このところ、読書日記は端折りぎみだった。やはり書かないとつづかないので書く。
タイムリーに、一度このブログで記事にしたかもしれない本を再び。
奄美の近現代史もまた興味深い。
昨夜から、今日のTVでは、ジョン・F・ケネディ大統領に関するニュース特集をいくつか目にした。
キャロライン・ケネディ駐日大使の父、が暗殺されて、22日で50年になる。
で、それが奄美とどういう関係か? ケネディ氏はアメリカ大統領初のそして現在まで唯一のカトリック教徒として知られている。
奄美とカトリックの関係はあまり、知られているとは言えない。しかし奄美を理解する上で重要な要素である。
『ケネディ氏葬儀の祭壇、奄美に 信者「新大使に見てほしい』 2013年11月21日(最終更新 2013年11月21日 00時16分)西日本新聞
ケネディ元大統領の葬儀に使われた教会の祭壇が1964年(昭和39年)、奄美大島に、米軍艦「ココダ号」で運ばれてきた様子の写真と記事が、この『カトリック 奄美100年』に載っている。
上の新聞記事をよく理解するため、改めて読んでみた。(あとは、明日書きます。)
祭壇名瀬港到着の記事は、本書「奄美のカトリック教会100年史略② ☆奄美宣教年譜戦後編☆ A.D. 1916-1991 のp100と101
1964年(昭和39)2月2日 名瀬聖心(みこころ)教会新聖堂のため奄美に赴任していた神父の働きにより、アメリカのワシントン教区の大司教座セント・マティュウ教会の祭壇が軍艦ココダ号(1600屯)で名瀬港に運ばれてくる様子の、 艦長を出迎える若き日のゼロム神父、信愛幼稚園での歓迎式の様子の写真が紹介されている。
この写真は名瀬カトリック聖心教会のHPの名瀬聖心教会の歴史のページでも見ることが出来る。
この祭壇こそが前年の63年11月にケネディ元大統領の国葬が同教会で行われた聖マテウ教会にあった祭壇だったという。
google search Cathedral of St. Matthew
1945年の空襲にづづいて、本土復帰2年後の1955年の大火で再び全焼した聖心教会
の新聖堂のため、62年にアメリカに帰省した神父との約束が守られて、はるばる奄美まで運ばれて来たという話。
ケネディ元大統領にゆかりの物は、国内では他にないのでは?といわれている。
その他の新聞記事
ケネディ元大統領見送った祭壇、今も奄美の教会に
2013年11月16日20時47分 朝日デジタル