Hさん夫妻のクロアチア旅行の3日目です。頂いたメールの概略は次の通りです。
「ピランという街に一泊しました。この街にこだわったのは、1977年に父と伯父の二人が旅行した時のアルバムに、この街の写真があったからです。
30年前に二人は当時ユーゴスラビアのドブロヴニクにモスクワ経由で入りました。父がある学会に参加するのが旅行のメインの目的で、伯父を誘って出かけたようです。帰りのルートはアドレア海をフェリーで北上し、リエカで船を降り、ボストイナ鍾乳洞、ピラン、コーペルを回り、国境を越え、イタリアのトリエステに着いたようです。その後、鉄道でベネチィアに向かい、フィレンツィエ、ローマも見て帰国したようです。
私達夫婦はベネチアから反対のコースをとったのですが、リエカ発ドブロヴニク行きのフェリーが週2便しかなく、ドブロヴニクでYさんと合流する予定の日程が合わなくなるため、プーラから飛行機で移動することにしました。
3日目は午前中はピランの街歩き、特に父の写真に残っていたタルティーニ広場と
聖ユーリ教会と鐘楼を見ました。鐘楼に登って、広場の写真をとりたかったのですが、時間が早すぎたのか誰もおらず、登ることが出来ませんでした。
午後は真っ直ぐプーラにいったのではつまらないので、世界遺産エウフラシウス聖堂のあるポレチュに向かいました。ポレチュ行きの水中翼船があるとのことで、昼食前に切符を買いにいきました。
観光案内所にデスクを借り、一人で切符を売っていた若く小さな女性が「I'm Sorry]と言ったのでいやな予感がしたのですが、予想通り、強風で船はキャンセルされたとのことです。でも代替のミニバスを出すとのことで、ひと安心。ネプチューンと言う店で昼食です。
ミニバスのお客は二人を含め5人でした。クロアチアはEUでないので国境の検問がありましたがいいかげんなものでした。ポレチュはきれいな港町です。エウフラシウス聖堂のモザイクはラベンナのものに比べ、修復のし過ぎの感じがしました。
ポレチュ発16:00の予定のバスがなかなか来なくてあせりましたが、無事プーラへ到着、バスターミナルからホテルまでバックを曳いて行きましたが、道を聞いたところ、その人がホテルの前まで連れて行ってくれました。
昼間が長いので夕食は明るい時間です。アウグストス神殿の前のレストランで食事、イカのグリル、ムール貝のリゾット、野菜のグリルです。ホテルに帰って9時を回っていますが、まだ夕日です。
この日は長い一日でした。」
「ピランという街に一泊しました。この街にこだわったのは、1977年に父と伯父の二人が旅行した時のアルバムに、この街の写真があったからです。
30年前に二人は当時ユーゴスラビアのドブロヴニクにモスクワ経由で入りました。父がある学会に参加するのが旅行のメインの目的で、伯父を誘って出かけたようです。帰りのルートはアドレア海をフェリーで北上し、リエカで船を降り、ボストイナ鍾乳洞、ピラン、コーペルを回り、国境を越え、イタリアのトリエステに着いたようです。その後、鉄道でベネチィアに向かい、フィレンツィエ、ローマも見て帰国したようです。
私達夫婦はベネチアから反対のコースをとったのですが、リエカ発ドブロヴニク行きのフェリーが週2便しかなく、ドブロヴニクでYさんと合流する予定の日程が合わなくなるため、プーラから飛行機で移動することにしました。
3日目は午前中はピランの街歩き、特に父の写真に残っていたタルティーニ広場と
聖ユーリ教会と鐘楼を見ました。鐘楼に登って、広場の写真をとりたかったのですが、時間が早すぎたのか誰もおらず、登ることが出来ませんでした。
午後は真っ直ぐプーラにいったのではつまらないので、世界遺産エウフラシウス聖堂のあるポレチュに向かいました。ポレチュ行きの水中翼船があるとのことで、昼食前に切符を買いにいきました。
観光案内所にデスクを借り、一人で切符を売っていた若く小さな女性が「I'm Sorry]と言ったのでいやな予感がしたのですが、予想通り、強風で船はキャンセルされたとのことです。でも代替のミニバスを出すとのことで、ひと安心。ネプチューンと言う店で昼食です。
ミニバスのお客は二人を含め5人でした。クロアチアはEUでないので国境の検問がありましたがいいかげんなものでした。ポレチュはきれいな港町です。エウフラシウス聖堂のモザイクはラベンナのものに比べ、修復のし過ぎの感じがしました。
ポレチュ発16:00の予定のバスがなかなか来なくてあせりましたが、無事プーラへ到着、バスターミナルからホテルまでバックを曳いて行きましたが、道を聞いたところ、その人がホテルの前まで連れて行ってくれました。
昼間が長いので夕食は明るい時間です。アウグストス神殿の前のレストランで食事、イカのグリル、ムール貝のリゾット、野菜のグリルです。ホテルに帰って9時を回っていますが、まだ夕日です。
この日は長い一日でした。」