このところ、自分の体調不良や、若いころから今まで影響を受けたたくさんの有名人の訃報などから、「生きる・死ぬ」ということについて、考える機会も多くなった。
今まで出会った人とのことをいろいろと考えたりする中で、やはり結論は命には限りがあるのということも思う。
学生時代に好きだったミュージシャンに小林倫博氏がいる、とはだいぶ前にこのブログに書いたことがあった。
特に、彼のデビューアルバム「第一印象」が大好きだった。
11曲入ったその1stアルバムの最後の曲に「くらし」というのがあった。
近ごろ、この曲が自分の頭の中でよく流れるのだ。
どんな歌かというと、こんな歌詞の歌だ。
くらし 詞・曲 小林倫博
思い出が一つ消える 月日のせいにする
別れて行ってしまえば なつかしいだけの人
悲しみいっぱい 喜びいっぱい
頭に飾り付け 体で支え くらしていくさ
自分を責めぬよう
みんな死ぬ、君も死ぬ 父も母もみんな
ホントに何も 何も残らない
生まれて生きるってこと
さみしさはいつも背中にある
風が吹き抜ける
腕伸ばし抑えくらしていくさ 寒くないよう
自分がいる 人がいる
季節と時節がある
止めるもの 貧しいもの
暮らしと夢が
両手広げても 飛べはしないよ「
失くすだけだよ
黙り込んでいても 誰一人 救われないよ
いつも笑っていては 君に会ってもつらくなるだけ
いつまでも僕を 疑っていておくれ
それが本当のこと
逃げていたって 流れはいつも追いかけてくるさ
言葉はいつも一人ぼっちの首を絞めるさ
さみしさはいつも背中にある
風が吹き抜ける
腕伸ばし抑えくらしていくさ 一人なんだよ
…とまあ、こんな歌。
若かった学生時代には、自分だけが一人ぼっちであるような感覚がよくあった。
だから、少しでも自分をわかってくれる人を求めていたような気がする。
それでも、最後に部分に「一人なんだよ」と歌われることによって、最終的には誰でも一人であることを認識させられた。
一人で生きていくという決意をさせてもらえたような気がした。
さて、最近この歌が頭の中で流れるのだが、その流れるフレーズは、
みんな死ぬ、君も死ぬ 父も母もみんな
ホントに何も 何も残らない
生まれて生きるってこと
という部分。
みんな死んでしまって何も残らない、なんて歌う人は、当時なかなかいなかったように思うが、それにもまして今になり感じることも多い。。
すでに私の父も母も、皆亡くなっている。
歌のとおりになってしまって久しい。
そして今、生まれてきて生きてきて、高齢者の身になって、人生本当に何も残らないのだなあ、ということを結構実感するときがあるのだ。
それでも、自分なりに生きてきた跡があり、その跡のことは自分にしか分からない。
だから、ほかの人には分かってもらえなくても、そうやって生きて命が亡くなるまで生きよう。
さみしさはいつも背中にある
風が吹き抜ける
腕伸ばし抑えくらしていくさ 一人なんだよ
この歌のとおりなのだ。
※なお、この曲は作者の小林倫博氏が、氏のブログで聴けるように公開している。
1stアルバム(「第一印象」)の最後、11番目の「くらし」をポチッとクリックすると、曲を聴くことができます。