ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」を見に行く

2019-05-15 22:29:22 | お出かけ
「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」なるものが、今、新潟市の新津美術館で行われている。


新潟市の美術館といっても、新津美術館はずいぶん郊外にある。
すぐ隣に新潟県立植物園の建物と広い敷地がある。
われわれ夫婦は、美術館巡りも花見も好きなので、かつては興味がある展示があると足を運んだものである。
6年前に娘が病に倒れてから、自由なお出かけができなかったから、しばらく来たことがなかった。
しかしながら、最近は娘もだいぶ体調が回復しているところがある。
だから、車で1時間近くの距離なら大丈夫だろうということで、3人で一緒に出かけたのであった。

前売り券も割引券も持っていないので、大人3人で3,300円は大きいけれど、やっぱり行ってよかったと思わせるものだった。

入館すると、当美術館は、受付から先が広い階段になっている。
その広い階段を利用して、踊り場に妖怪のパネルや記念撮影用のブースが用意してあったりした。





2階まで上っていくと、第1展示室と第2展示室に分かれているのがわかった。

その中で、展示は、水木しげるの人生を追う形で、第1章から第6章までで構成されていた。

第1章が、少年時代「境港の天才少年画家」
第2章は、戦争中の従軍時代「地獄と天国を見た水木二等兵」
第3章は、戦後の金がない時代「貧乏が身との闘い」
第4章は、マンガが売れ多忙と化した時代「福の神来たる!」
第5章は、妖怪研究家として日本と世界を旅した「妖怪に取り憑かれて」
そして、最後が第6章「エピローグ 水木しげるは永遠に」

全てをじっくり見て、感じたのは、次のような3つに集約される。
妖怪漫画をジャンルとして確立した人だったということ。
戦地での激しい戦いで片腕をなくしながらも生き抜いたからこそ、実際に知る戦争の悲惨さを語れる人だったということ。
戦争で命と人生の大切さを知った人だったからこそ、自分の生を楽しみながら生きた人だったということ。

食うにも困る生活をしながらも、自分が楽しいと思えることを選択しながら生きた生涯だった。
そういうことを感じた。
93歳で亡くなってから、3年余りがたつ。

このゲゲゲの人生展は、全国各地を巡って開催されているようだ。
新潟の地であっても、それを見ることができて、本当によかった。
やりたいと思うことをやって、前向きに悔いなく生きる。
それが大事だと思った。

【売れない時代、時折青果店に並ぶ腐ったようなバナナの山を食べるのが夫婦の楽しみだったとか(写真撮影可の当時の住まいの展示物…中央の食卓にはバナナが。)】

最後に、驚いたのは、会場で売られていたグッズの多さであった。
著書は、ありきたりのノートやクリアファイル、ぬいづるみなどだけでなく、妖怪たちが描かれたボクサーブリーフまであったのは笑えた。
いろいろほしいものはあったが、結局、公式図録

と、中身の絵が可愛いクッキー

だけを買ってきたのであった。

さようなら、水木しげるさん。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする