575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

いっぽんの冬木に待たれてゐると思へ  長谷川櫂

2011年12月18日 | Weblog
一本の冬木がある。あるいは、心の中の木かも知れない。
万物の枯れた冬景色のなかの孤高な姿。
待たれているのは作者だろうか。
あるいは、作者が冬木となって、待っているのだろうか。
その人は来るのだろうか。
命令口調に切ない思いがこめられているようです。

俳人の高柳克弘さんは、この句を詩人の魂と読んでいます。

長谷川氏が、とある座談会で、飯田龍太氏に
「射程を長く取りなさい」という言葉をかけられ、
以後そのことが常に 胸中にある、ということを語っていた。
この言葉は、掲句とともに、私の心中にも深く刻まれることとなった。
はるか彼方に立つ「冬木」は、目指すべき詩境の隠喩として屹立している。
夏の緑の木は木陰を作り、いかにも人を待っているようであるが、
「冬木」は御世辞にもそのようには見えないはず。
それでも「待たれてゐると思へ」と自分に言い聞かせているところに、
詩人として生きていく孤独が凝縮されている。

                

さまざまな読解が出来ますね。
私は恋の句として読みたいと思います。   遅足


コメント
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