諏訪湖「御神渡り」、2季連続の出現確認 01月22日(火)信濃毎日新聞
「御神渡り」と判定した氷上の筋を見て回る八剣神社の関係者=22日午前7時38分、諏訪市の旧六斗川河口付近
諏訪湖で22日朝、氷がせり上がる自然現象「御神(おみ)渡り」の出現が確認された。御神渡りの神事をつかさどる諏訪市小和田の八剣(やつるぎ)神社が、湖の南北を貫く2本と、東西に走る1本の氷の筋を認めて判断。2003、04年以来の2季連続の出現となった。
この日朝の諏訪の最低気温は氷点下0・6度と3月下旬並み。諏訪湖は前夜から降り続く雪に一面覆われた。午前7時前、同市の旧六斗川河口付近に集まった同神社の宮坂清宮司(62)と氏子総代ら関係者約10人は、雪で見えにくくなったものの、氷の筋が沖へと長く延びている様子を確認した。
宮坂宮司によると、21日に湖周を見て回った際、同河口付近から延びる氷の筋が対岸の諏訪郡下諏訪町東赤砂に到達していた。沖合に1メートル近くありそうな隆起も見られ、上川河口近くにできた筋も同町高浜の承知川河口に到達。他に湖を北東から南西方向に走る筋も確認した。この日の朝の状態と合わせ、出現したと判定した。
今月7日から毎朝、湖の監視を続けた関係者は、念願の御神渡り出現に安堵や喜びの表情。大総代の中沢勇雄さん(69)は「出現を信じながら通っていた。ただただうれしい気持ちでいっぱい」と話した。
同神社は22日夜、臨時総代会を開き、御神渡りの筋を最終決定する「拝観式」の日程を決める。
諏訪湖 2年連続「御神渡り」を確認 NHKNEWSweb
1月22日 10時56分
このところの厳しい冷え込みで、長野県の諏訪湖では、湖面の氷に割れ目が入り、筋状にせり上がる現象「御神渡り(おみわたり)」が確認されました。御神渡りが確認されたのは、去年に続き2年連続となります。
諏訪湖では、厳しい冷え込みが続くと、湖面に張った氷に割れ目が入り、筋状に氷がせり上がる現象が見られます。
諏訪大社の男の神様が女の神様に会うために湖を渡った跡だという言い伝えから、御神渡りと呼ばれています。
諏訪市では、先週から氷点下10度前後の冷え込みが続いていました。
古くから御神渡りを確認する役割を担っている諏訪市の八劔神社の宮司らは、21日夜から降った雪が氷の上に積もるなか、早朝から見回りを行い、湖面にせり上がった3本の氷の筋を「御神渡り」と確認しました。御神渡りは、4年ぶりに確認された去年に続いて、2年連続となりました。
八劔神社の宮坂清宮司は「2年連続で確認できたのは本当にうれしいです」と話していました。
神社では、氷の亀裂の状態で、ことし1年の天気や農作物の出来を占う神事を、今月25日に開くことにしています。
諏訪湖に今年も御神渡り 伝説、氷の“恋路” 共同通信
冷え込みで結氷した長野県の諏訪湖の湖面に、せり上がった氷の筋がうねるように走る自然現象「御神渡り」が22日、確認された。2年連続の出現。伝説では、諏訪大社上社の男神が下社の女神の元へ通う“恋路”とされる。
