後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

冬の村山貯水池の寸描

2014年01月31日 | 写真

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村山貯水池には広い無料駐車場があるので散歩したくなるとよく行きます。

雑木林の中の笹の小路を下って行くと宅部池に出ます。2番目の写真です。

堰堤の下側が大きな公園になっています。そこに下りて行き、池のほとりを回り、堰堤の北端に登って、堤の上を南端まで歩いて帰って来ました。  4km弱の散歩でした。

それにしても風の強い、寒い「光の春」の日でした。


今年も石塚園芸の多数のサクラソウが「関東東海花の展覧会」に出品されています

2014年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

今年も、11の都と県の連合主催の「関東東海花の展覧会」が池袋サンシャイン・ビルの文化会館で1月31日から3日までの金、土、日に開催されます。

11の都県とは、愛知県・静岡県・茨城県・群馬県・栃木県・東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・岐阜県・三重県・山梨県です。

このブログで何度もご紹介している石塚健寿さんの石塚園芸のサクラソウも何種も出展されます。是非、ご覧下さい。

[会期] 2014年1月31日(金)~2日(日)

[会場] 池袋サンシャインシティ 文化会館2F 展示ホールD(東京都)

尚、今年の受賞者は石塚健寿さんの薫陶を受けた、東久留米市農協にある「温室花卉研究会」の若手の園芸家達でした。農林大臣賞は栗原さん、都知事賞は玉川さん、農林局長賞は大山さんと主な賞は東久留米の「温室花卉研究会」が受賞したのです。

昨日、石塚園芸店に行ってサクラソウの新品種の「あけぼの」や「夢さくら」を見せて貰いながら、石塚さんからいろいろなお話を聞きました。

その話によると、彼の父が昔、東久留米の市長をしていて、そのころから花卉栽培を推進してきたそうです。それが現在の花卉栽培の隆盛をもたらしたのです。

そして昨年は石塚園芸のサクラソウがオランダの花の祭典、フロリアードで金賞一席と特別賞を受賞したのです。

石塚さんが40年も指導してきた東久留米の「温室花卉研究会」の若手園芸家が今年、農林大臣賞や東京都知事賞を受賞したのです。彼はそのことを大変喜んでいます。誇りにしています。

下に昨日、撮影した写真をお送りいたします。美しいサクラソウの花々をお楽しみ下さい。

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上下は今年の新種の「夢さくら」と「あけぼの」でです。

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下は、昨年のオランダの花祭典、フロリアードで年間を通じての最優秀賞の金賞を受けた「黄萌」(きぼう)です。発色が難しい黄色い色を出せたのは石塚園芸だけでした。

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お釈迦様、神さまと人々のきずな・・・それをとりなしてくれる人

2014年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

お釈迦様はとても偉い人です。近づきがたい感じがします。

神様も星空のかなたに住んでいます。凡人とは住むところが違い過ぎます。

弱い人間が間違って悪いことをすると厳しく罰します。死んだあとは地獄へ落とされる人もいます。ですから怖い方です。

そこで弱い人間をお釈迦様や神さまへとりなして下さる人が欲しくなります。

例えば、多くの人々の罪を許し、お釈迦様へとりなしてくれるのが観音様です。

観音様はお釈迦様の深い知恵とあつい慈悲のこころの象徴です。全ての人々を救おうとしている菩薩です。

観音様のおかげでお釈迦様と人々の絆が暖かいものになるのです。

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(写真の出典は、http://www.mapbinder.com/Map/Japan/Yamanashi/NirasakiShi/Heiwa/Heiwa.htmlです。)

上の写真は山梨の韮崎市にある巨大な平和観音像です。私どもの山小屋に行くとき此の下を何度となく通りました。もう40年間も通っています。

胸が膨らんでいるので、幼かった子供たちが、「オッパイ観音様」と呼んで、喜んでいました。

しかし観音様は知恵と慈悲の象徴なので男でも女でもありません。

どちらでも良いのですが、そのお蔭でお釈迦様との絆を感じられればそれで良いのです。

一方、お釈迦様との絆を感じさせてくれる人はいろいろです。

玄奘三蔵法師や、鑑真や弘法大師や日蓮や親鸞や隠元や法然や、いろいろな方々がいます。あなたのお寺の住職さんかも知れません。

さてところで、キリスト教ではどうでしょう?

