5月15日。
目覚めてから、この日は何か過去に大きな出来事があった日だったよな…。
そうだ、自分の頭の中には3つくらいのことが浮かんだ。
1つめは、少し古くなったできごとから。
5月15日、5・15、五・一五…と数字を並べて思い出したのは、歴史的事件。
五・一五事件。
1932(昭和7)年5月15日、武装した陸海軍の青年将校たちが反乱を起こし、総理大臣官邸に乱入し、時の内閣総理大臣・犬養毅氏を暗殺した事件だった。
当時は、3年前に起こった世界恐慌の影響で、日本でも大不況の煽りを受け企業の倒産が相次ぎ、社会不安が増していた。
そんな状況下で、政党や財閥を倒し, 軍部中心の政府をつくろうとしたために起こったのだった。
襲撃を受けたのは、首相官邸ばかりではなく、日本銀行・警視庁・変電所などもあった。
この事件以降、軍部がさらに力を強めていったのであった。
そして、日中戦争、太平洋戦争と、戦争の泥沼の中に日本は突っ込んでいった。
2つ目は、沖縄の本土復帰記念日だということ。
沖縄は、戦争中、全国の中で唯一アメリカをはじめとする連合国軍が上陸し、民間人を巻き込んだ戦いが行われた場所であった。
そしてその戦争後、沖縄は長くアメリカ軍の統治下におかれた。
ようやく本土復帰を果たしたのが、戦後28年もたってからの1972年5月15日だった。
あの当時、人気アイドル歌手として活躍していた沖縄出身の南沙織が週刊誌の表紙を飾り、本土復帰についてのインタビュー記事が載っていたのをよく覚えている。
実は、私らの新婚旅行の行先は沖縄で、行ったのはその10年後の1982年の5月のゴールデンウイーク期間だった。
空港などで、「本土復帰10年」という文字が多少見られたかな、という覚えがある。
その旅行の際には、かつて戦場となって、いまは慰霊碑が立つ摩文仁の丘を訪れたりもした。
碑には戦争で犠牲になったたくさんの人の名前が刻まれていた。
案内するタクシーの運転手が、戦争のことにはあまり話題に触れようとしないで、本土から来た新婚さんを「ここで写真を撮りましょう」「ここもいい写真が撮れますよ、笑ってください」などと言っていた。
だが、鎮魂の場所だけに、私らは平気で笑顔を作ることなんてできず、ちょっとむっつりした顔で写るしかなかった。
今にして思えば、地元の運転手にとって、「どうせ本土から来た新婚さんなんて、沖縄人の悲しみなんかわからないでしょう。遊び半分で来たのでしょうから、記念写真でも撮ってお帰りください」と、そんな気持ちだったのかもしれない。
それからさらに41年がたち、今日で復帰から52年を迎える。
去年の玉城知事のメッセージの中には、
「復帰後51年を経た現在もなお、国土面積の約0.6%である本県に全国の米軍専用施設面積の約70.3%が集中しており、県民は米軍基地に起因する騒音や事件・事故、環境汚染の問題など、過重な基地負担を強いられ続けています。
さらに、普天間飛行場の辺野古への移設については、県民の理解が得られないまま工事が強行されている状況にあります。」
という内容があった。
本土の人たちからすれば、離れて遠いことから、「自分ごと」ととらえる感覚が鈍いような気がする。
不穏な世界状況を考えると、日本人として誰でももっと沖縄のことを考えていかなければいけない、と思う。
最後の3つ目、今日はJリーグの日。
1993(平成5)年5月15日、日本初となるプロサッカーリーグJリーグが開幕した。
大きなJリーグのマスコットキャラクターが、セレモニーでぐんぐんふくらんで大きくなっていったのは、今もよく覚えている。
その開幕戦は、ヴェルディ川崎対横浜マリノスだった。
その試合は1対2で横浜マリノスが勝利を収めたのだった。
当時は10チームしかなかったが、その後、「Jリーグ百年構想」に基づいて、全国各地に「おらがチーム」ができ、今はJ1・J2・J3のリーグで、各20チーム、合計60チームが戦いを行っている。
開幕した頃は、「いつか新潟にも、Jリーグのチームが…」と思っていたら、その後10年余りでJFL➡J2➡J1とカテゴリーを上り詰めたチームが誕生した。
それが、「アルビレックス新潟」だった。
そのアルビレックス新潟が、Jリーグの日である今日5月15日に、奇しくも31年前にJリーグの開幕戦を戦った横浜F・マリノスと試合を行う。
歴史を積み重ねたマリノスは、先日ACLの決勝第1戦で2-1と見事に逆転勝ちを収めた。
現在アルビレックス新潟は故障者も多く、苦戦が予想されるが、今夜の試合はホーム戦だ。
なんとか、いい試合を見せてほしい。
そう期待している。
5月15日。
首相の暗殺事件があったり、戦争からの復帰を果たしてもまだ残る課題があったりと、心に留めておかねばならないことが起こった日である。
そんな中で、Jリーグの試合が行われるのは、日本が平和だからだということも思う。
その平和が永久に続くことも、世界中が平和であることも、願わずにはいられない。
そんなことを考えた、今年の5月15日…。