奄美 海風blog

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セミは雨でも鳴く

2006年06月11日 | 島尾敏雄

060612komihondori 昭和47年(1972年)6月12日夜11時半過ぎ、
古見本通りは、雨だった。

気温21.1度、南の風0.8m/s、湿度は1004.6hpa

妻は、11時には帰ると言った夫の帰りを心配して雨の中、家を出て、橋を渡り、国道へ出た。

アスファルトに飛び散る雨足を街灯が照らしているばかり。夫はもう帰って来ないのではないかと思っていた。

そこへ、屋仁川通りで、お客さんを乗せた(たぶん)大島タクシーが現れたのが、11時半過ぎだった。

現場地図 奄美市名瀬古田町  屋仁川通りは、金久町(かねくちょう)です。「新月」と「とん吉」の帰りでタクシー拾う。

34年前のこの日、名瀬は、1日32.5ミリの雨。日照はない。

翌日から、夫は「執拗な欝」。この頃、妻は早起き、庭の畑仕事。

名瀬
月日 気圧 平均気温 最高 最低 平均湿度 平均風速 降水 日照 日照合計

6/12 1004.6 26.2 30.6 21.0 73 4.5 32.5 -- 24.0

6/13 1002.4  24.3 27.0 20.8 88 2.2 29.0 1.2 16.2
「憂鬱にひっくりかえってしまいそう」

6/14 1003.8 24.3 27.0 21.6 78 2.9 -- 10.1 61.4
 日記休み

6/15 1005.5 24.5 27.5 20.9 81 2.0 0.0 4.2 37.0
「終日頭がもやもや」「いらつきがとれない」

6/16 1007.3 25.2 28.4 23.4 87 2.1 9.0 0.4 24.0
「夕方、雨になり、夜中近く気分が安定」

この日、まわりの山で蝉が鳴く。

6/18、6/19 図書館庭でハチ騒動。フェニックスの下葉に蜂の巣。

奄美(だけ?)では、蜂が低いところに巣を作ると、その年は台風が多いといわれる。

1972年の台風の発生数 接近数
5月 1 個        0
6月 3              0
7月 6          3
8月 5          3
9月 5          2
10月 5          3
11月 3             0
12月 2             0
発生合計31個  接近合計 11個

平年の発生数26.7個、接近数10.8個

過去(1951年から)最も台風の発生が多かった年は1967年の39個。
5位の1964年は34個の発生。

うーむ

6/25 1972年 奄美地方梅雨明け

翌1973年

6/8 しきりに鳴き騒ぐ蝉の声

6/13 リュウキュウアカショウビンの声を聞く。
「クッキャルー、クッキャルー、とルーのところがふるえてふくみ声のように聞える」

6/14 雨が降っていても蝉は鳴いている。

6/14名瀬 1005.8 23.8 26.5 21.4 85 3.8 降水104.5 -- 8.2

6/16 赤とんぼがいっぱい飛び交う、次の日いない。
6/22 蝉が降るように鳴いていた。
6/29 1973年 奄美地方梅雨明け

1973年は、台風の接近数は4個で、少ない年の第一位。発生数は21個で少ない年の第3位。(1951年~2005年)

ホントかどうか気象庁のサイトで確かめたい。

2005.06.21
トンボ、セミの声

2005.06.27
奄美地方梅雨明け、霞んでいます。

2005.06.29
アダン(阿檀)の実。 東京でもセミ

暑い!東京・大手町でアブラゼミ鳴く…観測史上で最速

気象庁のある東京・大手町。 最高気温が31・5度(平年25・7度)、 観測史上最も早くアブラゼミの鳴き声。平年に比べて31日早く、これまでの       記録だった1955年の7月10日より2週間も早かった。

(読売新聞)2005年 - 6月26日より


昨日の続き書かなきゃ。1972年の歌謡曲

2006年06月09日 | 島尾敏雄

この記事は、きのうの続きです。

0606091 昭和47年(1972年)7月3日、早朝6時、名瀬(旧)港の岸壁には、南南西の風が吹いていた。

そのとき名瀬測候所は、風速1.8m/s、気温は25.2度と記録した。

島尾敏雄を乗せた、照国丸は、前日夕方鹿児島を出港し、この朝、7時前名瀬港に入った。

出むかへのミホ夫人は、日傘を差し、買ったばかりのワンピース姿。(島尾敏雄は、日記で、その柄がやぼったいと、8行も費やしている)