神事を行う八剣神社の総代らが午前7時前から氷の上に乗り、湖面を見て回った。湖面は未明から降る雪で覆われていたが、氷の筋がはっきりと見え、21日の調査結果と合わせて判定した。氷が1メートル近く隆起した場所もあるという。宮坂清宮司は「本格的な冬の訪れだ。昨年に続いて見られてほっとしている」と喜んだ。
☆阿智胡地亭の先祖代々の氏神である八劔神社(クリック)。諏訪大社の摂社(筆頭子社)でもあります。
自称『神戸地区氏子代表』としては嬉しい限りです。トップの左の写真は信濃毎日新聞から引用。
この日もお代わりをした。医者の話によると野菜をよく食べている人は風をひいても軽く済むし、そもそも病気になりにくいとか。
昨日の朝、スーパーモンキー、モモコが長年のパートナー中島さんに見守られて息を引き取りました。
モモコを世に出した写真家の栗田さんの所へ、訃報が伝えられました。
「広島のスーパーモンキー モモコが今朝亡くなりました。昨日までは、足腰弱れど元気だったそうです。
今朝、7時 老衰で、大往生でお星様になりました。享年 22才だそうです。父親の中島からのお知らせでした。」
人間ならおそらく90歳を越えての大往生。中島さんと出会い、栗田さんに愛され、稀有な猿生を過ごしたモモコ。合掌。
以下は2012年9月7日のエントリーの一部です。
広島県大竹市に住むニホンザルのモモコは現在推定年齢20歳です。8月31日にテレビの動物特集番組に颯爽とウェイクボートを楽しむ
モモコが登場して私は驚嘆しました。もう人も猿も関係ないと言うスキルを披露していました。
モモコは幼い時に報道写真家の栗田格さんと幸せな出会いがあり、栗田さん撮影の写真によって世界中に知られることになりました。
掲載の写真は栗田格さんの撮影です。栗田さんのPhoto Alubumは こちら。
飼い主の中島さんのHPによると「TVには500回以上出演している」そうです。中島さんの「モモコHP」はこちら。モモコは中島さんと暮らして中島さんの期待に応えようと一生懸命いろんな芸を学習し、そのうちにサーフィンやウェイクボートが自分でも楽しくて仕方がなくなったようです。
広島のイモねーちゃんから世界の芸達者ギャルへ華麗な変身! 「教育の機会と本人の好奇心と学習意欲」は人だけでなくお猿をも変えていく。
○ダイビングの写真は、沖縄の海での潜り。写真は中島さんの提供です。イギリスの新聞に大きくでました。
その時 動物虐待と言われたら困るなと栗田カメラマンは心配されたそうです。しかし幸いなことに、
イギリスの動物園の人が、猿が喜んでる事には、虐待にならないとコメントしたそうです。
モモコは、中島さんの希望は、なんでも挑戦する、一心同体の間柄だそうです。沖縄の海中のモモコと一緒にダイブしているのは中島さんです。
広島県は昔から松茸の産地で有名ですが、モモコは中島さん所有の山で松茸を探し出す名人で、本人も松茸が大好物だそうです。
モモコと飼い主を見ると、「互いの信頼」は自分と他者を一つにするニカワみたいなものかと感じます。
阪神御影駅とバスターミナル。


