この句に票をいれた晴代さんは、選んだもののいまひとつ読み切れないとコメントされました。確かに
何が「残されし」ものだったのかで、分かれるところかもしれません。
「残された日傘」と思うと、忘れもの?か形見の傘か?少々古びた年代ものかもしれない。
日傘から浮かぶ持ち主の人生や、愛しく思う気持ちを詠んだともとれます。
そこでこの句の背景を伺いました。
作者 亜子さんは、南山大チャペルでの朗読会におひとりで出かけました。初めて行く場所に加えその日は暑かった。途中で行き方を尋ねたりしながら、夢中で歩いてようやく行き着いたそうです。達成感はあったものの、来年も日傘をさして歩いて外出できるかわからないと思った感慨の句ということでした。
(そうだったのですね。)
寄せられたコメントを紹介します。
童子さん: 誰かの残された日々か、自分に残された日々なのか。毎日を大切に過ごしたいと思わせてくれる句です。
千香子さん: この日傘もどれだけ使うのだろうか、 愛しくなる 、心残りに思うという気持ち に共感しました
遅足さんもとられました。 日傘は自分の足で意志でしっかり大地を踏みしめる際の「相棒」なのだと気づかされました。
この朗読会は、石牟礼道子「苦界浄土」より「天の魚」。
私もご一緒したいと思いながら用事が入り叶わなかったものです。
暑いさなか、日傘をさして坂道を登る小柄な作者の姿が浮かびます。
次回は必ず一緒に行きましょうね。ともに日傘をさして。 郁子