神との人間のきずなを作ってくれたのがイエス様なのです。神が人間を愛し、イエス様を人間の姿にして地上に送って下さったのです。

ですからイエス様は、「神の人間へ対する限り無い愛」の証拠なのです。

しかしイエス様は偉いのです。罪を繰り返す凡俗な人間には近づきがたい感じがします。

そこでカトリックでは、人間をイエスさまへとりなしてくれるのがマリア様です

下に生まれたばかりのイエス様を抱いたマリア様の絵を示します。ラファエロが描いた絵画です。

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(ラファエロ画・『大公の聖母』)

聖母マリアはロシア正教では生神女マリヤと呼び信仰の対象として重要視されています。

ところで、神やイエス様ときずなを作ってくれる人は他にもいろいろいます。

庶民派の現在のローマ法王フランシスコや、いろいろな聖人もとりなしてくれます。

一方、カトリックやロシア正教とは対照的にプロテスタント諸宗派ではマリア様やいろいろな聖人などのとりなしを信じません。

神とイエスと人間の絆は、間に仲介者を入れずに直接作ります。そして福音書に書いてあることだけを信じます。

信者が一緒に祈る場所として教会は大切にしますが、カトリックやロシヤ正教のような連合組織は認めません。牧師は聖職者でなく一般の信者と同列に扱います。

このようにキリスト教は2つの大きなグループに分類できるのです。

それにしても、お釈迦さまや神との絆やイエス様との絆を考えると楽しい気分になります。

人間同士の絆ばかりを考えないで、たまにはお釈迦様との絆、神との絆、イエス様との絆を考えてみるのも良いものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


観光地としての有名寺院の人気ランキング情報

2014年01月30日 | うんちく・小ネタ
明日は暇だから何処かのお寺へでも散策に行ってみようと思うときがあります。
そんな時に便利な情報が「日本全国人気寺院のランキング」というHPです。

人気をどのように客観的に評価するか疑問がありますが、とりあえず訪問してあまり失望するようなお寺ではなさそうです。

このHPの優れているところは、有名なお寺を下に示したように、所在地によって3段階にわたって絞り込めるようになっています。

例えば、関東甲信越を絞り込んで、首都圏に限定し、更に私の住んでいる多摩に絞り込むと近所の有名なお寺が出てくるのです。

そのお寺の名前を見ると、なるほど有名なのです。納得します。

皆様もご自分の住まいの地域に絞り込んで、調べてみて下さい。

そして少し遠方への観光旅行のご参考にして下さい。

下に一例として、関東甲信地域のランキング1位から10位までを写真とともに示します。

=====日本全国人気の寺院のランキング:==========
http://www.mapple.net/bythemearea/a13b68c21/0/ranking_all.htm

エリアを絞る

北海道  東北  関東甲信越  東海北陸  関西  中国・四国  九州・沖縄 

更に 関東甲信越の地域を絞ると:

北関東  新潟・佐渡  首都圏  伊豆・箱根  山梨・富士  信州・清里  

更に首都圏の地域を絞ると:

東京23区  多摩  房総  千葉  水郷・鹿嶋・銚子  さいたま  秩父  横浜  鎌倉・三浦・湘南  厚木・丹沢 

などと詳細に観光地として興味のあるお寺の名前と住所が出てきます。

下に一例として関東甲信地域のランキングを示します。

=====関東甲信地域のランキング1位から10位まで、=======
(全65件中 1件~10件を表示)

(1) 柴又帝釈天の御神水

柴又帝釈天の御神水

東京都葛飾区柴又7-10-3

「寅さん」でおなじみの葛飾柴又の帝釈天の名水。寛永6(1629)年の開山以前より湧き続けているこの水こそが、題経院日栄上人がこの地に寺を開くきっかけになったという。

(2) 村松山虚空蔵堂

村松山虚空蔵堂

茨城県那珂郡東海村村松8

807年に開山、建立された寺で弘法大師が彫った虚空蔵菩薩を本尊としている。数え年の13歳で参拝すると知恵と福が授けられるという「十三参り」の言い伝えが残っている。

(3) 毘沙門天(善国寺)

毘沙門天(善国寺)

東京都新宿区神楽坂5-36

「善国寺」といってわからなくても「神楽坂の毘沙門天さん」といえば神楽坂の顔。創建は文禄4(1595)年だが、寛政4(1792)年にこの地へ移転した。

(4)大善寺

大善寺

山梨県甲州市勝沼町勝沼3559

ぶどう薬師ともいわれ、行基が夢に現れた右手に葡萄を持つ薬師如来を刻み、安置して創建されたと言われる古刹です。優美な姿の桧皮葺の薬師堂は国宝に指定されており、堂内の仏像も見ごたえがあります。葡…

( 5)目黒不動尊 瀧泉寺

目黒不動尊 瀧泉寺

東京都目黒区下目黒3-20-26

古くから浅草の浅草寺とならんで東京の庶民の信仰を集める、通称「目黒のお不動さま」。毎月28日のお不動さまの縁日には広い境内に露天商が立ち並び、多くの人でにぎわう。

