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ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

まるで矢車草のフラワーロード

2019-05-21 20:20:25 | 自然・季節
先月、本庄・早稲田の杜ハーフマラソンを走ってからあっという間に5週間がたってしまった。
久しぶりにコースとなった河川敷を見て、びっくりしてしまった。

走った頃は、桜や菜の花がきれいだった。
それが今は、矢車草の花畑のようになっているとは!
その矢車草の花の色も、青だけではなく白やピンク、赤紫など色とりどりであった。

この時季にここに来たことがなかったのでわからなかったが、こんなにきれいなフラワーロードになるなんて、オドロキだった\(◎o◎)/!
アカツメクサやクサフジなども混じりながらの花畑のようなこの道。


今日は強い雨の1日だったからダメだったけど、明日こそこの道を走ってみたいな(^^ゞ
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この時季に輝く穂先、爽やかな穂波

2019-05-20 21:43:25 | 自然・季節

輝く穂先。
風が吹いて、揺れる穂波。
いいなあ、心が安らぐ。
…新潟で見る夏から秋の田んぼの光景は、 本当にすばらしい自然の美しさがあると思う…。

だがちょっと待て!
今は夏から秋の季節ではないぞ!

そう。この風景も新潟ではない。
よく見ると、稲穂ではないのだ。

これは、見てわかるとおり、麦の穂。
麦畑だったのだ。

新潟では、ほとんどが水田単作だが、埼玉のこちらでは稲と麦の二毛作を行っているところもまだ多い。

穂の輝きの美しさ、穂波の爽やかさなどをこの時季にも感じられるのはうれしいなあ…。
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みかんの花が咲いている

2019-05-19 21:51:24 | 草木花
りんごの花ほころび
川面にかすみ立ち

…と始まる歌は、「カチューシャ」だった。

みかんの花が咲いている
思い出の道 丘の道

…たしか、この歌は「みかんの花咲く丘」。

私は、子どもの頃から、りんごもみかんも好きなくだものだった。
ところが、自分の生まれ育ったところでは、りんごの花もみかんの花も見たことがなかったのである。

りんごは寒い地方でよく栽培されるが、みかんは暖かくないと育たない。
だからまじまじとみかんの花を見たことはあまりなかった。
今日埼玉に来たら、庭に咲いているのを見た。

りんごの花より花びらは厚い。
じっくり見られたので、うれしかった。
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頭悪い!?後半だけで3点取られ、まさかの逆転負け

2019-05-18 21:34:11 | アルビレックス新潟
「やっぱ、サッカー下手なのじゃないの?」
「下手でねえば(下手でなければ)、頭悪いんだわ、うん、頭悪い、頭悪い。」

…これは帰る時にすぐ近くを歩いていた、どっかのおばちゃんの言葉。

「1点取らって、目覚めるんだばわがっとも(目が覚めるならわかるのだけど)、3点も取られらん(取られるなんて)、よっぽど頭悪いんだわ。」

新潟弁でしゃべりまくっているのは、よっぽど悔しかっただろう。
その気持ちは、とてもよくわかった。


なにせ今日の試合J2第14節、新潟は、対戦相手愛媛に、渡邉新太、

大武峻

のゴールで前半で2-0とリードした。


前のホーム戦では、山口相手に同様2-0でリードだった。
だから、今日も楽勝で勝てるのではないかと思ってみていた人が多かったと思う。

ところが、後半になって、愛媛は出だしから選手を2人替えてきた。
この交代策が当たる。
後半になって3分で1点。
そして、後半8分でもう1点。
あっという間に、新潟は貯金をはき出した。
愛媛の交代出場した1人が、山瀬功治選手だった。
今季所属チームが決まらず、リーグ戦が始まってからようやく愛媛入りが決まった彼だったが、昔から、存在感のあるプレーをする選手だった。
枠内にシュートを決める正確さも彼にはあった。
だから、ずっと警戒すべきだと思って見ていたのだった。
2点目の同点ゴールはやはり、彼の右足から生まれた。

