日本男道記

ある日本男子の生き様

無智亦無得とは

2008年07月18日 | 般若心経解読
無智亦無得(むちやくむとく)とは
道理に目覚めることもなく、道理を会得することもなく、という意味。
ここでの智は、道理に目覚めるの意。
いくら大切な教えでも、その教えに説かれた本体を見失い、言葉にとらわれ、理屈ばかりこねまわしていたのでは、道理に目覚めることも、道理を会得することもできないということ。


『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩W〓依般若波羅蜜多故、心無c礙、無c礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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般若心経 (Han-nya singyou)

無苦集滅道とは

2008年07月11日 | 般若心経解読
無苦集滅道(むくしゅうめつどう)とは
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみのなくなることも、苦しみを離れる方法もないと、いう意味。
「苦集滅道」は、原始仏教の根本の教えであり「四諦(したい)」という。次の四つの段階から成り立っている。
(1) 苦諦 くたい・人生は苦であるという真理
人生が思うようにいかないのは、次の八つの道理による。
  生・人は生まれたとき、すでに思うようにいかない要因を宿しているという苦しみ。
  老・生まれたものは必ず老いていくという苦しみ。
  病・生あるものは病むことから逃れられない苦しみ。 
  死・命あるものは必ず死ぬ苦しみ。
  愛別離苦(あいべつりく)・愛する人との別離のときが必ずくるという苦しみ。
  怨憎会苦(おんぞうえく)・怨み憎みあう者がともにいる苦しみ。
  求不得苦(ぐふとっく)・求めるものが得られない苦しみ。
  五陰盛苦(ごうんじょうく)・体と心に苦しみの要因をかかえているということ。以上の生老病死の四苦と、そのあとの四苦を合わせて四苦八苦という。
(2) 集諦 じつたい・苦悩の原因は人間の欲望や愛着の心にあるという真理。
         ・集めたもの、財宝などへの愛着が苦悩の原因となる。
(3) 滅諦 めつたい・苦悩の原因である煩悩が完全になくなった状態。
    ・仏教の目指す理想境は涅槃にあるという真理。
(4) 道諦 どうたい・理想境である涅槃に到達するため、煩悩を滅却するには八つの正しい道「八正道(はっしょうどう)」を実践することであると、具体的な方法を示している。
正見(正しいものの見方を培う)、正思(正しいものの考え方を培う)、正語(嘘をいわず正直に話す)、正業(正しい行いをする)、正命(正しい生活をする)、正精進(正しい努力をする)、正念(正しい意識、目標をもつ)、正定(心を正しく保つ)



『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩W〓依般若波羅蜜多故、心無c礙、無c礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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般若心経 (Han-nya singyou)

無老死亦無老死尽とは

2008年07月04日 | 般若心経解読
無老死亦無老死尽(むろうしやくむろうしじん)とは
老い、そして死んでいく、これが生けるものの定め。
しかし、般若心経の空の思想では、老死はない。同様に生の存在も否定して、空だという真理を説いているわけだから、空なる存在には当然、滅亡はなく、したがって老死はない。
老死はなく、また老死がないことすらないと、老死を見据え、向き合っていくことによって、老死の実体を知り、死の恐れを空じていく。


『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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般若心経 (Han-nya singyou)


乃至とは

2008年06月27日 | 般若心経解読
乃至(ないし)とは
「無無明亦無無明尽、乃至、無老死亦無老死尽」の乃至も、無明から老死までの間が省略されており、補って読まなければ意味が通じない。
略された十の相を加えると、無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死となり、これを十二因縁(いんねん)という。
十二因縁の教えは、人間が迷いを深め、苦しみにいたる過程を、十二の相で示したもの。
  (1) 無明  むみょう(無知,愚かな思い)
  (2) 行   ぎょう (潜在的形成力、行う)
  (3) 識   しき  (心作用、認識作用)
  (4) 名色  みょうしき(精神と肉体、名称と形態、成長する)
  (5) 六処  ろくしょ(六つの感覚器官、眼、耳、鼻、舌、身、意)
  (6) 触   そく  (心が対象と接触すること)
  (7) 受   じゅ  (感受作用)
  (8) 愛   あい  (愛欲、妄執)
  (9) 取   しゅ  (執着)
  (10) 有  う    (生存)
  (11) 生 しょう (生まれていること、生きること)
  (12) 老死 ろうし (老いゆくこと、死ぬこと)
この十二の相のうち、無明と行を過去の二因といい、識・名色・六処・触・受を果報の五果、そして愛・取・有を現在の三因、生と老死を未来の二因という。



『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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般若心経 (Han-nya singyou)

無無明、亦無無明尽とは

2008年06月20日 | 般若心経解読
無無明、亦無無明尽(むむみょうやくむむみょうじん)とは
無明もなく、無明の尽きることもなくの意。無明とは、人生やものごとの真相に無知であることをいう。


『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩W〓依般若波羅蜜多故、心無c礙、無c礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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般若心経 (Han-nya singyou)

無眼界、乃至、無意識界とは

2008年06月13日 | 般若心経解読
無眼界、乃至、無意識界(むげんかいないしむいしきかい)とは
眼で見て認識する眼界から、心で感じ認識する世界まで何もないという意味。
乃至は、何々~何々までということで、眼界から意識界の間が省略されており、その部分を補えば、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識が示されているが、それぞれに無がついているので、六識も否定されている。


『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩W 依般若波羅蜜多故、心無 c礙、無 c礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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般若心経 (Han-nya singyou)

