五島列島は本当に遠い離れ島です。遥かに憧れて数十年、やっと2泊3日の旅で訪れることが出来ました。長崎の活水大学の教授だった片岡弥吉氏のキリシタンに関する数々の本や遠藤周作氏の「沈黙」などのカトリック関連の著書を読んで以来一度は訪れるべき場所として長らく心に決めて憧れていました。
五島列島への旅は2015年4月の中旬でした。
長崎から小さい旅客機で下五島の福江に渡り、そこに一泊しました。2日目は海上タクシーで上五島に渡りそこに泊まりました。
3日間、観光バスで五島列島の険しい山々を越えて岬と岬の間にある小さな集落を幾つも巡り5つのカトリック教会を訪ねました。五島列島には全部で50ケ所のカトリック教会がありますので、訪問したところはそのほんの一部にすぎません。
さて、この五島列島はキリシタンだけの島ではありませんでした。
遣唐使以来、中国大陸への航海の最後の寄港地として弘法大師の空海や伝教大師の最澄が風待ちで長く逗留した場所でもあります。仏教も盛んな土地です。立派な神社もあります。
その上、山上憶良のこの地にまつわる歌もあるのです。従って五島列島は万葉集時代から文化交流の十字路として重要な島だったのです。キリシタン信仰はずっと後になって江戸時代から入ってきたのです。
今日は今回訪れた5つの教会の中から井持浦天主堂の写真をお送り致します。
自分が撮った写真に、http://www.city.goto.nagasaki.jp/sekaiisan/see/imochiura.php からお借りしたものも加えてお送りします。
井持浦は五島の他の地区と同じく江戸時代末期に大村藩から五島に移り住んだ潜伏キリシタンにより信仰の歴史が始まりました。
現在、井持浦教会の建っている玉之浦一帯は、五島に迫害の嵐が吹き荒れた明治初期、唯一迫害を逃れた地区です。
明治30年(1897年)、全五島の宣教と司牧を委ねられたフランス人宣教師ペルー師の指導によりレンガ造りの立派な教会が建設されました。島内における木造からレンガ造りへの移行のはじめです。当時、日曜日のミサには井持浦の集落ばかりでなく浅切、黒小浦、蕨浦といった集落や、玉之浦湾に面した荒川、布浦、銭亀崎、山浦、一里鼻、笠神、赤崎といった小集落から魯舟を漕いで参加していました。遠い所は船で片道2時間あまりかかり、一日がかりのミサ参加でした。
参考資料に九州の古い美しい教会を沢山作った鉄川与助さんの孫娘のブログをご紹介してあります。
===参考資料=====================
「おじいちゃんの造った教会」、http://www1.odn.ne.jp/tetsukawa/ より。
鉄川与助は明治12年、1879に南松浦郡新魚目町丸尾(五島)で生まれました。亡くなったのは1976年でした。享年97歳でした。
祖父鉄川与助の造った天主堂は、50以上と言われていますが、まだ全部はわかりません。現在の状態をわかる範囲で調べてみました。
下に、名前、献堂、場所、天主堂の説明、今の状態、を順々に書きます。
曽根天主堂 明治32 南松浦郡新魚目町 ペール神父、野原棟梁のもとで、初めて教会建築に参加、西洋建築との出会い、 建て替えに参加しました。
鯛ノ浦天主堂 明治36年 南松浦郡有川町 木造で、野原棟粱施工、 建て替えにに参加しました。
・・・・明治39年 に鉄川組を編成・・・・
桐の浦天主堂 明治39年 長崎県 木造で、1部煉瓦造り
冷水天主堂 明治40年 南松浦郡上五島町 素朴な木造で、初めて設計施工しました。リブ・ヴォールト天井です。
堂崎天主堂 明治41年 福江市 赤煉瓦造りで、野原棟梁施工です。ゴシック様式で、どっしりした重厚な天主堂です。
・・・・明治41年に日本建築学会会員になります。・・・・
野首天主堂 明治41年 北松浦郡小値賀町 初めての煉瓦造りです。4つの窓があり、花模様のステンドグラスがとても綺麗です。昭和64年復元。『火宅の人』のロケ地です。
佐賀公教会 明治44年 佐賀県 木造、平家建 戦災
青砂ケ浦天主堂 明治43年 南松浦郡上五島町 煉瓦造り、屋根が2層になって高く大きくなり、煉瓦と白い十字架の対比が綺麗です。内部の装飾も壮麗になります。
