575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

俳句の力        愚足

2008年12月15日 | Weblog
・・・多くの収容所と同じくシベリアでも、わずか一塊の黒パンを食べたいが故に罪もない仲間を売ったり、一刻も早く帰還したいがために仲間を告発したりと、同じ日本人とは思えない仕業が繰り広げられていた。
そんな殺伐とした収容所の中で山本幡男という人物が俳句の会を開いた。
 無断の集会や紙への記録はご法度の収容所であるが故に、地面に木の枝で俳句を書いて楽しむという方法で一人二人と同好の士を集めていく。
 ダモイ(帰還)、という希望の言葉を胸に抑留者は理不尽な重労働、栄養失調に耐えていたが、その苦しい生活の中での俳句は生きる喜びを収容者に与えていった。
 その俳句の会を主催していた山本幡男が帰還を目前に病に倒れ、日本で帰りを待つ家族にあてた遺書を仲間が届けたのである。紙に書いたものは全てソ連側に没収されるので、山本幡男の仲間たちは手分けして遺書を暗記し、頭に叩き込んで帰国したのである。過酷な条件下でも人は人として生きることができることを山本幡男は証明したのである・・・

★という佐々木昇氏の書評に惹かれて、辺見じゅんの「収容所から来た遺書」を読みました。久しぶりに感動すると共に俳句の座としての力を知らされました。
 文中収められた句を紹介します。

  地に書いてうなづき合ふや日向ぼこ 山本
  千人に綿衣わたして逝かれけり   栗仙 (被服係だった仲間の死に)
  寒月は満つれど風の哭く夜かな   山本 (同上         )
  不幸なる児となり果てぬもがり笛  湘江 (日本から妻の死を知らされ)
  小さきを子供と思ふ軒氷柱     
  大寒を行とし日々を逆らはず    栗仙
  生くことは悦びといふ木の芽見る  虻郎
  春寒や草にがって鳴る紙片     秋径
  亡き母の齢となりぬあかぎれて   湘江
  
シベリアにはシベリアの歳時記がありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする