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奄美群島日本復帰70周年・燃えるかごしま国体 相撲競技開催記念 特別講演会「奄美の相撲の歴史と民族」

2023年10月16日 | 歴史 民俗

この記事は一つ下の記事のつづきです。
燃ゆる感動かごしま国体相撲競技会開催記念
「日本一土俵が多い島 奄美大島~奄美相撲の歴史・文化~」(奄美市教育委員会主催)
9日(月)奄美川商ホール(文化センター) 
講師琉球大学名誉教授 津波(つは)高志  
メモ
奄美の相撲─その歴史と民俗 単行本 – 2018/11/27
津波 高志 (著)
世界的にも稀有な変化を遂げた奄美の相撲。沖縄と比較しながら手堅い手法で歴史と民俗を紐解く
単著に「沖縄社会民俗学ノート」「ハングルと唐辛子」「沖縄側から見た奄美の文化変容」
 
新聞によると受講者は71人 60人とも)。私の予想を大きく超えた。
沖縄の相撲との比較が面白かった。沖縄では今も「組み相撲」が残っているという。相撲の国際的比較も興味深い。(例えば韓国シルムは組み相撲でかつてはTV放送もあったほど)
相撲(に似た競技、娯楽)は、古くから世界各地に見られるのだ。
「広域相撲」「集落相撲」「個人相撲」「競技相撲」
「島相撲」「大和相撲」
「土俵」(実際には「砂俵」)「土砂俵」
「一本勝負」「三本勝負」
これらの単語を注意深く観察していくと「奄美の相撲は組み相撲から「立ち合い相撲」に変化した世界的にも稀有な事例」ということのイメージが浮かび上がるってくる。
沖縄奄美の島々での相撲の変化の推移を見れば、薩摩侵攻(1609年)が大きなポイントとなるだろう。
沖縄本島以南は、明に対して琉球国を独立国と見せかけ、奄美群島は正式には1613年より薩摩の直轄支配下となる、そうした沖縄と奄美の間の政治的線引き。
 
あとは海軍が運動不足解消の目的で甲板で行った相撲大会、そうした機会で奄美出身の若ものが本土の立ち合い相撲に出会い、優秀な成績を残す。その人たちが島に戻り立ち合い相撲を広めた、という話にもあった。
 
沖縄のキムジナーと違い奄美のケンムンは相撲が好きということにも注目したい。ケンムンまでもが好きになるほど、他ならぬ奄美の人々が相撲が好きだったのだろう。娯楽少なかったからという理由づけは、まったく当てはまらない、という話もあった。島には他にも、身近に海山川いたるところに遊びのたねはふんだんにあったのだ。
 
大相撲の力士や関取の数も多分人口比で世界的だと思う。その理由についても説明もあった。
 
相撲でこれだけ文化、民俗的、歴史的な考察ができるとは。
 
最後に質問の時間で、奄美大島では土俵が多くの場合公民館に併設されているが、そういう事例は他の地域にも例があるのかどうか、質問してみたかったのですが・・・。

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