5分で分かる「西郷どん」第25回『生かされた命』
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西郷どんの人生に、行動の上でも、思想的にも、また人格形成の上でも多大の影響を与えた斉彬は、釣り好きだった。
海音寺潮五郎はその著『幕末動乱の男たち(上)』で
「斉彬は自ら釣って来た魚を自分で調理して薄塩をして蓋物に入れ、居間の違い棚にのせておき、二、三日た経って練れて来たのを食べるのが好きであったから、置毒(ちどく)は容易であったはずであると思う」と述べている。
斉彬の死因は当時流行していたコレラによる病死とされているが、海音寺は、西郷は終生、斉彬は父斉興派によって毒殺されたと信じていたとの見方をしめしている。(小説『西郷隆盛』第二巻
「斉彬は自ら釣って来た魚を自分で調理して薄塩をして蓋物に入れ、居間の違い棚にのせておき、二、三日た経って練れて来たのを食べるのが好きであったから、置毒(ちどく)は容易であったはずであると思う」と述べている。
斉彬の死因は当時流行していたコレラによる病死とされているが、海音寺は、西郷は終生、斉彬は父斉興派によって毒殺されたと信じていたとの見方をしめしている。(小説『西郷隆盛』第二巻
話は、斉彬の死因ではなく、釣り好きのことだ。
しかも、自ら調理して食べるという、殿様らしくない(英名の誉れ高い斉彬らしい)趣味だ。
しかも、自ら調理して食べるという、殿様らしくない(英名の誉れ高い斉彬らしい)趣味だ。
らしくないといえば、斉彬の釣り好きが影響したのか、西郷もイカ釣りの疑似餌を巧みに作るような器用な一面があったということだ。沖永良部島での流罪中のことだ。
島に伝わる話によると、実際によく釣れたという。
西郷の作ったというルアーの実物の写真は、画像検索でみることができる。