二日前に中華料理店「海月食堂」に行くために下車したのですが、この日は楠公会館での「KUC八月講演会」出席のため神戸駅で降りました。
神戸駅から湊川神社はほぼ地下街でつながっていて、高速神戸駅の駅も途中にあります。
改札の前に神戸市営バスの案内ボードがあります。
駅構内
地下連絡通路
地下街
講演会は「大阪をつくった企業家たち」という演題の興味深いお話を宮本又郎大阪大学名誉教授がされました。宮本先生はNHKの朝ドラ「あさが来た」の歴史考証をされた方です。
宮本先生の父上の宮本又次さんも著名な歴史家です。
お話には五代友厚、藤田伝三郎、広瀬宰平、広岡浅子、山辺丈夫、岩下清周、波多野鶴吉、江崎利一などが登場しましたが、誰一人として地元大阪出身者はおらず、当時の大阪は開放性と同化力を持ち、逸脱、異質・異端を大切にしていたそうです。翻って最近の大阪は多少よそ者排除の空気があるかもしれませんと冗談ぽく懸念されていました。
先生のお話によると、往時の大阪は思想家の鶴見俊輔の姉である社会学者鶴見和子が柳田国男研究で述べた「常民は漂泊者との出会いによって覚醒され、活力を付与される」をまさに実現して発展していたようです。なお知りませんでしたが阪急電鉄グループの創始者である小林一三は同じ三井財閥で働いていたことがある岩下清周に呼ばれて東京から大阪へ移ったのだそうです。岩下清周(クリック)は信州松代藩士の出で、小林一三は東京の三井勤務時代に岩下に親炙しており、岩下の強い要請があって箕面有馬電気軌道の立て直しに東京から大阪にやってきたのだそうです。
阿智胡地亭の想像ですが、甲州人小林一三は隣県信州出身の岩下清周とはよくぶつかりあいながらも、どこか気脈を通じるところがあったのではないかと思います。
今回お話を伺って収穫が多かったのですが、大阪を発展させた企業家の中に信州人もいたことを初めて知ったこともその一つでした。