楠原天主堂 明治45年 南松浦郡岐宿町 赤煉瓦造りで、ゴシック様式です。どっしりした天主堂で、屋根に銀色の十字架が輝いています。増改築
山田天主堂 大正元年 北松浦郡生月町 煉瓦造り
今村天主堂 大正2年 福岡県三井郡太刀洗町、珍しい双塔の赤煉瓦造りの天主堂で、祖父の、1番美しい建築物とも言われています。他の教会は島などに多いですが、筑紫平野の真ん中にあります。
大司教館 大正3年 長崎市 大浦天主堂の右側大きな煉瓦造りで、3階建てで日本瓦です。ド・ロ神父設計、与助施工です。
宮崎天主堂 大正3年 宮崎県 木造、平家建 取り壊し
大曽天主堂 大正5年 南松浦郡上五島町 煉瓦造りで、バジリカ式会堂です。入り口正面に大きな塔屋を持つ、ロマネスク調で、円形アーチ窓の、桜の花型の色ガラスが綺麗です。
大水天主堂 大正6年 長崎県 木造、平家建
堂崎天主堂 大正6年 福江市 赤煉瓦造りで、ゴシック様式です。
江上天主堂 大正7年 南松浦郡奈留町、小さい木造の天主堂で、窓ガラスの花柄模様は手書きです。
南田平天主堂 大正7年 北松浦郡田平町 与助最後の煉瓦造りの天主堂で、三層です。平戸島の向かいの丘にあり、グリーンのドームを持ち、回りの景色によく映えています。
頭ケ島天主堂 大正8年 南松浦郡有川町、唯一の石造り(島で取れた石)で、ロマネスク様式です。小さい天主堂を広く見せる為初めての折上天井です。
祖父が晩年1番話していた天主堂で、それだけ苦労したようです。私が好きな天主堂の1つです。
細石流天主堂 大正10年、福江市 ザザレと読みます。今は廃堂です。 崩壊
旧浦頭天主堂 大正10年、長崎県 木造、折上天井です。 取り壊し
人吉公教会 大正11年 熊本県 木造、平家建
長崎神学校 大正12年 長崎県 教会ではありませんが、祖父の初めてのコンクリート造りです。三階建です。
旧浦上天主堂 大正14年 長崎市 建設の時にも参加しましたが、双塔は、祖父が作りました。残念な事に、昭和20年の原爆でこわれました。今の浦上天主堂は、与助の長男与八郎の設計施工です。
手取天主堂、昭和3年 熊本市 最初のコンクリート造り、大正12年の関東大震災で煉瓦造りの脆さが実証されたからだと思われます。八角形のドームで小さい天主堂ですが、内部は広く高くて花柄をあしらった内部装飾が美しいです。
大牟田公教会 昭和4年 福岡県 木造、平家建 戦災
呼子天主堂 昭和4年 佐賀県 木造、平家建
紐差天主堂 昭和4年 平戸市 白いコンクリート造りの美しい外観と、ステンドグラスからもれる光の美しい内部を持つ、大規模な天主堂で、内部の柱の装飾が綺麗です。
八幡天主堂 昭和5年 福岡県 木造、平家建 戦災
戸畑公教会 昭和5年 福岡県 木造、平家建 戦災
大江天主堂 昭和8年 熊本県天草、ロマネスク様式の白亜の天主堂で、コンクリート造りです。私の好きな天主堂の1つです。
新田原天主堂 昭和8年 福岡県 木造、2階建 建て替え
水俣天主堂 昭和8年 熊本県 木造、平家建
小倉天主堂、昭和10年、福岡県 木造、1部鉄骨、平家建、 取り壊し
崎津天主堂 昭和10年 熊本県天草 前半分はコンクリート造りで、後ろは木造のゴシック風です。鉛筆のようなとがった塔があり、外観が華やかで畳敷きです。海の側に建っています。
水の浦天主堂 昭和13年、南松浦郡岐宿町 木造で、大規模な白亜の天主堂です。堂内の貝の聖水器が美しいです。
鯛の浦天主堂 昭和21年 南松浦郡有川町 煉瓦造、平家建。玄関だけ煉瓦(昭和21年に 原爆で壊された、浦上天主堂の煉瓦で作りました。) 建て替え
愛野教会 昭和26年 南高来郡 木造、平家造り
桐教会 昭和33年 南松浦郡
浦上天主堂 昭和34年 長崎市 コンクリート造り
諫早教会 昭和40年 諫早市 コンクリート造り
船隠天主堂 昭和40年 南松浦郡 木造
丸尾教会 昭和47年 南松浦郡 コンクリート造り
昭和51年、祖父、与助が亡くなりました。97歳でした。趣味も、建築といいきれるような一生でした。亡くなった日の朝も、故郷の五島や、教会の写真を見ていたそうです。
