あの太平洋戦争の始まった1941年12月8日からちょうど70年。
私は、まだ生まれていませんでした。
2008年に愚足さんが、このブログに掲載したものを、
もう一度、紹介したいと思います。
「記念日俳句」というHPがあります。
365日記念日の無い日は無いのですが、その記念日に合わせたお題で
俳句の応募を募り載せています。
その中から、十二月八日の終戦記念日の句会の様子を紹介させていただきます。
太平洋戦争開戦記念日 寒蝉選
Date: 2005年12月08日 (木)
【天】
太平洋戦争開戦記念日梵鐘の流離譚 青榧
【地】
文箱冠水す太平洋戦争開戦記念日 中村安伸
【人】
太平洋戦争開戦記念日 謝らぬ子を押し入れに ほにゃらか
【選評】
天の句は戦争を真正面から批判するのでなく、梵鐘たちの流離譚を
思い起こさせることによって却って反省を促す効果がある。
梵鐘や銅像は供出されて軍艦や飛行機になり、
例えば大和のように轟沈し海の藻屑となったり、
例えば長門のように武装解除された後水爆実験で沈められたり・・・。
地の句のシュールな光景もまた先の戦争への痛烈な批判となっている。
文箱は日本の伝統的な文化を象徴すると見た。
それが冠水するとは勿論軍艦の沈没するイメージを重ねながら
アメリカ文化に染まって失われていく日本の文化の状況を言っているとも取れる。
いやそのような戦後の状況と取らなくても戦争が起こることによって
文化の被る軍部からの圧迫(例えば新興俳句の弾圧など)を
指しているのかもしれない。実に深い句だ。
人の句は誰にも覚えのある幼い頃叱られた思い出に戦争で
負けたわが国の状態を喩えている。
押入れに押し込めようとしているのはアメリカとも取れるし
「謝らぬ子を」という表現からは中国とも。
いずれにせよ先の戦争は子供が親に反抗するような無謀なものだったとの見方。
太平洋戦争開戦記念日草鞋のやうなステーキ食ふ 寒蝉
(愚足)
では、開戦の日を、当時の俳人はどう詠んでいたのでしょうか。
うてとのらすみことに冬日凛々たり 臼田亜浪
かしこみて布子の膝に涙しぬ 富安風生
冬霧にぬかづき祈る勝たせたまへ 水原秋櫻子
大詔や寒屋を急ぎ出づ 石田波郷
大詔は、おおみことのり、と読みます。
感情を直接には詠まない石田波郷の句のほうが、今に伝わるものが・・・
影の濃き男や十二月八日 遅足