3時に家を出て、港までおりて行って待っていた。
島尾敏雄の旅の間、毎日そうしていたという。

1972年7月3日、午前3時の名瀬の気温25.2度、南の風、風速0.7m/s、古見本通りは、この日ミホ夫人にとって追い風であった(笑)

小俣町から港へ向かう途中、ダボ・シャツ姿の青年たちとすれちがって、声をかけられるが、島ことばだったから、ちっとも怖くなかった、と港で話している。

======島尾は勤め先の図書館へもどる。

旅先では気にならなかった騒音が気になった。
ひっきりなしに往来する自動車の騒音、宣伝者の甲高い若い女性の声。
「私の存在」がはじきだされそうで、「針の山に座るような気分」になる。

しかし、これらの騒音は、すぐに通り過ぎる。

がまんならないのは、道路をへだてて、すじ向かいにある板金塗装工場から
聞えてくる流行歌の音
小さな工場で働く若い二人が、作業をしながら聞いている、カセットテープの再生音だ。

くせのついた歌いぶり、意味のついた、その音響は、耳について離れない。
永遠の拷問をうけているような気分になる。

若者の一人は円環作業衣が似合い、胸元のボタンを小意気にはずして「なかなかこっこいい」。憂いを帯びた面長の容貌の仕事熱心な様子がいっそう好ましい工場主の方の若者に、島尾敏雄は、こう呼びかける。
部屋を出て塀越しだ。

「にいさん、にいさん」

0606092 ========と、ここまでは昨日の記事に書いた。
続く、と書いたが、実は続きは、もうあまりない。

「にいさん、にいさん」と呼んだ声は思いのほか力がなく、騒音は空気中にひろがっていた。=====中略======

気をとりなおし、もう一度「にいさん、にいさん」と呼ぶ。

いきなりスパナなど投げられはしないか心配しながら

「もう少し低くしてくれんね」

と島尾敏雄がいうと、若者は、無言でもう一人の若者にあごをしゃくったのだった。

音は、低く調整された。

しかし、こうしたことは、この日のことだけではなかった。
島尾敏雄は、くせのある流行歌の歌いぶりに、もう幾度も、この「にいさん、にいさん」を繰り返しているのだった。

==============

削りに削られて、磨き上げられた(と思われる)島尾の文章は、本でじっくり本文を味わってほしい。

として、おじさんの興味は、この流行歌がなんであったかに向かう。
そして、できたら当時若者だったこの「にいさん」たちに、いろいろインタビューしてみたいのである。

下記 1972年(昭和47年)の歌謡曲 人気順 参照

うーむ、気象はあまり関係がなかったかな・・・。日記によれば、島尾敏雄はこのあと数日体調がすぐれない。7月11日、夜中に頭痛がして、台風6号、7号、8号と三つの台風の予報を知る。

0606093_2

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1972年 7月3日の名瀬の気象

気象観測(電子閲覧室)
過去の気象統計データ検索
地点ごとのデータ(昨日まで)

一日の毎時の値 より

名瀬 時 現地気圧 海上気圧 気温 湿度 風向 風速m/s

3時 1008.6 1009.5 25.2 90 南 0.7 m/s
6時 1008.2 1009.1 25.6 南南西 1.8
9時 1008.8 1009.6 30.1 70 南南東 2.3   
12時 1008.5 1009.3 31.7 南南東 4.0
15時 1008.1 1008.9 27.9 78 北北東 2.3
降水量8.5mm 日照時間9.2h

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1972年(昭和47年)主な出来事

1月24日 - グアム島で元日本陸軍兵士横井庄一発見。
2月3日 - 札幌オリンピック開催
2月19日 - 連合赤軍、あさま山荘事件。
4月16日 - 川端康成が逗子市でガス自殺。
5月15日 - アメリカから日本へ沖縄返還、沖縄県発足
5月30日 - イスラエルのテルアビブ空港で日本赤軍乱射事件
6月11日 - 田中角栄通産相が「日本列島改造論」発表
6月17日 - アメリカ、ウォーターゲート事件発覚。
9月29日 - 田中角栄首相が訪中し、日中国交正常化の共同声明。
12月10日 - 日本、第33回衆議院議員総選挙投票。
12月18日 - アメリカ軍、北爆再開。