(6)徳大寺

徳大寺

東京都台東区上野4-6-2

およそ600年前に創立。摩利支天(開運守護神)安置。特別祈祷を毎日受け付けている。正月、5月、9月、11月に特別大祭(月初の亥の日)が行われる。
(7)西福寺・開山堂
西福寺・開山堂

新潟県魚沼市大浦174

江戸末期から明治時代に活躍した名工・石川雲蝶の彫刻が残る寺。初代住職を祀っている開山堂内にある雲蝶の作品は県の重要文化財に指定され、「道元禅師猛虎調伏の図」もある。

(8)身延山久遠寺

身延山久遠寺

山梨県南巨摩郡身延町身延3567

日蓮宗総本山。日蓮聖人が国家諫暁の末、入山し晩年の約9年間を過ごした。山全体が霊山の趣深く、大本堂・祖師堂・五重塔など荘厳。大本堂の天井画や日蓮聖人直筆の書を展示する宝物館がある。

清水観音堂

東京都台東区上野公園1-29

京都清水寺の僧が清水寺に安置されていた千手観音を天海僧正に献じたことに起因し、寛永8(1631)年に建立。国の重要文化財に指定。境内には秋色桜、人形碑、「月の松」などの史跡がある。

三宝寺

東京都練馬区石神井台1-15-6

昭和15(1940)年に考古学者が中心となり観世音を奉安する寺院33ヵ所を武蔵野観音霊場として設定。三宝寺は第3番霊場。他に関東第36不動霊場第11番、御府内八十八ヶ所第16番など。
=====以下省略=============


華麗なベコニアの花々をお楽しみ下さい

2014年01月30日 | 写真

昨日、神代植物公園の温室へ行って豪華に咲いているベコニアの写真を撮ってきました。

毎年この季節になるとこの温室に行ってベコニアの花々の写真を撮って、ブログに掲載してきました。今年も昨年と変わりなく咲いています。

冬は花の少ない季節なので、このベコニアの花を見るとホッとします。

写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。

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お寺と人々のかかわりの変遷・・・しかし仏教は廃れない!

2014年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム

日本中にお寺は何万とあり、どんな山里に行ってもお寺があります。

江戸時代、明治、大正、そして昭和20年までは人々は檀家としてお寺と強いきずながあったのです。

先祖代々の墓がお寺にあり、たとえ遠方に住んでいてもお彼岸やお盆には里帰りをして先祖代々の墓に参った人も多かったのです。

しかし終戦後の困窮時代に住職さんとその家族も生活が苦しくなったのです。

お寺にはお布施以外の現金収入がありません。

戦後のインフレ時代にはお布施だけでは食べて行けません。

仕方なくあちこちのお寺では墓地を高額で売りに出したり、広い境内を駐車場にして収入拡大をしたのです。

そして有名なお寺では参拝客から拝観料を取り出したのです。

それを見て、心ある人々はお釈迦様が悲しんでいるに違いないと思っていたのです。

多くの人々は住職さん達の営業活動を見てお寺から離れて行ったのです。

その上、経済の高度成長期以後は多くの人々がお墓をお寺に作らないで、民間の経営する花の咲いている交通の便利な墓地に作るようになったのです。

無宗教の人々が増え、お墓さえ作らずに樹林葬や海に散骨する風習が広がったのです。

しかし仏教が廃れたわけではありません。

お釈迦様の教えは深く広大です。その慈悲の心は貧しい人にも富める人にもあまねく平等に注がれるのです。

足るを知り、あるがままに生きている人々をお釈迦様は大切にし、受け入れてくれるのです。

お寺と人々の絆が弱くなっても、日本では相変わらず仏教に関する本が売れているのです。般若心経の解説をした本も売れるのです。

日本人はみんな無常という言葉を知っています。色即是空(しきそくぜいくう)という言葉を知っています。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、・・・という平家物語の冒頭の句を知っています。

ですから日本人のアイデンティティーの一つはこのような言葉を知っていて、時々思い出し、その意味を考えることと言っても大きな間違いが無いと思います。

正岡子規の「柿くへば、鐘がなるなり、法隆寺」という俳句とともに法隆寺の写真をお送りします。平成5年に世界文化遺産に認定されました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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(写真の出典は、http://narabungei.blog4.fc2.com/blog-entry-137.html です。)

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(写真の出典は、http://nekousagi.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-3c0e.html です。)


