疲れることもなく、いつまでも跳び続けることが出来る。
そんな気分。無の境地に、と作者。
ランニングハイと同じように、かな?
私はランニングが苦手。
一度も、幸福感を味わったことがありません。
動詞が3つ。俳句的には、それが成功する場合もあります。
この句の場合はどうでしょうか?ひとつ無くして
澄んでゆくただ縄跳びの輪の中に
と、どちらが作者の気持ちに近いのでしょう?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
昨日は小さい叔父さんの一周忌。法要の後に納骨。
新しいお墓に入った最初の人となりました。
私には二人の叔父さんがありました。
ともに母の弟で、歳上を「大きいオジサン」
下を「小さいオジサン」と呼んで、可愛がってもらいました。
昭和20年8月15日。母の里に疎開をしていた私。
小さいオジサンの背中で玉音放送を聞いていたとのこと。
残念ながら記憶にありません。
そんなことを思いだしながら納骨しました。
冷たい雪交じりの前が岡崎にも降っていました。(遅足)
応答の一日一句
店たたみ故郷に帰る枯野道 孝
靴の紐結び直して枯野行く 亜子
そんな気分。無の境地に、と作者。
ランニングハイと同じように、かな?
私はランニングが苦手。
一度も、幸福感を味わったことがありません。
動詞が3つ。俳句的には、それが成功する場合もあります。
この句の場合はどうでしょうか?ひとつ無くして
澄んでゆくただ縄跳びの輪の中に
と、どちらが作者の気持ちに近いのでしょう?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
昨日は小さい叔父さんの一周忌。法要の後に納骨。
新しいお墓に入った最初の人となりました。
私には二人の叔父さんがありました。
ともに母の弟で、歳上を「大きいオジサン」
下を「小さいオジサン」と呼んで、可愛がってもらいました。
昭和20年8月15日。母の里に疎開をしていた私。
小さいオジサンの背中で玉音放送を聞いていたとのこと。
残念ながら記憶にありません。
そんなことを思いだしながら納骨しました。
冷たい雪交じりの前が岡崎にも降っていました。(遅足)
応答の一日一句
店たたみ故郷に帰る枯野道 孝
靴の紐結び直して枯野行く 亜子