後半が始まって、たった8分で2点入れられ、同点に追いつかれた新潟。
何やってんだよ!
腹立たしい思いを抱きながら、必死に応援するサポーターたち。
その願いも空しく、勝ち越し点をあげたのは、愛媛だった。
82分、スローインからのボールをヘディングでゴールネットを揺らされてしまった。
前節もそうだったが、今節も、相手選手への寄せが足りない。
その甘さを突かれて、3点も入れられてしまった。


結局、スコア上は、前節と同じ2-3だが、点の取られ方が問題だ。
選手交代があったりすると、その選手への対応が下手くそなのである。
私は山瀬選手をマークして見ていたが、彼の味方選手への指示やポジションの取り方などは、見ていてさすがと思わせるものがあった。

前半と後半とで、動きががらりと悪くなるのも大きな問題だ。
毎試合、相手の交代選手の動きについていけない姿を見せられている。
監督が交代してもこの有様である。
どのようにすれば改善できるのだろうか?
誤審を乗り越えて2点を逆転して勝った、今節のJ1湘南の執念を、見ならいたいものである。

監督が交代して、勝利数が増えているかというと、そういう訳ではない。
攻めは面白くなってきたが、結果が出ていない。
監督交代策の手を打つのは早かったが、勝利につながっていないのは、それが正解だったとは言えないことにある。

試合後、サポーターの前に立った選手たちには、大きなブーイングが起こった。


次節は、海を越えて琉球とアウエーでの対戦。
ここに負けるようなことがあると、今季もJ1昇格は夢物語に終わりそうな気がする。
早くも正念場を迎えそうなアルビレックス新潟の現在である。


追記
試合後、2季前に所属していた愛媛の前野貴徳選手が、わざわざ新潟サポーターもあいさつに来た。
いつも全力プレーで体を張っていた彼が見せた、律儀な姿に、拍手がわき起こった。

出て行った選手に「お礼参り」されるという、相変わらず弱い新潟の姿であった。
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筋肉痛からの復活RUN

2019-05-17 20:54:14 | RUN
白根ハーフマラソンのダメージは結構大きかった。
翌日から両脚太ももの筋肉痛が続いていた。
無理をすると肉離れを起こしそうなので、ハードな動きは避けていた。
走るのは、日曜日と木曜日と決めているのだが、昨日の木曜日も、まだ違和感があるので走るのはやめておいた。
今日になって、ようやく両太ももの違和感が消えたので、走りに出た。

走りに出る直前になって、レンタルCDの返却日だったことを思い出し、大きなウエストポーチにCDを詰め込んで走り出した。
走り出してみると、それなりに足は軽くなっていた。
レンタルの店までは、ちょうど2kmだったが、足慣らしにちょうどよかった。

そこからは、いつも走っている郊外のコースに戻って、合計16kmを走ることにした。
今日は疲労回復を図りながらの走りにしよう。
だから、ペースを考えずに気持ちよく走ろう。
そう決めて走っていると、思っているより案外速いペースで走っていた。

それでも、10㎞を過ぎると、苦しくはないのにいつのまにか遅い走りになっていた。
まあ、こんなものなのだろう。

試しに、いつものように、終わり3kmを少しずつペースを上げて走ってみた。
さすがに普段のように速くはならなかった。


大会で走ってから、再び走れるくらいまで回復するのに5日もかかってしまった。
でも、とにかくまた走れるようになったのはうれしいなあ。
これからも週に2日、マイペースで走り続けて行くことにしよう。
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さすが!豪華絢爛、牡丹の花

2019-05-16 21:36:50 | 草木花
立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)と言われる。
どちらも咲いた花が、非常に派手で豪華絢爛である。

よく似た花だが、シャクヤクは草花、ボタンは樹木。
草花のはずのシャクヤクの方が「立てば」に形容され、樹木のはずのボタンが「座れば」の形容となっている。
逆になっているようにも感じる。

しかし、ボタンは確かに落葉低木。
葉が散るが、また幹から新芽を出す。
シャクヤクは、多年草なので、いったんすべて枯れてしまう。
冬が終わってから地面から芽を出し茎を伸ばして花を咲かせる。