酒祭りの会場。この日は寒かったせいもあり燗酒がよく出ていました。私も仲間も燗酒を楽しみ、結局6杯の灘の酒が胃の中に。




小一時間ほど楽しんだあとは、近くの居酒屋「なだ番」に移動しました。



帰りの夜空は身体が十分暖まっていて寒く感じませんでした。

2013.01.13 ~ 2013.01.19
閲覧記事数: 7686 PV
訪問者数: 1944 IP
週間ランキング: 2682 位/1,814,146ブログ (gooブログ)
残念ながら「小陽春茶坊」は休みだったので阪急六甲駅前の「六甲苑」でランチにした。焼きビーフンと坦々麺を頼んだが、
中国人のコックが去ったようで両方ともに日本式中華味になっていた。材料も良く、見た目は同じなのに残念なテイストだった。


駅のペデストリアンデッキから見た六甲山。


以下は2012年1月3日掲載のエントリー
今年もこの大楠は健在だ。これが個人の庭にあるのが信じられない。門に不動産業の銘板が掲示されているので
代々このあたりの地主の家なのかも知れない。前の歴史は知らないがこの大楠はまだ100年も200年もここにあって欲しい。




阪急六甲駅の南に接して“六甲八幡神社”がある。初詣の人で賑わっていた。



参道を下りてJR六甲道の“まるたけ”で初クシカツで一杯やった。
自分のちょっと後から背筋が伸びてブレザーが良く似合うお年寄りが暖簾をくぐってきた。
そしてカウンターの向こう端にすわった。彼とマスターとの話をなにげなく聞いていると店の長い常連らしかった。
八幡神社の初詣の帰りだそうだ。結局自分も輪に加わってマスターと3人で話になったが、この人は昭和3年生まれで
兄弟姉妹8人の末っ子。今年の誕生日で84歳になる。
兄や姉は全て亡くなったがそれはもう仕方がない。
でも今年の正月も、子供たちとその配偶者・孫・曾孫合わせて25人が集まって新年会をやった。
ヨメサンがそんなん好きやねん。集まってくれるんもヨメのお蔭や。
わしなあ、あと3か月終戦が遅かったら学徒動員で死んでたんや。あのときは本当にお国の為に死ぬ気でおったからなあ。
小学校?新神戸駅の近くの雲中小学校や。もう同級生3人しか生きてないからクラス会にならへんねん。
マスターが昨夜家族と徹マンした話をして、麻雀の話になった。
このご老体は家族麻雀には入れてもらえないそうだ。その理由は若いころから4人の積む牌が全部頭に入ってしまい
今は家族も含めて誰も相手にしてくれなくなったと楽しそうに笑った。
えらぶるでもなくたんたんと話を初対面の私と楽しむ84歳の人。同じようにクシカツとビールと焼酎をやっている。
どんな仕事をしてきた人かはわからないが、現役時代に相当修羅場を踏んで、何があってもことに動じない人間の
迫力を感じた。ふと気が付くと、マスターもこのカウンターで会うほかのどの客に対するよりも畏敬の念がこもった
物言いをしている。新年早々ステキな人に会えたなあと思いながら勘定をすませて挨拶すると
「ほなまたここでお会いしましょう」と軽く頭を下げてくれた。今年もこのカウンターでいろんなスグレモノに会わせて
もらえそうだ。

元々、山芋、長芋の類は大好物ですが、このH川ファームさんの産物は特別な旨さを持っています。トロロご飯にする前にトロロそのものを
まず味わうのが好きですが、今回も口に入れた瞬間に独特の風味を即感じました。思わず目をつぶって味わっていました。
この『ムラサキヤマイモ』の種イモは鹿児島だそうですが、ネバリが凄くてすくい取るのにもコツがいります。
若い衆には分けずに相方と2人でじっくり楽しみました。芋の残りの半分は別の日の愉しみにとって置きました。


次の店「駅前六甲道店」へ移るまでに結構出来上がりました。いつもの集合場所付近の夕暮風景。






子持ちコンニャクは珍しい。初めて食べました。日本で一社しか作っていないとか。

酢牡蠣を角打ちでおいしく食べる時代。そのせいかこの店には中年以降の女性客も多い。


下から大きく体を突き上げられ、家の中の家具が次々倒れていく中で、あぁ、いま自分は死ぬのだと思った・・。
神戸には地震はないと聞いていたのにとも思いながら。
箪笥もピアノも食器棚もテレビも全てが瞬間的に凶器になります。
もろに箪笥の下敷きになりました。冬布団のおかげで怪我はありませんでしたが夏だったら危なかったです。
寝るスペースの周辺に空間を。
行政官庁も被害を受けていて、援助体制が動き出すのに3日間ほどかかりました。
自宅でそのまま暮らせるのであれば、最低3日分の家族分の飲料水のペットボトルと食料、カセットコンロの準備が必要です。
水道ガス電気が止まります。トイレ用の水にたまたま落としてなかった風呂の残り湯があって助かりました。
普段は気にしていない排せつ物の処理は生きている限り食事の課題とセットでついてまわります。
●あの地震発生の瞬間以降、多くの人の人生が変わりました。
被害状況
死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名
死者の内訳は、兵庫県内6,402名(99.5%)・兵庫県外(大阪府、京都府など)32名(0.5%)
負傷者のうち重傷者は県内10,494名(98.2%)・県外189名 (1.8%)
軽傷者:県内29,598名(89.4%)・県外3,511名(10.6%)
死者の県内県外の比率から見て県内の負傷者数は混乱の中、正確には数えることができなかったと推定される。
避難人数 : 30万名以上
住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
火災被害 : 住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯
その他被害 : 道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所
被害総額 : 約10兆円規模
阪神淡路大震災 Wikipediaより
シリーズ「1995年1月17日 神戸大震災の記録-震災の中の人々-」はこちら
しかしこの大地震は天災であって、福島原発の過酷事故という人災ではありませんでした。
【私の阪神大震災の個人的体験】はこちら。
⇒「阪急六甲駅から3分のバス道に面し、八幡神社の対面という一等地に建つこの廃屋。震災でつぶれもせず残っています。いずれある日更地になると思い撮影しましたが、何故このまま放置されているのかいつも不思議に思います。


それがこんな更地になって何となく寂しい。元の歯医者さんの家と家族にはどんな物語があったのだろうか?
