きのうNHK Eテレ 知恵泉を見た。しばらく見なかったが、ここのところ見ている。
大河ドラマのため、か最近幕末ものが多い気がする。
きのうは江戸幕府の老中で、安政の改革の阿部正弘だった。
先人たちの底力 知恵泉「鎖国やめます 阿部正弘 常識をひっくり返せ」
阿部の名は、奄美の歴史書でもよく目にする名前なので、調べて書いた。(番組内容を説明するものではありません)
政権についている政治家で有能な人でも
世間でよく言われることは少ない。
現在でもそそうかも知れないが、
とかく幕末、幕臣には有能な人物であっても日は当りにくい。
今日から見れば、薩摩、長州が開明的で維新を成し遂げ開国したかのように思えるが
当時、いちはやく鎖国をやめ開国をつよく望んだのは老中首座の阿部正弘であった。
老中首座といえば今日の総理大臣にあたる。
ペリー来航前に行なわれた改革で阿部は
★江戸の守備を強化する為、軍備を強化した。
★海岸防禦御用掛(海防掛)を設置して、考えの異なる攘夷派の水戸藩主徳川斉昭(のちの将軍・徳川慶喜の実父)徳川斉昭を海防参与に推戴した。
★実力のある外様大名の幕政参与を積極的にみとめ、意見を交わしていた。
なかでも奄美の歴史にかかわることは、
★薩摩藩の御家騒動(お由羅騒動)に介入したことだろう。
島津斉興を隠居させて開明派と評されていた島津斉彬を藩主とする。
阿部は、坊津や琉球などを拠点とした薩摩藩の密貿易に関する情報をちらつかし
「斉興隠居・調所失脚」となったわけだが、調所広郷(笑左衛門)といえば
天保の、薩摩藩の財政・農政・軍制改革、
なかでも奄美の黒糖を中心とする財政改革だろう。
wiki明治維新の実現は薩摩藩の軍事力に負うところが大である。薩摩藩が維新の時に他藩と異なり、新型の蒸気船や鉄砲を大量に保有し、羽振りが良かったのは、1世代前に500万両に及ぶ借金を「踏み倒し」、薩摩藩の財政を再建した広郷のお蔭と言えるwiki
この時、調所の改革の根本は奄美の黒糖だったのである。容赦のない苛斂誅求が行われた。
それで奄美の農民らは塗炭の 苦しみをえたわけだが、
歴史の皮肉というのだろうか、西郷は斉彬を尊敬し、久光を嫌う。久光嫌いは彼の行動を読み解くキーでもある。
wiki お由羅騒動(おゆらそうどう)は、江戸時代末期(幕末)に薩摩藩(鹿児島藩)で起こったお家騒動。別名は高崎崩れ、嘉永朋党事件。藩主・島津斉興の後継者として側室の子・島津久光を藩主にしようとする一派と嫡子・島津斉彬の藩主襲封を願う家臣の対立によって起こされた。wiki
お由羅騒動に連座した薩摩の武士は奄美の島々に流罪になっている。