このブログにも時々登場した父が先月12日に95歳で逝去しました。先月の私の句はおのずと父のことを詠んでしまいました。
白菜を漬ける父の手大きな手
亡くなる前の日もお見舞いに行き、病床で父の手を握りました。父の手は大きく爪の形も私とよく似ていました。母亡きあと一人暮らしをやり通し、お味噌汁も自分で作っていました。中身は豆腐とわかめです。白菜漬けの恒例行事のことは先週も書きましたが、体の弱い母の家事を助けていました。母が大きな漬物の樽の底にまず塩を入れる時、塩の目分量を「初雪くらいにうっすらと」と言っていたことを思い出します。その母のアドバイスに従い父は初雪のように塩を振り、毎年たくさんの白菜をその大きな手で漬けていました。そんな思い出の句です。
そして自由句は
父の文字小さくなりぬ年賀状
父は、去年の12月初めからあまり食べられなくなっていました。それでも年賀状はいつも通り手書きし、投函は義姉に頼んで早々と15日に出していたそうです。ですから我が家に元旦にちゃんと届きましたが、宛名の字が例年より小さくなっていて私ははっとしました。文面には「福寿」とあり「皆様のお蔭で新春を迎えることができ嬉しく思っています。96歳の春に向けてがんばっていきたいと思います。本年もよろしくお願いいたします。」と書かれていました。お父さんからの最後の年賀状になるかも?と不安な気持ちがよぎりました。そんな経緯で出来た句です。それから12日後、大好きな母の元に逝ってしまいました。3月3日が誕生日の父は、亡くなる日の午前中も指を三本ずつ立てて、3月3日まで頑張る意志を示していたそうです。
父がいなくなってもうすぐ一か月。亡くなった感じがしないのですが、夕方毎日のように電話で話していた時間がぽっかり空いてしまっています。また父のことを詠みたいと思います。 麗子