やっと梅がチラホラ咲き出しました・・・神代植物公園梅林にて

2014年01月29日 | 写真

梅の開花が待ちどうしくて先程、神代植物公園の梅林へ行ってきました。

数十本の梅林に2、3本だけ咲き出していました。

それでも多くの気の早い人たちが咲き出した木の周りに集まってさかんに写真を撮っていました。

早咲きの梅の写真の写真をあ楽しみ下さい。

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神社と人々のきずな・・・神社にまつわる楽しい思い出

2014年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

気楽に読める文章を書く。読めば心が明るくなる。幸せな気分になる。

そのような文章を書くのがこのブログの方針です。

今まで人々の間の絆(きずな)について何度か書いてきました。そろそろ人間と神との間の絆の話に移ろうと思います。

そうすれば当然、神社の八百万の神々と日本人のお付き合いの風景から始めるのが自然です。お釈迦様やキリストとの絆はその後に気楽に書く予定です。

神道の教義や小難しい神道論議は一切省略です。

それよりも日本人の神社にまつわる楽しい思い出を書きます。

人々は幼少の頃から神社のお祭りや出店を楽しんできました。神社の境内でかくれんぼをしたり走り回って遊びました。

そんな楽しい思い出を書きながら、 神社との人々のきずなについて考えてみたいと思います。

まず下の写真をご覧下さい。

今年の元旦の小金井市にある貫井弁天(上)と稲穂神社(下)の初詣の風景です。家族連れの人々が楽しげに行列をつくり、年の初めのお祈りをしている風景です。

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上の稲穂神社は2人の子供が生まれた時のお宮参りをした所です。3人の孫もお宮参りをここでしました。七五三にも参拝しました。鈴を鳴らし柏手を打ち、頭を下げてお願いをする。それでなにか心が穏やかになります。

下の貫井弁天は幼い孫たちを連れて池の鯉に餌をやりました。毎日のように通ったものです。貫井弁天からはお正月に獅子舞がやって来ます。

ですからこの2つの神社には自分の子供達と孫達が幼かった頃の楽しい思い出が沢山つまっているのです。

「神社は楽しい所」という思い込みは私の幼少の時代に出来上がり、心の底に棲みついているのです。

仙台市の愛宕山のそばで生まれ、育った私は愛宕神社で遊び回ったのです。

祭礼の日には神楽や漫才を飽きずに何時間も見たものです。沢山の楽しい出店が出ていました。

その愛宕神社の同じ境内に虚空蔵菩薩神社があり、その拝殿に上がったり、縁の下に入ったりしてよく遊んだものです。

虚空蔵菩薩神社と大鐘は下の大満寺が管理していました。神仏混淆です。

幼少のころは神仏混淆など知りませんでしたから、2つの大きな神社がある愛宕山は単なる遊び場だったのです。

大人のいない広々とした子供だけの天国だったのです。神官も出征してしまったのか社務所はいつも閉まっていて人の気配がありませんでした。

神社と日本人の絆はこうして遊び場の思い出、祭礼の思い出、神輿や獅子舞の思い出として、自然発生的に出来ているのです。

神社とその氏子という関係は強くはなく、神社とのお付き合いは気楽です。

神官が家々に回ってきて寄付を強要しません。少しのお賽銭をあげるだけです。

この関係はお寺さんとのお付き合いや、キリスト教の教会とのお付き合いに比べれば非常に気楽で、心の負担になりません。

この気楽さが若者にも良いのでしょう。多くの若いカップルが初詣をしたり、女性が「パワースポット」を求めて神社によく行っているのです。

神社と日本人の絆は意識する必要もありません。それは渇いた人が水を飲むように自然に出来てしまう絆なのです。

日本人の行くところでは必ず神社を建てます。台湾でも朝鮮でも樺太でも満州でも、そして南太平洋の日本統治の島々にも神社を建てました。

神社との絆は日本人のアイデンティティーの一つなのです。

さて皆様は神社に対してどのような楽しい思い出をお持ちでしょうか?

思い出してお楽しみ下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

=====参考資料===================

神社とは;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%A4%BE

「神社の名前」

近世まで、固有名の部分を除いた「神社」「大社」「宮」などの社号に特別な基準はなく、一つの神社が状況によって異なる呼ばれ方をすることもあった。明治時代に神社が国家の管理下に入ると、公認されたもののみが「神社」を名乗り、大社・神宮などを名乗るには勅許などが必要とされた。終戦後には政教分離により国家、皇室が神社に直接関与しなくなったため、特に許可がなくても、大社、神宮を名乗れるようになった。

伊勢神宮に代表される神宮号は7世紀まで遡る古いもので、由緒が皇室神話に関わるごく少数が神宮と名乗ることを許された。明治時代には、単に「神宮」といえば伊勢神宮を指した。明治天皇を祀る明治神宮が創建されると、他の天皇を祀る神社も順次神宮に昇格した。こうして、歴史上の人物を祀る神社で、天皇を祀るものを神宮、皇族を祀るものを、功臣等を祀るものは神社とされた。

