うす曇の空の下、中津で淀川の河原を歩きました。
いつもは友人のビルの屋上から淀川花火大会を見せてもらうばかりで、
河原をゆっくり歩いたのは初めてです。


左にツインの梅田スカイビル、正面は大阪駅方面です。



伊丹空港へ降りていく飛行機が見えました。

正面に十三の街並が見えます。

十三大橋のたもとに堤防完成の記念碑がありました。明治初年の大洪水で堤防が決壊し、大被害があったこと、地元の長年の念願がかなって大正時代に新しく堤防を完成させたことなどが書かれていました。ここに掲げられている当時の地元の有力者は全て民間の大百姓や大商人でしょう。お上を頼らず、民が知恵と力を結集していた時代は浪花の地には長い歴史があります。刻まれた名前の係累の人たちは、今、ここに彼らの祖父や曽祖父の名のある石碑が建っていることを、知っているのかなあと、ふと思いました。





この方向に橋を渡っていくと十三です。



いつもは友人のビルの屋上から淀川花火大会を見せてもらうばかりで、
河原をゆっくり歩いたのは初めてです。


左にツインの梅田スカイビル、正面は大阪駅方面です。



伊丹空港へ降りていく飛行機が見えました。

正面に十三の街並が見えます。

十三大橋のたもとに堤防完成の記念碑がありました。明治初年の大洪水で堤防が決壊し、大被害があったこと、地元の長年の念願がかなって大正時代に新しく堤防を完成させたことなどが書かれていました。ここに掲げられている当時の地元の有力者は全て民間の大百姓や大商人でしょう。お上を頼らず、民が知恵と力を結集していた時代は浪花の地には長い歴史があります。刻まれた名前の係累の人たちは、今、ここに彼らの祖父や曽祖父の名のある石碑が建っていることを、知っているのかなあと、ふと思いました。





この方向に橋を渡っていくと十三です。