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1972年(昭和47年)の歌謡曲 発売順

1972.01. 夜明けの停車場 
1972.01. だれかが風に中で 上條恒彦 
1972.01. 結婚しょうよ 吉田拓郎  
1972.02. ぼくの好きな先生 RCサクセション
1972.02. 太陽がくれた季節 青い三角定規 
1972.02. 北国行きで 朱里エイコ  
1972.03. 八月の濡れた砂 石川セリ  
1972.03. 人生が二度あれば 井上陽水
1972.03. メリー・ジェーン つのだひろ 
1972.03. 黒の舟唄 長谷川きよし 
1972.03. 走っておいで恋人よ  アリス
1972.03. あの鐘を鳴らすのはあなた 和田アキ子
1972.04. 赤色エレジー あがた森魚
1972.04. 恋の追跡 欧陽菲菲  
1972.04. 瀬戸の花嫁 小柳ルミ子  
1972.04. サルビアの花 もとまろ  
1972.05. 雨 三善英史 
1972.05. ひとりじゃないの 天地真理  
1972.05. 恋の町札幌 石原裕次郎  
1972.05. 女のみち ぴんからトリオ  
1972.06. 学生街の喫茶店 ガロ 
1972.06. どうにもとまらない 山本リンダ 
1972.06. 旅の宿 吉田拓郎  
1972.07. 返事はいらない 荒井由実  
1972.07. 傘がない 井上陽水  
1972.07. 京都から博多まで 藤 圭子
1972.07. 耳をすましてごらん 本田路津子  
1972.07. たどりついたらいつも雨ふり モップス 
1972.07. せんせい 森 昌子  
1972.08. 男の子女の子 郷ひろみ
1972.08. 折鶴 千葉紘子
1972.08. 雪 猫  
1972.09. 喝采 ちあきなおみ  
1972.09. めぐり逢う青春 野口五郎 
1972.10. 少女 五輪真弓  
1972.12. 怨み節 梶芽衣子 
1972.12. 悲しみの町 藤 圭子 
1972.12. 地下鉄にのって 猫  
1972.12. さそり座の女 美川憲一
1972.12. おきざりにした悲しみは 吉田拓郎

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1972年(昭和47年)の歌謡曲 人気順

1 女のみち  宮史郎とぴんからトリオ 
2 瀬戸の花嫁 小柳ルミ子 
3 さよならをするために ビリー・バンバン 
4 旅の宿  よしだたくろう 
5 ひとりじゃないの  天地真理 
6 喝采  ちあきなおみ 
7 ちいさな恋  天地真理 
8 太陽がくれた季節  青い三角定規 
9 悪魔がにくい  平田隆夫とセルスターズ 
10 夜明けの停車場  石橋正次 

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1972年(昭和47年 書籍ベストセラー

恍惚の人(有吉佐和子)
日本列島改造論(田中角栄)
坂の上の雲 5・6(司馬遼太郎)
女の子の躾け方(浜尾実)
放任主義(羽仁進)
二十歳の原点(高野悦子)
般若心経入門(松原 泰道)
世直しの倫理と論理(小田実)
日本史探訪
狼なんかこわくない(庄司薫)


『追想 島尾敏雄』&カケロマ

2006年06月08日 | 島尾敏雄

060608shimaotoshio1

↑大きい写真で見る

どしゃ降りの雨で、写真が撮れない日は、室内で撮ればよい。

といってもこれは、以前撮った写真です。

『追想 島尾敏雄』2005年12月25日発行

    amazon で見る

作家 島尾敏雄は第二次世界大戦末期の10ヶ月と、1955年から1975年までの約20年間、奄美大島に住みました。

1986年11月12日鹿児島市で,69歳で亡くなってから20年が経とうとしています。

この本には、奄美、沖縄、鹿児島を中心に、島尾敏雄に縁の深い方々から寄せられたエピソードなどを中心に43編が収められています。

身近で良く知っている方や、有名な方の、初めてきく興味深い話が数多く書かれています。なつかしい写真も、いっぱい載っているので買ってよかったです。

島尾敏雄が館長をつとめた、県立図書館奄美分館(名瀬名瀬小俣町)には

「病める葦も折らず
けぶる灯心も消さない」島尾敏雄

と書かれた文学碑があります。

旧約聖書 イザヤ書

42の2 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。

42の3 傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことなく裁きを導き出して、確かなものとする。

