この句の解釈や良さについてはさて置くとして。
尊敬する山本健吉氏が、この句の技法について述べている。
「この句は動詞終止形で止めた、散文的な直所叙体である。
ことに誓子の即興的な非情の句には、よく調和した表現であった。
たとえば、「夏の河赤き鉄鎖のはし浸かる」のごときがある。
この表現法は俳句的なイロニックな把握が弱く、悪くすると散文的な
説明調に流れやすいが、切れ字を濫用した大時代な月並み調になる恐れは
少ないわけで、誓子の句のような即物的なメカニックな対象把握には、 成功する場合が多い。」
誓子の句を並べてみた。
夏草に気缶車の車輪来て止まる
蟋蟀が深き地中を覗き込む
麗しき春の七曜またはじまる
秋の暮れ山脈いづこへか帰る
雪の富士雪無き裾を長く曳く
成程と思った。そこで身の程知らずは鉛筆をなめたが・・・景が浮かばない!!
尊敬する山本健吉氏が、この句の技法について述べている。
「この句は動詞終止形で止めた、散文的な直所叙体である。
ことに誓子の即興的な非情の句には、よく調和した表現であった。
たとえば、「夏の河赤き鉄鎖のはし浸かる」のごときがある。
この表現法は俳句的なイロニックな把握が弱く、悪くすると散文的な
説明調に流れやすいが、切れ字を濫用した大時代な月並み調になる恐れは
少ないわけで、誓子の句のような即物的なメカニックな対象把握には、 成功する場合が多い。」
誓子の句を並べてみた。
夏草に気缶車の車輪来て止まる
蟋蟀が深き地中を覗き込む
麗しき春の七曜またはじまる
秋の暮れ山脈いづこへか帰る
雪の富士雪無き裾を長く曳く
成程と思った。そこで身の程知らずは鉛筆をなめたが・・・景が浮かばない!!