180604 愛加那の泉へ行きました。
西郷どん 番組の最後で紹介されていた愛加那の泉 奄美大島北部龍郷町。
西郷どん6/3日「別れの唄」は視聴率12.0%だった。
5月6日(17)「西郷入水」
12.0
↓ ここから島編 落ち目から回復したものの、ジリ貧。
5月13日(18)「流人 菊池源吾」
14.4
5月20日(19)「愛加那」
13.7
5月27日(20)「正助の黒い石」
12.2
6月3日(21)「別れの唄」
12.0
ま、視聴率も、最近は視聴スタイルも多様化し、いろいろあるから。
次回からは一旦鹿児島へ戻るのだろう。すぐに徳之島、沖の永良部と、また違った奄美編になるはずだ。
===
ドラマは相変わらずフェイクてんこ盛りだが、ま、ドラマは楽しめました。
召喚状をを受け西郷が、大久保に、おいは、こん島に残ると言う場面。
場をはずそうとする愛加那を西郷どんが、かまわんといってこっちへ来いという。
3年余りの島生活で、、薩摩の島に対する搾取の酷さを身をもって知った西郷「そんためにこれほどまでに島の人たちを苦しめていたとは・・・」と大久保に話す。
大久保も正座で神妙な面持ちで聞き入ります。(ここからは少しセリフを正確に書きますが、一部わかりやすくしました)
西郷「じゃどん、唄も踊りもほんのこつ(ほんとに)美しかあ。憎かはずの薩摩の俺いにまでやさしか。砂糖や作物は全部薩摩に召し上げられるが、海には魚がおる、山にはイノシシがおる。腹が減ったらいつでも狩りをして、その命をいただける。俺いは、ここで生きる力をもらった。人の愛っちゅうもんを教えてもろうたんじゃ。おいにとってここは極楽じゃ。
大久保は無言で話に聞き入る。(大久保が島に?そんなことあるもんかと笑うのはもう大人げないW)
無かったことを証明するのは悪魔証明、むずかしい、という反論も成り立つかもしれないのです(笑。
むしろフェイクはこのドラマの路線となっているのかもしれない。糸婦人もやってくるかも。(以前、大久保利通を伴って島津久光が龍郷に西郷を迎えにきたという小説も読んだことがある)
あまりにも薩摩憎しで書かれた奄美の歴史をなまかじりした私は、フェイクとはなにか、史実とは何か、考えさせられた。えらい歴史の先生も島の人たちを忖度して書きずらかった面もあったかもしれない面も、あっさり描かれている。
===
↑動画では、県道81号の安木屋場から、龍郷郵便局をすぎ、少しいったところの西郷南洲流謫跡の案内板を右折、すぐに二又にわかれますが、西郷南洲流謫跡へは行かず左に行くと、 すぐに愛加那の泉の案内板が見えます。
その一キロくらい先でしょうが、仏像墓の案内板があります。
関連 このブログ