無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法とは

2008年06月06日 | 般若心経解読
無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法(むげんにびぜつしんい むしきしょこうみそくほう)とは
眼も、耳も、鼻も、舌も、身体も、心もなく、形も、声も、香りも、味わいも、触覚も、心の対象もない。
迷いや邪念や妄想を起こすのは、人間に眼・耳・鼻・舌・身・意の六根(ろっこん)が備わっているからであるが、「六根」によって、次の「六境」色・声・香・味・触・法を認識する。
六根と六境すなわち主観と客観が、相互に交渉していくことを「十二処」という。
この処は、迷いと邪念を生じる根元の場所という意味。


『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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般若心経 (Han-nya singyou)


是故空中、無色、無受・想・行・識とは

2008年05月30日 | 般若心経解読
是故空中無色、無受・想・行・識(ぜこくうちゅうむしき、むじゅそうぎょうしき)とは
このゆえに、空が構成する実相の世界では、肉体もなく、感受し、想念し、分別し、認識する心もない。

『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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般若心経 (Han-nya singyou)


不生不滅、不垢不浄、不増不減とは

2008年05月23日 | 般若心経解読
不生不滅、不垢不浄、不増不減(ふしょうふめつ、ふくふじょう。ふぞうふげん)とは
生じることもなく、なくなることもなく、汚れもせず、清らかでもなく、増えることもなく、減ることもない、という教え。
不という字が六つついているので、これを六不(ろっぷ)の教えという。
不安の根源である、生、滅、垢、浄、増、減のそれぞれに不をつけ、それらの思いや認識を空じようということ。

『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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般若心経 (Han-nya singyou)


是諸法空相とは

2008年05月11日 | 般若心経解読
是諸法空相(ぜしょほうくうそう)とは
このように、すべての事物の姿は空である。
この世のすべては空相であると、心の底から納得できたとき、あらゆるものへの執着や、とらわれを離れることが出来、こだわりのないさわやかな生き方が全うできる。

『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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受・想・行・識亦復如是とは

2008年05月04日 | 般若心経解読
受・想・行・識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)とは
感受することも、思いをめぐらせることも、分別することも、認識することも、またこれと同様であるという意味。これと同様のこれは、空を指している。「照見五蘊皆空」の「五蘊(色受想行識)」のうち、「色即是空、空即是色」と色のみを空じたので、今度は、受想行識つまり心のはたらきも空と示している。
思いや心のとらわれは空であることに気づき、得られたもので満足して生きる心、足るを知る心で生きることを示唆している。

『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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色即是空、空即是色とは

2008年04月27日 | 般若心経解読
色即是空、空即是色(しきそくぜしき、くうそくぜしき)とは
「形あるものは空であり、空が形あるものとなっている」という意味。
この言葉は、般若心経の教えの要であり、仏教の空の思想を代表する一句。
色即是空とは、ものそれ自身は、実体として存在するのではないということを意味し、つまり、ものが存在するのは、そのものを存在させる様々な諸条件や諸条件が完全に備わることによって可能であるという。
空即是色とは、実体としてではなく、諸条件や諸要素に支えられ、寄り集まっているからこそ、そのものが存在するということ。
色即是空も空即是色も、まったく同じことだが、反復することによって、いっさいの存在は空であることを強調している。
これまでのものの見方を徹底して否定していくと、固定観念や先入観が排除され、それらの中にしみこんでいる執着や煩悩、それによって引き起こされる迷いが取り払われる。そこから新しいものの見方が生じ、自由な境地、自由な生き方が生まれてくる。
空の思想によって、様々な縁によって、生かされて生きている自己の存在に気付かされる。

『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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色不異空、空不異色とは

2008年04月20日 | 般若心経解読
色不異空、空不異色(しきふいくう、くうふいしき)とは
「形あるものは空であり、空なるものが形あるものを構成している」という意味。
つまり、形あるものは、絶えず変化し、やがて消滅して空に帰するということを表しています。
ここでの「色」は、認識の対象となる物質的存在の総称と言えます。


『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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般若心経 (Han-nya singyou)


舎利子とは

2008年04月13日 | 般若心経解読
舎利子(しゃりし)とは
「舎利子」は、仏陀の十大弟子の一人で智恵第一といわれた「シャーリプトラ=舎利弗」の漢字名。
子とは中国では先生の尊称、したがって舎利子は舎利弗先生という意味。
お釈迦さまよりも年長とされ、目連と共に釈尊の信任も厚く、仏教教団の後継者と目されていたが、お釈迦さまの入滅に先んじて病没。
お釈迦さまがこのお経を説くにあたってたくさんの弟子の中でも、特に舎利子に向かって解説をしているという設定になっている為、後半にも「舎利子」と出てくる。


『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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般若心経 (Han-nya singyou)


度一切苦厄とは

2008年04月06日 | 般若心経解読
度一切苦厄(どいっさいくやく)とは
「度一切苦厄」とは、観自在菩薩が「あらゆる苦しみや災厄から救われる道を示された」という意味。
「度」とは、渡る、渡すの意。つまり「迷いの世界から悟りの彼岸に渡ること」
□度世・・修行して悟りを開き、世俗を超越すること。
□滅度・・最高のやすらぎの境地である涅槃にはいること。
□得度・・出家して僧になること。
次に「度」の順序は一、発心。二、修行。三、菩薩。四、涅槃の四段階である。

『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

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般若心経 (Han-nya singyou)