42の4 暗くなることも、傷つき果てることもないこの地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。

加計呂麻島の文学碑は、観光ガイドブックにも載っています。

この本はまだ名瀬市内の書店の店頭に並んでいると思います。
ぶらりと訪れた名瀬の小さな書店で、買ってみるのも格別かも。本の写真入りでブログに旅行記を書くとか。

名瀬市内の新刊書店は、数年前まで十数軒あったのですが、ここ2、3年で
半数ほどに減ってしまいました。

大型書店やコンビニの出現、ネット通販の普及の影響でしょうか。

========突然ですが、これを書いている途中、お客さんが、

「おじさん、カケロマの宿、どっか知らない?」
「あー、お客さんから、いくつか名前は聞くけど・・・、知っているわけじゃないから・・・これ、あげようか?」

といって、あげたパンフレットに載っている加計呂麻島の宿泊施設です。

ペンションタートルビーチ加計呂麻
マリンブルーかけろま
来々夏ハウス
ダイビング&ペンションRIKI
ペンションハウスINカケロマ
ペンション芝
ペンションマリンビレッジ
民宿池田
民宿INAハウス
民宿おりた
民宿かけろま
民宿きゅら島
民宿花富
民宿南龍
民宿はまゆう
民宿ゆきむら
民宿5マイル

合計17施設、宿泊費は、2食付で、4500円(一軒)から8000円。
部屋代のみ(2000円~3500円)が一軒

加計呂麻島、請島、与路島は、鹿児島県瀬戸内町ですので、
YAHOO電話帳のこちらなどで、住所と電話番号を調べます。
詳しいことは、直接お尋ね下さい。

本を見せて 「カケロマ行ったら、この人の文学碑とか、見てきたらいいよ」

「誰すか、その人、有名?」
「ああ、おじさんの場合、名前くらいは知らないと、はずかしいくらいには、有名さ」
「ふうん」

奄美に行くことになって、ネットでいろいろ検索してみた人は「ああ、その人どっかで、見たことありますよ」という。

060608shimaotoshio2 島尾敏雄『日の移ろい』、『続 日の移ろい』

島尾敏雄が名瀬に住んでいた頃の昭和47年(1972年)4月1日から翌年の11月1日までの日記が本になっている。

おじさんがこんな本をヒジョウにおもしろく読めるのは、当時の名瀬の様子がよく書かれているのと、ブログを書くようになったからか。

昭和47年の7月3日(中公文庫65ページ)の日記がおもしろい。分量も多い。

島尾敏雄は音に敏感な人だったようだ。

三日間の福岡の旅から帰った島尾敏雄は名瀬の街のいろいろな音が気にかかるようになった。

勤めていた図書館近の筋向いの板金塗装工場から、流行歌が鳴り出します。

「その音響は意味がついているから」もう、がまんなりません。まるで拷問をうけているような気分になります。
細かい描写がつづき、島尾敏雄は意を決して板金塗装工場の若者に声をかけます。

「にいさん、にいさん」

・・・・・・・・・・・・長くなりそうなので、》》続く・・・・明日からワ-ルドカップなのに


鳥の鳴き声など、ズアカアオバト

2006年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

060606whistlinggreenpigeon

雨なのに風がない。

風がないのに雨が降るのはあまりフツウではない気がします、島では。

この鳩は、右足を枯れ枝の先端に置き、左足を下に伸ばして、その爪で枝の側面に突き立ててバランスをとっている。

ズアカアオバト google

台湾に生息する亜種の頭が赤いことが和名の由来。
鳴き声が尺八の音に似る、から尺八鳥とも。

ある図鑑に書いてある、鳴き声

「ポーポーぺポー、ウーーウォウーウ、ポポポポ、など」

こだわると、これがまた、おもしろい。

聞いたことがあって、
声に出して5回以上読んでみないと、・・・?。

各地に「ききなし 聞き做し= 鳥のさえずりを、人の言葉に置き換えて聞くこと」がありそうですが、奄美のそれは、言葉の意味が写りません。写実的?でもないのですが上記の鳴き声より、なぜか、ピンときます。(笑)

ちなみに同図鑑の、アカショウビンの鳴き声は「キョロロロー、キョロッキッロッ、など」、こちらは、わかりやすい。

まあ、どちらも、夕方、山で聞くと、もの悲しい感じがします。なぜか、疎外感を感じて、早く、なしぇの街に帰りたくなりますな。

やまばと鳴いて日が暮れる、名瀬の街、あれは秋か?