そんな違いがあるとはいえ、牡丹の花の美しさを見て味わったのは、もう13年も前のことであった。
見に行った場所は、五泉市の牡丹園だった。

今回、13年ぶりに立ち寄ってみた。


すでに花が散ってしまった種類のものが多かったが、まだ華やかに咲いているものも多くあった。

白、赤、黄、ピンク…その色も様々であった。

さすが美人の代名詞に使われる花だけある。

咲き残っていた中で、もっとも気に入ったのは次の種類の花。

その気品の高さに、気おされてしまった。


もう少し早く来ていれば、もっと美しい、もっと多種類の花が見られたかもしれないなあ。
とは思うが、牡丹の花の美しさをまた改めて感じられたのは、よかったな、うん。
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「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」を見に行く

2019-05-15 22:29:22 | お出かけ
「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」なるものが、今、新潟市の新津美術館で行われている。


新潟市の美術館といっても、新津美術館はずいぶん郊外にある。
すぐ隣に新潟県立植物園の建物と広い敷地がある。
われわれ夫婦は、美術館巡りも花見も好きなので、かつては興味がある展示があると足を運んだものである。
6年前に娘が病に倒れてから、自由なお出かけができなかったから、しばらく来たことがなかった。
しかしながら、最近は娘もだいぶ体調が回復しているところがある。
だから、車で1時間近くの距離なら大丈夫だろうということで、3人で一緒に出かけたのであった。

前売り券も割引券も持っていないので、大人3人で3,300円は大きいけれど、やっぱり行ってよかったと思わせるものだった。

入館すると、当美術館は、受付から先が広い階段になっている。
その広い階段を利用して、踊り場に妖怪のパネルや記念撮影用のブースが用意してあったりした。





2階まで上っていくと、第1展示室と第2展示室に分かれているのがわかった。

その中で、展示は、水木しげるの人生を追う形で、第1章から第6章までで構成されていた。

第1章が、少年時代「境港の天才少年画家」
第2章は、戦争中の従軍時代「地獄と天国を見た水木二等兵」
第3章は、戦後の金がない時代「貧乏が身との闘い」
第4章は、マンガが売れ多忙と化した時代「福の神来たる!」
第5章は、妖怪研究家として日本と世界を旅した「妖怪に取り憑かれて」
そして、最後が第6章「エピローグ 水木しげるは永遠に」

全てをじっくり見て、感じたのは、次のような3つに集約される。
妖怪漫画をジャンルとして確立した人だったということ。
戦地での激しい戦いで片腕をなくしながらも生き抜いたからこそ、実際に知る戦争の悲惨さを語れる人だったということ。
戦争で命と人生の大切さを知った人だったからこそ、自分の生を楽しみながら生きた人だったということ。

食うにも困る生活をしながらも、自分が楽しいと思えることを選択しながら生きた生涯だった。
そういうことを感じた。
93歳で亡くなってから、3年余りがたつ。

このゲゲゲの人生展は、全国各地を巡って開催されているようだ。
新潟の地であっても、それを見ることができて、本当によかった。
やりたいと思うことをやって、前向きに悔いなく生きる。
それが大事だと思った。

【売れない時代、時折青果店に並ぶ腐ったようなバナナの山を食べるのが夫婦の楽しみだったとか(写真撮影可の当時の住まいの展示物…中央の食卓にはバナナが。)】

最後に、驚いたのは、会場で売られていたグッズの多さであった。
著書は、ありきたりのノートやクリアファイル、ぬいづるみなどだけでなく、妖怪たちが描かれたボクサーブリーフまであったのは笑えた。
いろいろほしいものはあったが、結局、公式図録

と、中身の絵が可愛いクッキー

だけを買ってきたのであった。

さようなら、水木しげるさん。

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野菜の苗植え完了

2019-05-14 20:49:55 | 草木花
5月の第2週。
毎年、この週には家の庭に、というか庭の中に畑を作る。
鍬で耕して、堆肥を入れ、うねを作る。
そして、野菜の苗を買って来て、植える。

100円前後で買ってきた苗が次第に育っていき、やがて花を咲かせ、実をつける。
その実が大きくなったのを、収穫し、おいしくいただく。
そこに至るまでの過程も楽しめることも、野菜作りの醍醐味の一つだ。