戦後に神宮を名乗るようになった神社には北海道神宮(旧札幌神社・北海道)、伊弉諾神宮(兵庫県)、英彦山神宮(福岡県)がある(京都府亀岡市の元官幣中社出雲大神宮等の「大神宮」は「神宮」号とは異なるとされる)。福岡県福岡市東区の香椎宮のように、いわゆる神宮ではないのに、最寄りの駅名が香椎神宮駅(香椎線)であるために誤解される例もある。

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日本の神社の総数79335社http://naka-se.com/yogumi/sight/jinja/kazu.html

 全国の神社には、さまざまな神さまが祭神として祀られていますが、その一方で同じ名前の神社も全国各地で見かけることがあります。

 街を歩いていると、また里を訪れると、しばしば目にする神社。どんな小さな集落にも一つはあるにちがいないが、そもそも日本にはいったい神社がいくつあるのでしょうか?
 その答えは79335。神社本庁が平成2年(1990年)から平成7年(1995年)にかけて実施した「全国神社祭祀祭礼総合調査」に基づく数字です。ただしこれは、きちんと「神社」として届け出があるものに限られますが。

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神社本庁が説く神道とはhttp://www.jinjahoncho.or.jp/iroha/index.html

街中の赤い鳥居、田んぼの中のこんもりした森、山の頂の小さな社、全国至るところに神社はあります。神社のある風景、それは映画やドラマでもおなじみの、ごく身近な、しかし日本にしか見られない独特の風景です。

このような神社を中心とした、日本の神々への信仰が神道です。

神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知しました。また、自然の中で連綿と続く生命の尊さを実感し、あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとして捉えたのです。そして、清浄な山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつりました。やがて、まつりの場所には建物が建てられ、神社が誕生したのです。このように、日本列島の各地で発生した神々への信仰は、大和朝廷による国土統一にともない、形を整えてゆきました。そして、6世紀に仏教が伝来した際、この日本固有の信仰は、仏教に対して神道という言葉で表わされるようになりました。

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コメント

本日もブログの更新、ありがとうございます。気になり見させていただきました。紅白梅、香りが漂よってきそうな感じでした。ありがとうございます。神社についても色々とありがとうございました。今後、写真をお送りできればと思います。伊勢神宮の「お白石持ち」に参加できました。友人が伊勢神宮の宮大工をしていまして、一緒に参加しました。また、小生、京都市右京区の「梅ノ宮大社」のお世話をいたしております。5月3日にはお祭りで神輿を担ぎます。1年間に10回くらいは担いでいます。わら天神、伏見稲荷、松尾大社、貴船神社、御霊神社、清明神社、八坂神社、山王神社、天童神社、嵯峨まつりなどです。神様と人間の間(ま)をつりあわせると先輩から聞きました。それが「まつり」だと。八坂神社の御神輿は7月17日(山鉾巡幸の夕方)と24日(後祭り)があります。2日とも仲間2,000人くらいと担ぎます。私の担当は「三若みこし会」(すさのうの尊)で副会長です。夜の京都の街を巡幸する神輿はいいものですよ。すみませんヨットから神輿の話になりました。失礼しました。


崖と冬の雑木林の写真

2014年01月28日 | 写真

昨日、散歩かたがた稲城市の多摩川段丘の崖の写真を撮りに行きました。

崖の上の雑木林がすっかり落葉していて、冬空に美しいシルエットを描いていました。こんな荒々しい自然が都内に残っていることに感動しています。

お寺の脇に広い駐車場がありますす、JR南武線の稲城駅から歩いて10分位の場所です。荒々しい自然がお好きな方はお出掛けになって見て下さい。

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昭和とともに消えてしまった暖かい人間関係(4)古い絆が消え、新しいきずなが生まれた!

2014年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日韓関係、日中関係のことは度外視しして、国内の人間関係を考えてみたいと思います。

すると日本の社会は現在良い方向へ、善い方向へ力強く変わりつつあります。

個人の自由を理不尽に縛りつけていた古い絆が消えて行き、個人の自由と尊厳が守られるようになったのです。

最近の若い人は古い家族・親類の絆、先輩後輩の絆、師弟の絆、そして学閥の絆などなどから解き放たれて、自分らしい人生を謳歌するようになったのです。

激動の昭和という時代が過ぎて、平和が続いたおかげで人々はやっと個人として人生を楽しむようになったのです。

そして最近重要視されている「絆」というものは自分の利害とは一切関係の無いボランティア活動や社会への奉仕的な活動によって出来た人間の新しいタイプの絆なのです。

自分の卒業した学校や職場とは一切関係の無い人間同士の暖かい絆です。

同じ趣味の人同士の絆もあります。地域活性化のためのボランティア活動の絆もあります。

そしてなんと言っても2011年3月11日の東日本大震災の被害者を支援するボランティア活動の規模の大きさと、暖かい心が感動的でした。それは現在でも根気良く続行されています。

