自我作古 批評〈ジャーナリズム)を考える。 [単行本]
筑紫 哲也 (著)
amazon 内容紹介
政治とメディア、マスコミ危機、環境問題、教育・若者論、地域と暮らし――新聞、雑誌、テレビ報道の最前線で活躍、国民的キャスターとして愛された著者渾身のジャーナリズム論。伝えきれない思い、今をどう伝えるか。
amazon 内容(「BOOK」データベースより)
マスメディアの存在意義はどこにある!?腐食する社会に抗して、袋叩きにされても言わなくてはならない覚悟はあるのか。『週刊金曜日』長期連載・待望の単行本化第2弾。新聞、雑誌、テレビの最前線で誠実に発言し、批判に応えてきた著者渾身のジャーナリズム論。
登録情報
単行本: 383ページ
出版社: 日本経済新聞出版社 (2011/1/18)
発売日: 2011/1/18
商品の寸法: 18.8 x 13.4 x 2.8 cm
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奄美に関する箇所 抜粋
p253 伝統がみな正しいわけではないが 94年12月09
p256(鹿児島市の五石橋は)p 256 加藤清正の熊本城築城以来、石造土木の伝統と技術を持つ熊本から当代一の名石工が招かれて造営に当った。その莫大な費用を賄ったのは、奄美の砂糖、沖縄を媒介にした密貿易、いやその上に君臨した島津藩の苛斂誅求だったといわれる。同藩主導の明治維新を用意したのも、同様の手段による財力であったといってよい。
そう見てくると、この五石橋は、近代日本の扉を開いた島津の栄光のシンボルとも、その苛政の象徴とも、正負両様の受け止めようができることになる。そして、ピラミッドにしろ、万里の長城にしろ、歴史的建造物というものは多かれ少なかれ、そういう両面性、両義性を特っているものである。
では、この五石橋はその負の側面の故に取りこわされるべきだろうか。そして、実際にその故に取りこわされようとしているのか。
そうではない。全く別の理由、橋をこわして新しいコンクリート橋を作ることにすれば災害特別対策事業として巨額の国庫補助が出るからである。石橋が洪水の水をせき止めて被害を大きくした、というもうひとつの取りこわしの名分は、ほとんど「言いがかり」に過ぎず、取りこわしに拍車をかけたのは例によっての経済利益第一主義である。(以下略)
震災後は、「経済利益第一主義」も耳に痛い。
今回の震災のあとに読むと、いっそうかんがえされられる ↓
P261
原発の周縁 95年03月03日
今になって判ったことだが、ロス(ノースリッジ)地震のほうが阪神・淡路地震よりも激烈な直下型地震だった。なのにロス地震の死者は六〇数人たった。全体の被害も後者より少ない。
あの時、高速道路がねじ曲ったり、落下した映像を見ながら、日本の専門家たちは「あんなことは日本では起きえない」を唱和した。阪神高速道路の惨状を眺めながら、私はもうひとつ、外国での事故のたびに「日本では起きえない」を専門家たちが唱えてきた領域があることを思い起していた。原発である。
スリーマイル・アイランド、チェルノブイリなどで大事故、惨事が起きる毎に、彼らは外国の原発の設計、仕様、工事などが日本に較べていかにずさんであるかを指摘し、だからすべてに優る日本では「あんなことは起きえない」と結んだのである。
震災を経て、もはやこうした「日本神話」は信じられない。地震の多い国では、地震のない国では「起きえない」ことが起きうるという疑いだけでなく、他者の経験から何も学ぼうとしない傲慢と独善がこわいのである。
ソ連が崩壊して各共和国が自立の道を求めようとした時、ウクライナについてだれしも連想したのは、この地方と分かちがたくイメージされてきた[穀倉」の二文字だった。地理的にも西側諸国に近い。が、これがほとんど使えない。チェルノブイリのせいである。
どの程度の放射能汚染がウクライナ産の豊富な農産品に及んでいるか、いないかは、市場心理ではそう大きな比重は持だない。汚染が「起きうる」という「風評」が決定的役割を果たしてしまう。P261
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