田中一村代表作「クワズイモとソテツ」一般公開迫る。6/22から

2006年06月04日 | 田中一村

060604water ここのところの、土砂降りを、集めて早し・・・、うーと、山の滝、ではありません。ここは、旧県道脇の岩清水の、水飲み場なんですが。

雨水のにごりは、ありません。

ここは奄美らしい動植物などが身近に観察できる、お気に入りの旧道です。

雨水は、晴れた日にも、しばらく車道のアスファルトをぬらし、↓の海に急降下します。

060604cycasrevoluta1

↑↓これらの絵?は、昨日の記事の続きになります。

060604cycasrevoluta2

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日本画家 田中一村(1908-77年)の代表作「クワズイモとソテツ」は、奄美パークの田中一村記念美術館で、
6月22日から9月19日まで一般公開されます。
休館日など、ご確認のうえ、お出かけ下さい。
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「クワズイモとソテツ」とは、いったいどんな作品なのか、
それを披露する紬服姿の宮崎緑館長の写真を見てみたい。

↑鹿児島の観光の最新のニュースなどを紹介するページ
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「奄美の杜⑥~クワズイモとソテツ~」寄託記念特別展 

展示期間 平成18年6月22日(木)~9月19日(火)
休館日 7月5日(水),19日(水),9月6日(水)
閉館時間 9:00~18:00(7月と8月は19:00まで開館)
展示場所 田中一村記念美術館常設展示室
入館料  大人200円,高校・大学生140円,小中学生100円


公園のソテツ

2006年06月03日 | 植物

060603sagopalm1

柱状の花序が雄株で、球状が雌株です。写真上、下

細部を良くカンサツした後は、柱状の花序と葉の隙間から、この絵の背景を覗いて観ます。画面左側でございますね。緑色の芝生です。白い球状の花をつけた雑草が、無数に、そして、ていねいに描かれています・・・さらにその向こうには、雨にけむる、亜熱帯の山々・・・そして、その夕暮れ時の空には、カミナリ雲が・・・という具合に、鑑賞していただきますと、そのー、田中一村の・・・し、失礼しました(笑)。

ソテツというのは、コノー、

060603sagopalm2

じつに、コノー

060603sagopalm3

さまざまな、形をします。

060603sagopalm4

大きい写真で見る


島バナナ、店頭 夏

2006年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

060602banana1_1 ←拡大します。

夏本番前、近所のお店で、吊るして売られている、島バナナ。

左から、4,300円、6,900円、7,900円。

冬本番前は、こちら↓で紹介しました。

2005.11.17
島バナナ 店頭

060602banana2_1

写真の説明 左、島バナナ28キロ、9,800円

右上、スモモ(奄美プラム)一箱(サイズ?)2,500円

右下、パッションフルーツ、一袋5キロ5,900円、スイカ1,500円

普通のバナナ一山390円、フジリンゴ一山390円。

値段は等級によって違うと思います。

夏本番前、奄美は、山も、海も、サンゴの磯も、川も恵みの季節か。恵みのいただきかたも、段々忘れていくような・・・。


赤土

2006年06月01日 | 自然観察

060601redsoil1

↑→右にまわり、ズームで拡大した↓

060601redsoil2

これは、私有地だろう。

旧県道の道路を挟んで、反対側は↓

この冬、がけ崩れの修復工事が終わり、法面に金網が貼り付けられたあと、黒い土が機械で吹きつけられ、すぐに、草が生えてきた。土には草のたねが入っているのだろう。

060601redsoil3

赤土をgoogle で検索すると、川や海への流失によるサンゴなどへの悪影響の記事が多い。赤土には、なにか、いいことはないのだろうか。

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アクセスカウンターが変?。なにも悪いことした覚えはないのだが、午前中、wrong user と表示され、数値が表示されなくなった。

午後、数値は表示されようになったが、動かないようだ。もとに戻ることもある。あとで考えよう90637