被災者とボランティア活動をする人との絆ほど美しい絆はありません。

2011年の東日本大震災は言葉では表現出来ないほど悲劇的な自然災害でした。

巨大な悲劇でした。いやすことの出来ない不幸です。

しかし被災者とボランティア活動をする人との絆を見て少しだけでも救われた気分になった人は多いと思います。

それは日本における人間の絆を変革したのです。日本の文化の質を向上したのです。素晴らしいことです。

話は飛びますが、老化した自分も時々このボランティア精神の恩恵を受けています。杖をついて電車に乗ると、すかさず若者が立って、席を譲ってくれます。

そして足腰の弱った私を助けてヨットに乗せてくれる人もいます。(下に写真で説明します。)

懐かしい昭和が過ぎ去って、古い人間の絆が消えて淋しいです。悲しいです。

しかし新しい絆の恩恵を受けていると、日本の社会が良い方向へ、善い方向へ力強く変わりつつあることを実感します。日本は明るい社会になったのです。

平成時代になって、日本は閉鎖的な社会から開放的な社会になったのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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上の写真はボアンティア精神で私をヨットに招待してくれた繁田慎吾さん(左)と中村文政さん(右)です。私は船尾に固定したオーナーズ・チェアに悠々と座っています。インボードのエンジンの音が楽しく湖面に響いていました

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1月20日の霞が浦の空は明るく晴れ上がっていました。

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そして空のたたずまいはどんどん変わったのです。それは美しい一日でした。風があまり強くなく、のんびりしたセイリングを楽しんだのです。


淡路島にある日本三大水仙群生地、灘黒岩水仙郷の写真です

2014年01月27日 | 写真

先程、京都の田中正基さまから以下のコメントを頂きました。そして灘黒岩水仙郷のことを教えて頂きました。

早速検索して美しい水仙の花々の写真をお送りいたします。

花に飢えていたので嬉しく思いました。田中正基さま、有難う御座いました。

=====田中正基さまからのコメント=================

はじめまして、京都市在住の田中正基と申します。先日よりブログを拝見させていただいております。様々な場面で後藤さまのお人柄が想像できます。

このブログと出会ったきっかけは、50才になり船に乗りたいと考えておりましたところ、何もわからなかったので、ネットで検索しましたらこのブログに、出会いました。

パワーボートも考えておりましたが、ブログを拝見し、キャビン付きのセールボートに気持ちは片寄っています。まだ、免許がないので今春に取得しようと考えています。

船好きは小さいころよりありました。漁師町(兵庫県洲本市由良)出身で、船溜まりで遊んで育ちました。また、父は住友系の第一中央汽船の乗組員(機関士)として働いておりました。現在は京都市右京区在住ですが、退職後(府立高校教諭)には洲本に帰ろうと思い、こんな思いをしているところです。船に対する認識が甘いと叱られると思いますが、気軽な気持ちから考えていきたいと思います。貴重なお時間をいただきありがとうございました。これからもブログを楽しみにしております。

由良には水仙が美しい灘水仙郷があります。懐かしく思いました。投稿 田中正基 | 2014/01/27 10:19 

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以下は、http://www.awaji-web.com/index.php?sightseeing_suisenkyo から転載させて頂きました。(瀬戸内海国立公園 淡路島 灘黒岩水仙郷は、諭鶴羽山の南側斜面に面した約7haに500万本の野生のスイセンが群生してます。日本三大群生地の一つに数えられるスイセンの名所です。)

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昭和とともに消えてしまった暖かい人間関係(3)先輩後輩の愛、そして古い絆いろいろ

2014年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

人間どうしの絆は時代とともに変わっていくものです。江戸時代はそれぞれの藩の中での主従関係の絆や家系・親類との絆が非常に重要視され、農民や商人の間でもその影響が強くありました。

