阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

ピランとプーラという街 クロアチア旅行 その3

2008年06月23日 | K・Hさんのクロアチア旅行
Hさん夫妻のクロアチア旅行の3日目です。頂いたメールの概略は次の通りです。
「ピランという街に一泊しました。この街にこだわったのは、1977年に父と伯父の二人が旅行した時のアルバムに、この街の写真があったからです。

30年前に二人は当時ユーゴスラビアのドブロヴニクにモスクワ経由で入りました。父がある学会に参加するのが旅行のメインの目的で、伯父を誘って出かけたようです。帰りのルートはアドレア海をフェリーで北上し、リエカで船を降り、ボストイナ鍾乳洞、ピラン、コーペルを回り、国境を越え、イタリアのトリエステに着いたようです。その後、鉄道でベネチィアに向かい、フィレンツィエ、ローマも見て帰国したようです。

私達夫婦はベネチアから反対のコースをとったのですが、リエカ発ドブロヴニク行きのフェリーが週2便しかなく、ドブロヴニクでYさんと合流する予定の日程が合わなくなるため、プーラから飛行機で移動することにしました。

3日目は午前中はピランの街歩き、特に父の写真に残っていたタルティーニ広場と
聖ユーリ教会と鐘楼を見ました。鐘楼に登って、広場の写真をとりたかったのですが、時間が早すぎたのか誰もおらず、登ることが出来ませんでした。



午後は真っ直ぐプーラにいったのではつまらないので、世界遺産エウフラシウス聖堂のあるポレチュに向かいました。ポレチュ行きの水中翼船があるとのことで、昼食前に切符を買いにいきました。

観光案内所にデスクを借り、一人で切符を売っていた若く小さな女性が「I'm Sorry]と言ったのでいやな予感がしたのですが、予想通り、強風で船はキャンセルされたとのことです。でも代替のミニバスを出すとのことで、ひと安心。ネプチューンと言う店で昼食です。

ミニバスのお客は二人を含め5人でした。クロアチアはEUでないので国境の検問がありましたがいいかげんなものでした。ポレチュはきれいな港町です。エウフラシウス聖堂のモザイクはラベンナのものに比べ、修復のし過ぎの感じがしました。



ポレチュ発16:00の予定のバスがなかなか来なくてあせりましたが、無事プーラへ到着、バスターミナルからホテルまでバックを曳いて行きましたが、道を聞いたところ、その人がホテルの前まで連れて行ってくれました。

昼間が長いので夕食は明るい時間です。アウグストス神殿の前のレストランで食事、イカのグリル、ムール貝のリゾット、野菜のグリルです。ホテルに帰って9時を回っていますが、まだ夕日です。







この日は長い一日でした。」
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今宵も花の宴が那覇の“小桜”で。

2008年06月23日 | ゲストルーム
先日祇園で芸子さんと会話が弾んでいたさんが、姪御さんの結婚式出席のため今度は沖縄に行かれたそうです。今、沖縄はアメリカ入国時の厳しいセキュリテイチエックを嫌う人のために、アメリカでの挙式以上に豪華な結婚式プロデュースが人気を呼んでいるそうです。式が終わった後、那覇の“小桜”で飲んで食べて歌って来ました、との便りがありました。

沖縄の民謡「安里屋ユンタ」も大将の蛇皮線の伴奏で教えてもらいました。

次々出てくる店の大将、中山さんのおいしい料理を食べ、泡盛を飲み、特製ソーメンチャンプルは二人分をお腹に納めたそうです。その料理は;
①ご祝儀物の田芋の煮物②島豆腐③島ラッキョウ④ミミガー(豚の耳の和え物)⑤海ぶどう⑥スーチカー(豚肉塩漬)⑦味噌ピー⑧ソーメンチャンプルでした。



最後は「オリオンビール音頭」をご主人や同行の若手と歌って大満足だったとのこと。







この記事を読まれた方も那覇へ行かれたら是非“小料理 小桜”をお訪ねくださいね。
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