とつおいつという言葉を今回初めて知りました。
意味としては「取りつ置きつ」の音が変化したもので、手に取ったり下に置いたり考えが定まらず、あれこれと思い迷うさまとありました。
まさに投句〆切迫る私の状態にぴったりの表現です。
9月の兼題「秋の虹」は揃ったようです。発表をお楽しみにしてください。
いただいたコメントです。
竹葉さん:迷ってるのは夕食の献立なのか、そうでなくても、冷奴食べればいいや、というなんか冷奴が暗い感じを吹き飛ばしそうで好きです。
能登さん:自分に無関係に過ぎゆく時間を、冷奴が受け止める。哲学的です。
須美さん:食欲がないのでしょうか。なんとか食べようとするけれど食べられないまま夕暮れてしまったのでしょう。ゆうぐれてゆく冷奴という表現が面白い。
ユーモラスにも哲学的な奥深さも感じる秀句と思います。日が暮れてあたりが薄暗くなるにつれて白い豆腐が浮かび上がるという映像的な効果もあり。冷奴だけ漢字表記というのも食べ物の句がお好きという作者の企みでしょうね。
もう一句食べ物です。
あぐらかく父のまねして南瓜の子 遅足
童子さん:大きな南瓜が胡座をかいているように見えたのでしょうか。父子に見立てたほっこりする句ですね。
確かに日本カボチャのごつごつ感は、胡坐をかいているよう。
南瓜の子というだけで風貌が浮かびます。丸刈りでランニングシャツ姿、不器用な素朴な少年・・(勝手な想像です)
「やーい。土手カボチャ」 やんちゃ坊の悪態の常套句でした。
「いいもーん。カボチャ美味しいもん」とそのたび言い返していた私。
懐かしい思い出です。 郁子