、究竟涅槃。(し んむけいげ、むけいげ こ、むうくふ、おんりいっさい てんとうむそう、くぎょうねはん。)
心に障りがなく、心に障りがないから、恐怖を感じず、一切の迷いから離れて、安らぎの極致へと到りました。
三世 諸仏、依 般若 波羅蜜多 故、得 阿耨多羅 三藐 三菩提。(さんぜ しょぶつ、え はんにゃ はらみった こ、とく あのくたら さんみゃく さんぼだい。)
三世の仏さまも、このような智慧によって、完全なる悟りを開かれました。
※三世=過去・現在・未来
※阿耨多羅三藐三菩提=サンスクリット語の「アヌッタラ・サムヤック・サンボーディ」を漢字で表したもの。完全な悟りを開いた状態
故知、般若 波羅蜜多、是 大神 咒、是 大明 咒、是 無上 咒、是 無等等 咒、能除 一切苦、真実不虚。(こち、はんにゃ はらみった、ぜ だいじん しゅ、ぜ だいみょう しゅ、ぜ むじょう しゅ、ぜ むとうどう しゅ、のうじょ いっさいく、しんじつふこ。)
故に、悟りを開く智慧は、霊力のある咒文であり、明らかなる咒文であり、この上ない咒文であり、他に並ぶものがない咒文であり、一切の苦しみを取り除き、真実にして虚しいところがありません。
故説、般若 波羅蜜多 咒。即 説咒 曰、羯諦 羯諦 波羅 羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶。般若心経
悟りを開く智慧の咒文を説きましょう。その咒文いわく、「行こう、行こう、悟りの世界へ行こう。みんなで一緒に悟りの世界へ行きましょう。」以上が、"悟りを開く智慧"の真髄です。
※羯諦 ~ 菩提薩婆訶=「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハーガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハーガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」を漢字で表したもの。
このお経は日本人の文化の基調になりました。
今日の挿し絵がわりの写真は、長安の大慈恩寺の山門と大雅塔の写真に続いて東大寺とその中の大仏さまの写真と夜景です。
これからミサに行きます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
=====参考資料======================
西安の大慈恩寺;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%85%88%E6%81%A9%E5%AF%BA
隋の大興城にあった無漏寺(一説に浄覚寺)の故地に、648年(貞観22年)、皇太子の李治が、亡母(文徳皇后)追善のために建立したのが、大慈恩寺である。その名は「慈母の恩」に由来する。
各地から、良材を集め建てられ、その規模は、子院(塔頭)10数院を擁し、建築物は総数1,897間、公度僧だけで300名という大寺であった。帰朝した玄奘は、本寺の上座となり、寺地北西の翻経院で仏典の漢訳事業に従事した。当寺での、玄奘の訳経活動は、658年(顕慶3年)までの11年に及び、合わせて40部余の経典が漢訳された。玄奘の弟子である基(窺基)は、師から相承した法相宗を宣教し、「慈恩大師」と呼ばれた。
652年(永徽3年)、大雁塔が建立される。当初は、玄奘がインド・西域から持参した仏像や経典を収蔵するための塔であった(大雁塔の項を参照)。
唐代半ば以降、大慈恩寺の境内には、大きな戯場があり、俗講や見世物が行われていた。また、牡丹の名所としても知られ、それを詠んだ多くの漢詩が知られ、藤も植えられていた。春には、寺が所有していた南にある通善坊の「杏園」で杏の花が、夏には、寺の南池で蓮の花が咲き、秋には、柿がなり、紅葉につつまれたと伝えられる。