明治維新で廃藩置県が実施されると江戸時代の士農工商の身分制度に基づいた絆は次第に消えて行きました。

代わって新しい学校制度の導入にしたがって卒業した大学や師範学校、そして士官学校、などの学校の先輩後輩の絆が重要になったのです。

卑近な例で言えば、私が経験したことですが、現役時代に仕事で大会社や官庁を訪問すると、私の卒業した東北大学の先輩たちが沢山出てきて親切に対応してくれるのです。

決して他の大学の卒業生は出てこないのです。

会社や官庁には学閥が形成されていました。そして異なる学閥どうしのバランスを上手に調整するのが人事部だったのです。

そのような人間のきずなは経済の高度成長後に消えて行きました。

それで同じように消えて行った日本人のきずなを考えてみると他にも沢山あります。

たとえば結婚の仲人をしてくれた夫婦には一生、お中元やお歳暮を送るという習慣も昔はありましたが、次第に消えて行きました。

私どもへ相変わらず贈物を続けている夫婦は盛岡神社で挙式したY夫妻だけになりました。頼まれた仲人でしたがその奥さんは何十年も家内と温かいきずなを持っています。

お中元やお歳暮といえば職場の上役さんへ送る人も多かったのです。会社勤めの人にとっては頭を悩ます問題でもあったのです。

現在でも続いているようですがその重要性は減少しました。

お中元やお歳暮は恩師と弟子の間でも盛んに送られていました。師は一生の間、弟子の先生であり盆暮の挨拶やお正月の挨拶は欠かせませんでした。

伝統的な芸事の世界ではまだその習慣が残っていますが、一般社会では消えて行きつつあります。

会社同士のきずなも様変わりしました。以前は大会社とその下請け会社の子会社とのきずなは非常に固かったのです。

大会社は子会社の技術的な指導をして、さらに経済的支援までしてくれたのです。もちろん子会社は一つの親会社の仕事しか下請けしなかったのです。

それがバブル経済の崩壊で消えて行ったのです。

当然、親会社で働いている人と子会社の人との主従関係のような絆も消えて行ったのです。

このようにして日本の社会における暖かい人間の絆が消えて行ったのです。昭和という時代が消えるとともに消えて行ったのです。

老境にある私にとっては懐かしい人間のきずなです。それが消えて行くのは淋しい光景です。

しかし私は一方で新しい、そして素晴らしい人間同士の絆が出来てきたことを見逃してはいません。

そのことは続編で書いて行くつもりです。輪廻という言葉を連想しています。

下に挿絵がわりに花の写真をつけました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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デパートにはもう春の色があふれています

2014年01月26日 | 写真

1月23日に久しぶりに家内と吉祥寺の東急デパートに行きました。

そうしたらデパートの中の婦人服売り場は春がきたように、明るい色彩であふれていたのです。

黄色いロウバイや紅白の梅やスイセンやクロッカスが一斉に咲き出したようです。すっかり春です。それとなく写真を撮ってきました。

下にお送り致します。春の色彩をお楽しみ下さい。

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それにしてもデパートも変わったものです。自分が大学生だった1954年から1958年の頃はデパートといえば美人の店員さんであふれていたものです。

写真を撮りながら、それとなく観察してみると店員さんたちはみな中高年のご婦人なのです。あの時代の美人の店員さんたちは何処へ消えてしまったのでしょうか?

あれから56年の月日が流れました。人生は一朝邯鄲の夢と言いますが本当です。

そんなことを考えて、婦人服売り場の「待ち人用の椅子」に座って家内を待っていました。老境の午後のひとときでした。(終わり)


外国の宗教を尊敬し、一緒に祈ると心豊かな人間になれる

2014年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日曜日なので宗教の重要性について書いてみたいと思います。これからミサへ行く前の静かな時間です。

どこの国へ行っても、そこに住んでいる人と仲良くなり、楽しい人間関係を作れる人を「心豊かな人間」と定義します。

生まれつきの性格や外国語を知っていることも重要ですが、その国の歴史や文化を尊敬し、現地の人に教えてもらおうという態度が非常に重要です。

信頼すれば、信頼される。尊敬すれば、尊敬される。感銘すれば、感銘を与えることが出来る。これを実行できる人が「心豊かな人間」なのです。

我々日本人が外国に行っても、その国の人を深く理解が出来ない一つの理由は宗教とか信仰というものを無視しがちなためです。

いくら英語やスペイン語やロシア語や中国語や韓国語が達者でもその国の宗教を理解し、それを尊敬していなければ親密になれないのです。

それも無理からぬことではあります。日本人は、ある統計によると宗教を信じない人は70%前後なのです。

このような国は世界中で日本だけの特異なことなのです。例えばアメリカ合衆国では80%前後の人が神の存在を信じています。

それでは世界中の人々はどうのような宗教を信じているのでしょうか?

そして、それぞれの宗教の信者の分布はどうなっているのでしょうか?

