「お母さん、やったよ。ぼく、今日ね、運動会の練習で4位になったんだよ。」
玄関に走りこんで来た少年は、めったにない喜びに息を弾ませて叫んだ。
「あらそう、よかったねえ。4位になって。…ところで、何人で走ったの?」
「5人!」
「ええっ、………!?」
…これは、今から50数年前の、子どもの頃の私と母の会話。
今でこそ大男の部類に入る私だが、当時はもやしのようにひ弱な子だった。
運動が苦手だった私。
だから、運動会は、行事の中で一番嫌いなものであった。
特に、走ることでは、このように最下位にさえならなければ、喜びにひたることができたのであった。
当時は、1等賞で大判のノートを、2等賞で中判のノートを、3等賞で鉛筆をもらえるから、周りの同級生たちは張り切っていた。
ノートをもらえず「3等の鉛筆なんかいらねえよ。」と吐き捨てる同級生のそばで、うらやんで横目で見ていた私だった。
娯楽の少なかった(?)昔は、老若男女、集落じゅうの大人たちが集まり、運動会を観戦しに来た。
大勢が見ている中、毎年徒競走で最下位を独走する姿を見られるなんて、子ども心につらくて仕方がなかった。
「脚の速さなんて決まっている。走る前から順位なんてわかるのに、どうして徒競走なんてやるのだろう。」
…そんなことを思い続けた6年間であった。
走ることが嫌いになったのは、人と競争させられるからだ。
それによって優劣が付けられる。
そのことは、子ども心に大きな傷をつけるのだ。
本当につらかったなあ。
今は、他の人と比べられるために走らなくてもいい。
自分の好きな速さで走ればいいのだ。
だから、走ることが好きだ。
人と競わずに、走ることそのものを楽しめるようになった。
特に、ジョギングはランニングと違うから、歩くよりも遅くたってもいい、気持ちよく走ればいいのだ。
この土日には、真夏日の中、多くの小学校で運動会が行われたことだろう。
そう思ったら、子どもの頃の自分を思い出した…。
玄関に走りこんで来た少年は、めったにない喜びに息を弾ませて叫んだ。
「あらそう、よかったねえ。4位になって。…ところで、何人で走ったの?」
「5人!」
「ええっ、………!?」
…これは、今から50数年前の、子どもの頃の私と母の会話。
今でこそ大男の部類に入る私だが、当時はもやしのようにひ弱な子だった。
運動が苦手だった私。
だから、運動会は、行事の中で一番嫌いなものであった。
特に、走ることでは、このように最下位にさえならなければ、喜びにひたることができたのであった。
当時は、1等賞で大判のノートを、2等賞で中判のノートを、3等賞で鉛筆をもらえるから、周りの同級生たちは張り切っていた。
ノートをもらえず「3等の鉛筆なんかいらねえよ。」と吐き捨てる同級生のそばで、うらやんで横目で見ていた私だった。
娯楽の少なかった(?)昔は、老若男女、集落じゅうの大人たちが集まり、運動会を観戦しに来た。
大勢が見ている中、毎年徒競走で最下位を独走する姿を見られるなんて、子ども心につらくて仕方がなかった。
「脚の速さなんて決まっている。走る前から順位なんてわかるのに、どうして徒競走なんてやるのだろう。」
…そんなことを思い続けた6年間であった。
走ることが嫌いになったのは、人と競争させられるからだ。
それによって優劣が付けられる。
そのことは、子ども心に大きな傷をつけるのだ。
本当につらかったなあ。
今は、他の人と比べられるために走らなくてもいい。
自分の好きな速さで走ればいいのだ。
だから、走ることが好きだ。
人と競わずに、走ることそのものを楽しめるようになった。
特に、ジョギングはランニングと違うから、歩くよりも遅くたってもいい、気持ちよく走ればいいのだ。
この土日には、真夏日の中、多くの小学校で運動会が行われたことだろう。
そう思ったら、子どもの頃の自分を思い出した…。