追記:五島列島にある国指定重要文化財の教会や天主堂:
旧五輪教会堂(世界遺産候補)、江上天主堂(世界遺産候補)、頭ヶ島天主堂(世界遺産候補)、青砂ヶ浦天主堂
五島列島への旅は2015年4月の中旬でした。
長崎から小さい旅客機で下五島の福江に渡り、そこに一泊しました。2日目は海上タクシーで上五島に渡りそこに泊まりました。
3日間、観光バスで五島列島の険しい山々を越えて岬と岬の間にある小さな集落を幾つも巡り5つのカトリック教会を訪ねました。五島列島には全部で50ケ所のカトリック教会がありますので、訪問したところはそのほんの一部にすぎません。
さて、この五島列島はキリシタンだけの島ではありませんでした。
遣唐使以来、中国大陸への航海の最後の寄港地として弘法大師の空海や伝教大師の最澄が風待ちで長く逗留した場所でもあります。仏教も盛んな土地です。立派な神社もあります。
その上、山上憶良のこの地にまつわる歌もあるのです。従って五島列島は万葉集時代から文化交流の十字路として重要な島だったのです。キリシタン信仰はずっと後になって江戸時代から入ってきたのです。
今日は今回訪れた5つの教会の中から井持浦天主堂の写真をお送り致します。
自分が撮った写真に、http://www.city.goto.nagasaki.jp/sekaiisan/see/imochiura.php からお借りしたものも加えてお送りします。
井持浦は五島の他の地区と同じく江戸時代末期に大村藩から五島に移り住んだ潜伏キリシタンにより信仰の歴史が始まりました。
現在、井持浦教会の建っている玉之浦一帯は、五島に迫害の嵐が吹き荒れた明治初期、唯一迫害を逃れた地区です。
明治30年(1897年)、全五島の宣教と司牧を委ねられたフランス人宣教師ペルー師の指導によりレンガ造りの立派な教会が建設されました。島内における木造からレンガ造りへの移行のはじめです。当時、日曜日のミサには井持浦の集落ばかりでなく浅切、黒小浦、蕨浦といった集落や、玉之浦湾に面した荒川、布浦、銭亀崎、山浦、一里鼻、笠神、赤崎といった小集落から魯舟を漕いで参加していました。遠い所は船で片道2時間あまりかかり、一日がかりのミサ参加でした。
参考資料に九州の古い美しい教会を沢山作った鉄川与助さんの孫娘のブログをご紹介してあります。
===参考資料=====================
「おじいちゃんの造った教会」、http://www1.odn.ne.jp/tetsukawa/ より。
鉄川与助は明治12年、1879に南松浦郡新魚目町丸尾(五島)で生まれました。亡くなったのは1976年でした。享年97歳でした。
祖父鉄川与助の造った天主堂は、50以上と言われていますが、まだ全部はわかりません。現在の状態をわかる範囲で調べてみました。
下に、名前、献堂、場所、天主堂の説明、今の状態、を順々に書きます。
曽根天主堂 明治32 南松浦郡新魚目町 ペール神父、野原棟梁のもとで、初めて教会建築に参加、西洋建築との出会い、 建て替えに参加しました。
鯛ノ浦天主堂 明治36年 南松浦郡有川町 木造で、野原棟粱施工、 建て替えにに参加しました。
・・・・明治39年 に鉄川組を編成・・・・
桐の浦天主堂 明治39年 長崎県 木造で、1部煉瓦造り
冷水天主堂 明治40年 南松浦郡上五島町 素朴な木造で、初めて設計施工しました。リブ・ヴォールト天井です。
堂崎天主堂 明治41年 福江市 赤煉瓦造りで、野原棟梁施工です。ゴシック様式で、どっしりした重厚な天主堂です。
・・・・明治41年に日本建築学会会員になります。・・・・
野首天主堂 明治41年 北松浦郡小値賀町 初めての煉瓦造りです。4つの窓があり、花模様のステンドグラスがとても綺麗です。昭和64年復元。『火宅の人』のロケ地です。
佐賀公教会 明治44年 佐賀県 木造、平家建 戦災
青砂ケ浦天主堂 明治43年 南松浦郡上五島町 煉瓦造り、屋根が2層になって高く大きくなり、煉瓦と白い十字架の対比が綺麗です。内部の装飾も壮麗になります。
楠原天主堂 明治45年 南松浦郡岐宿町 赤煉瓦造りで、ゴシック様式です。どっしりした天主堂で、屋根に銀色の十字架が輝いています。増改築