それはちょっと調べればすぐに判ります。末尾の参考資料に示した通りです。

まず以下の文を読んでからゆっくりご覧ください。そして深くお考え下さい。

さて、「心豊か人間」になるための第一歩は世界中の宗教と信者の分布を知っておくことです。

しかしそれは知識に過ぎません。知識は、しょせん知識です。無力です。

行動と体験が重要なのです。

行動とは、外国に行ったらそこにある寺院や教会やモスクを訪問することです。異教徒でも入って良い場合は、中に入って信者の祈っている姿を尊敬しながら眺めます。

無宗教でも異教徒でも拝んでよい場合は現地の人々と一緒に祈ります。

例えば道教寺院では長くて太い線香を買って、周りの人々を真似して家内安全・無病息災を祈ります。そうすると道教寺院に来る人々の悩みや苦しみを共有しているような気分になります。

そしてカトリックの教会では常に扉が開いていて、誰でも出入り自由です。中に入って静かに座っていると信者が独りでお祈りに来ます。座ったり、膝まづいて祈っています。祈っている人の悩みや苦しみを共有しているような気分になります。

深い親近感が湧いてきます。尊敬の念も湧いてきます。

話は飛びますが、昔、南米のカラカスという大都会に行ったことがあります。日曜日にカトリックのミサに行きたくなりました。ホテルのカウンターで聞くと裏にある大闘牛場で日曜日朝10時からあるから行きなさいと教えてくれます。

そのミサの光景は一生忘れられません。闘牛士と牛が死闘をしていた広場の中央に大きな赤い絨毯が敷いてあります。その上に数十人の神父さんたちが立っています。周りには折りたたに椅子に座った信者たちがビッシリといます。そして私が立っている高い観客席にも信者がいます。

後で聞いたことですが、その信者は皆、山の斜面にある貧民街の住人たちだったのです。原住民の血が混じった浅黒い人々です。

一緒に讃美歌を歌い、一緒に祈りました。それがキッカケで、後に山の斜面の村落に行ったのです。

この体験のおかげで人間の苦しみや悩みは貧富や国籍に関係なく、皆同じだという確信を持つようになりました。

そこで、その後、いろいろな外国へ行った時、その土地の寺院や教会を訪問するようになりました。一緒に祈りました。

その土地の人々と話をするとき、その国の信仰に感銘をうけたと少しだけ話をします。そうすると相手も親近感が湧くらしくていろいろな話をしてくれます。

私は知ることだけでなく、一緒に体験をすることが大切だと信じています。

悩みや苦しみを共有する努力が重要だと信じています。

すると「あらゆる民族の宗教には優劣が無い」ことを確信できるのです。

私は依然として愚かな人間です。しかしほんの少しだけ「心豊かな人間」になれたような気分になるから不思議です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

====参考資料=======

===世界の主な宗教の分布===

Img_021

(出典は、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sanka/kyouiku/kaihatsu/chikyu/statistics/public_facilities/graph_01.html です。)

===世界の宗教と信者数===

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(出典は、http://www.hm.aitai.ne.jp/~genkou/isikimu/reikonn/syuukyoujinnkou.html です。)

そして下には台湾にある道教寺院の写真を示します。

===堂々たる台湾の道教寺院===

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(出典は、http://m-mikio.world.coocan.jp/taiwanshuukyou.htmlです。)


フロントグラスの向こうに、つぎつぎ現れる風景

2014年01月25日 | 写真

甲府盆地を東西に横切っている中央高速道路を西に向かい、韮崎ICを下りて、釜無川南岸ぞいの広域農道をドライブして行くと、次々に山々が現れて来ます。

雪を頂いた山容を見ると気持ちが高揚し、晴れ晴れとした気分になります。

そのような写真をお送りします。撮影は1月16日でした。お楽しみ下さい。

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甲府盆地に入ると間もなく南アルプスの主峰の農鳥、間の岳、北岳がフロント・グラスの向こうに見えてきます。

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韮崎の町から広域農道に入ると八ヶ岳が次第に大きく迫ってきます。

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その広域農道を進んで武川町に入ると正面に甲斐駒岳が大きく見えてきます。

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武川町柳沢地区の石空川(いしうとろがわ)の手前で左折して山道に入り、上のような未舗装の道を根気よく登ります。すると山林の中の小屋に着きます。

写真を撮ったり、サービスエリやコンビニに寄ったりしてのんびり走るにので自宅から片道3時間弱かかります。片道150Kmのドライブです。

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帰路は甲府盆地を東へ向かうので富士山がいつまでも見えます。上は武川町の広域農道から富士山を見た写真です。

毎回一緒に行く家内が毎回富士山に興奮します。趣味趣好として多くの場合は和風を好みます。そして富士山が好きです。原日本人なのです。

このまま韮崎ICから中央高速道路に乗って、帰宅しますが、時々は甲府の西にある湯村温泉の旅館やホテルにに一泊したり、河口湖まで登って富士ビューホテルに一泊して帰ってきます。

そんなことをしながら老いの日々が静かに流れていきます。

ゴールド運転免許が更新できたので、健康に注意しながらもう3年間だけはこのような小さな旅をしたいと思っています。老境は意外にも静かで平穏なものです。

皆様はどのような旅を楽しんでいるのでしょうか?