今年も、去年同様に、キュウリ、ナス、ピーマン、ミニトマトを2株ずつ植えた。
また、その花の美しさを楽しむために、今年もオクラの苗を買ってきた。

これから秋まで、育てる喜びと実りの喜びをたっぷりと味わいたいものだ。

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自転車店や~い…

2019-05-13 21:55:33 | 生き方
先週、駅まで自転車で通っている息子が、「行ってきます」と言って出かけた後、すぐに戻ってきた。
自転車がパンクしていたのだ。
仕方がないので、急遽車を出して送っていくことにした。

そのパンクした自転車だが、修理しておかないとまた翌朝困るだろうと思い、日中、車に積んで自転車店に持っていこうと思った。
ところが、である。
私の家から一番近かった自転車店は10年以上前に閉店して久しい。
まあ2番目に近かった店にも、パンク修理に行ったことがある。
またそこへ行こうと思ったら、店の扉には白いカーテンがかかったまま。
営業していないということだ。
まあいいや、商店街に行けば、3番目に近い自転車店がもう1軒あったよな。
そう思って行ってみると、シャッターが下りていた。
休みなのかな?と思った。
(後日、ずっとシャッターが下りているのを確認した。)

仕方がない。
もう少し足を延ばせば、2軒固まってあったはずだ。
ところが、その2軒は、道路拡張で店がなくなっていた。
正確にいえば、家が建て替えられてはいたが、もう普通の住宅になっていた。
自転車店はやめたということだ。
ここにきて、少々焦りを感じた。

遠くのホームセンターでは自転車のパンク修理もすることはわかっていたが、修理に何日かかかるということは、経験上知っていた。
何日もかかるようでは、息子の通勤に支障が出る。
早くこの日のうちに直してもらいたいと思った。

仕方がないので、出直し。
ネットで調べて、一度も行ったことのない店を探した。

息子の行った高校の近くにあると知り、行ってみた。
二人の男性がしゃべっているので、「パンク、直してもらえますか?」と聞いてみた。
すると、「ここのおやじは、今病院に行っていて、夕方まで帰って来ないよ。」との返事。
6軒目のここもダメだった。

しようがなく、そんなところにあったかな、というところへ行ってみた。
「ごめんください。」と声をかけると、怪訝そうな顔をして年輩のおばさんが出てきた。
「パンク直してもらえますか?」と話すと、
「うちの人、今出かけているから電話かけて呼びますね。」と、電話。
しばらく待って、ようやく7軒目でパンク修理をしてもらえることになった。

店主が来るまでの間、おばさんと話をしてみると、よその店はみんな自転車店の主人が高齢化して店をたたんだのだとのこと。
「最近も、道路拡張で2軒やめたんですよ。」
「ウチも、息子は会社員で跡は継がなかったですよ。」
と言っていた。
「最近は、ホームセンターなどでも安く売っているからね。」
自転車店では商売が成り立たないのだと付け加えていた。
「ウチも、あと2年したら80歳になるから、そこを区切りにやめようと言っているんですよ。」
なるほど。
店主が高齢化し、商売にならないから後継者がいなくて、どんどん自転車店がなくなっているという訳だ。

戻ってきた自転車店のご主人は、昔ながらのやり方で、タイヤからチューブを取り外し、空気を入れて水に浸し、パンクした箇所を見つけ出すと、丁寧にやすりをかけてからゴムのパッチを貼った。
やっとパンクを直してもらって、ほっとした。

確かに、自分でもできそうだとは思うのだが、実際にやるには難しさがある。
気安く頼める自転車店があると、安心だ。
いざ困ったときに、気楽に修理を依頼するところとして、自転車店は必要だと思うのだが…。
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暑さに負け後半グダグダ。それでも走り切った白根ハーフマラソン

2019-05-12 16:43:04 | RUN
久々に、ゴール後、目の前がチカチカして白くなった。
残りの4㎞は、全く走れなかった。
目の前を走る人たちが次々と遠くなっていくような思いがした。
最後の4kmは、それぞれ1kmあたり5分14秒、24秒、36秒、26秒。
スピードが出ないやら息苦しいやら辛いやら…。
苦しい苦しい後半だった。


