敬天愛人 第28号 財団法人 西郷南洲顕彰会
平成22年9月24日発行 2010
ISSN 0910-9773
これまで食わず嫌いで敬遠気味だった。 はじめて読んだ。
しかし、読んでみておもしろい。
西郷隆盛について書かれた出版物は多い。一人の人物に関する著書の数としては世界一ではないかとも言われている。(確証はない)
その人物が約5年もの間奄美の島々で暮らし、それが彼の思想形成に少なからず影響していると思うだけでも読んでみなければと思う。
勝者によって書かれた歴史のみをうのみにしていていてはいけない。
本書は、1983年の創刊以来、年に一冊発行され、今年で28号になる。
巻頭言は、「西郷南洲翁と沖永良部」と題して西郷が1859年8月から64年2月までの約一年半過ごした沖永良部島の和泊町長が執筆している。
======
たくさんの記事の中、とくにP63 の「百年の成功急ぐべからず」
新『南洲翁遺訓』を編纂 が興味深い。
西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫)
価格:¥ 504(税込)
発売日:1991-01
農本主義者とみなされてきた西郷は、実は農業のほかに貿易にも通暁していた。P86
奄美大島龍郷町での潜居(1859~62)時代、薩摩藩の密貿易に関与していたと推量される。
龍郷は琉球と本土間との海運の中継地点となっていた。なぜなら、ある時、龍郷まで訪ねてきた勝海舟に「今、こんな商売をしております」といって、倉庫の大きな扉をガラガラと開けて、中を見せた。海舟は帰途、従僕に「今見たことは他言無用」と釘をさいていることからも、倉庫に積まれていた品々は、公にできない類の密貿易品(西欧からの武器弾薬類を含む)であった可能性が強い。
勝海舟が龍郷で潜居中の西郷に会いに来たという話はこのブログでも以前書いた記憶がある。「扉をガラガラと開けて」てはリアルな表現だが、詳しい出典が欲しいところ。
======
P155 あいかな/菊次郎宛 西郷書状見つかる という記事も注目される。
西郷が、明治6年1月18日付け 島妻 愛加那に宛てた手紙と長庶子菊次郎宛の2通 3月20日付けと8月10日付けの3点。(8月10日付以外は新資料)
計14枚の写真で墨痕鮮やかな直筆の手紙が紹介されている。
西郷は鹿児島に帰ったあとすぐに再婚し、敬天愛人と言いながら愛加那をまったく顧みなかったではないか、という批判もあるが、
母子(菊草)に存命中に会いたいので一両年のうちに本土へ登ってくるよう促す内容になっていて西郷の思いやりと優しさがうががえる。