山田天主堂 大正元年 北松浦郡生月町 煉瓦造り
今村天主堂 大正2年 福岡県三井郡太刀洗町、珍しい双塔の赤煉瓦造りの天主堂で、祖父の、1番美しい建築物とも言われています。他の教会は島などに多いですが、筑紫平野の真ん中にあります。
大司教館 大正3年 長崎市 大浦天主堂の右側大きな煉瓦造りで、3階建てで日本瓦です。ド・ロ神父設計、与助施工です。
宮崎天主堂 大正3年 宮崎県 木造、平家建 取り壊し
大曽天主堂 大正5年 南松浦郡上五島町 煉瓦造りで、バジリカ式会堂です。入り口正面に大きな塔屋を持つ、ロマネスク調で、円形アーチ窓の、桜の花型の色ガラスが綺麗です。
大水天主堂 大正6年 長崎県 木造、平家建
堂崎天主堂 大正6年 福江市 赤煉瓦造りで、ゴシック様式です。
江上天主堂 大正7年 南松浦郡奈留町、小さい木造の天主堂で、窓ガラスの花柄模様は手書きです。
南田平天主堂 大正7年 北松浦郡田平町 与助最後の煉瓦造りの天主堂で、三層です。平戸島の向かいの丘にあり、グリーンのドームを持ち、回りの景色によく映えています。
頭ケ島天主堂 大正8年 南松浦郡有川町、唯一の石造り(島で取れた石)で、ロマネスク様式です。小さい天主堂を広く見せる為初めての折上天井です。
祖父が晩年1番話していた天主堂で、それだけ苦労したようです。私が好きな天主堂の1つです。
細石流天主堂 大正10年、福江市 ザザレと読みます。今は廃堂です。 崩壊
旧浦頭天主堂 大正10年、長崎県 木造、折上天井です。 取り壊し
人吉公教会 大正11年 熊本県 木造、平家建
長崎神学校 大正12年 長崎県 教会ではありませんが、祖父の初めてのコンクリート造りです。三階建です。
旧浦上天主堂 大正14年 長崎市 建設の時にも参加しましたが、双塔は、祖父が作りました。残念な事に、昭和20年の原爆でこわれました。今の浦上天主堂は、与助の長男与八郎の設計施工です。
手取天主堂、昭和3年 熊本市 最初のコンクリート造り、大正12年の関東大震災で煉瓦造りの脆さが実証されたからだと思われます。八角形のドームで小さい天主堂ですが、内部は広く高くて花柄をあしらった内部装飾が美しいです。
大牟田公教会 昭和4年 福岡県 木造、平家建 戦災
呼子天主堂 昭和4年 佐賀県 木造、平家建
紐差天主堂 昭和4年 平戸市 白いコンクリート造りの美しい外観と、ステンドグラスからもれる光の美しい内部を持つ、大規模な天主堂で、内部の柱の装飾が綺麗です。
八幡天主堂 昭和5年 福岡県 木造、平家建 戦災
戸畑公教会 昭和5年 福岡県 木造、平家建 戦災
大江天主堂 昭和8年 熊本県天草、ロマネスク様式の白亜の天主堂で、コンクリート造りです。私の好きな天主堂の1つです。
新田原天主堂 昭和8年 福岡県 木造、2階建 建て替え
水俣天主堂 昭和8年 熊本県 木造、平家建
小倉天主堂、昭和10年、福岡県 木造、1部鉄骨、平家建、 取り壊し
崎津天主堂 昭和10年 熊本県天草 前半分はコンクリート造りで、後ろは木造のゴシック風です。鉛筆のようなとがった塔があり、外観が華やかで畳敷きです。海の側に建っています。
水の浦天主堂 昭和13年、南松浦郡岐宿町 木造で、大規模な白亜の天主堂です。堂内の貝の聖水器が美しいです。
鯛の浦天主堂 昭和21年 南松浦郡有川町 煉瓦造、平家建。玄関だけ煉瓦(昭和21年に 原爆で壊された、浦上天主堂の煉瓦で作りました。) 建て替え
愛野教会 昭和26年 南高来郡 木造、平家造り
桐教会 昭和33年 南松浦郡
浦上天主堂 昭和34年 長崎市 コンクリート造り
諫早教会 昭和40年 諫早市 コンクリート造り
船隠天主堂 昭和40年 南松浦郡 木造
丸尾教会 昭和47年 南松浦郡 コンクリート造り
昭和51年、祖父、与助が亡くなりました。97歳でした。趣味も、建築といいきれるような一生でした。亡くなった日の朝も、故郷の五島や、教会の写真を見ていたそうです。
追記:五島列島にある国指定重要文化財の教会や天主堂:
旧五輪教会堂(世界遺産候補)、江上天主堂(世界遺産候補)、頭ヶ島天主堂(世界遺産候補)、青砂ヶ浦天主堂