もともと、今日は5分10秒くらいで10km辺りまで行き、後半は、15㎞くらいまでを5分ジャストで走り、後半ラストは4分50秒くらいで上げて行こう…。
ゴールすると、1時間46~47分くらいになるか。
そんなふうにレース設計をしていたのだった。


ところが、いざ走り始めてみると、自分で思い描いたのと違うレース展開を選んでしまった。
今日は、このブログでRUNの大会でよく登場する、同年代のSNさんと一緒に走り始めたのだった。
これは、去年もそうだった。
SNさんのRUNは、後半が強い。
15㎞あたりから、ぐいぐいとスピードを上げていくのだ。
そのSNさんが、今日は1㎞にならないあたりから、もうキロ5分を切るペースで走り出していたのだ。
それを見て、あまりにも早く差をつけられるのもいやだな、と思ってしまった。
そこで、つい追いかけて行ってしまったのだ。
私が自己ベストを出した3月の新潟ハーフでは、5分を切るペースで押し通すことができたのだ。
ただ、今日は陽射しがある。暑くなる。
そんな中でも、キロ5分で行けるのかどうか?
いや行ってみよう、そう決意して、SNさんの背中を追いかけていくことにした。

SNさんは、きっちりキロ5分のペースを刻んでいった。
そこになんとかついていくことが、私の今日のレースの大きな目標になった。

白根ハーフマラソンのコースは、新潟ハーフマラソン以上に、文字通り田園地帯を走る。
だから、日陰が全然ないのだ。
強さを増す陽射しの下、キロ5分を守るのは、私にはしだいにダメージが大きくなってきた。
田んぼを吹き渡る風も、少し走りにくさを増長していた。
でも、SNさんになんとかついて行きたい、という思いだけで走っていた。

12kmを過ぎて、SNさんのペースが上がった。
こちらがついて行くのも厳しくなった。
しかし、一度は追いつきたいと思い、15㎞あたりでSNさんに並び、ひと声かけた。
先行できたのは1kmくらいだっただろうか。
さすがに後半強い彼は、私を再び抜いて、どんどんその差を広げていった。

新潟ハーフの時は、15㎞を過ぎてもキロ4分50秒くらいで走れたのだが、今日はダメだった。
文頭のように、5分台の中盤でしか走れないどころか、走っているというよりももがいているというのがぴったりの私だった。

残り3㎞を切ってからは、SNさんの背中も見えなくなってしまった。
そこから先は、心の中で
「腕を振れ、腕を振れ」
「足のリズムをよくしろ、1・2,1・2」
などと思いつつ、ゴール地点が近づくときを待つような気持ちで走っていた。

ようやくスタート・ゴール地点の白根総合運動公園にたどり着いた。
ゲートをくぐって、すぐにゴールかと思ったら、そこからさらに3分の2周くらいの距離があった。
何に対して言っているのかわからないが、「くそったれ!」と思いながら、トラックの土の上を懸命にスパートした。
だから、最後の200mくらいはキロ5分と同じくらいの速さで走っていたようだ。

やっとの思いでゴール。
先にゴールしたSNさんが声をかけてくれた。
記録証をもらいに行くと、SNさんからは2分くらいも離されていた。
彼は、60歳以上男子150人中10位台の前半、私はその後半、というところだった。
後半落としてしまったが、それでも記録は1時間47分台なのだから、いいことにしよう。

彼にゴールした私の写真を撮ってもらっていたら、もう一人の男性が声をかけてきてくれた。
3年前の3月までの勤務先でお世話になったTさんだった。
Tさんは、今日は10㎞に出たようだ。
こうして、同じように走っている人がいるのは、みなRUNの仲間。
仲間が増えるのはうれしい。


最後に、今年も恒例のきのこ汁をいただいた。
でかいきのこも入っていて、食べがいがあった。

がんばったごほうびですな。

後半アップアップだったとはいえ、ハーフを1時間50分切って走る力は、間違いなくついたようだ。
ただ、これ以上の記録更新は、よっぽどトレーニングを積まないと難しいだろうなあ、と思う。
さすがに、その気はない。
走ることが楽しい、という範囲でないと、自分の主義に合わないからね。

とりあえず、白根ハーフマラソン、がんばりました!


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