奄美 海風blog

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大相撲9月場所(2018) 6日目 奄美力士星取表(幕下上位以上)解説○里山(3勝0敗)押し出し 古場(2勝1敗)

2018年09月14日 | 大相撲
大相撲9月場所(2018) 5日目 奄美力士星取表(幕下上位以上) 
 
十両
 
明生(瀬戸内町)23歳
9月 東十2 O**OO*     3勝3敗
7月 西前16***O*O***OO*O*O 6勝9敗 


大奄美(龍郷町)25歳
9月 東十4 O*OOOO     5勝1敗 
7月 東十2 OO****OOO***O** 6勝9敗


千代ノ皇(与論町)27歳
9月 東十7 **OO*O      3勝3敗 
7月 東十11 **OOOO*OOO***OO 9勝6敗

 
幕下
 
里山(奄美市)37歳
9月  東下21 O-O--O    3勝0敗
7月 東下14 *-O-*--*-O-O*-- 3勝4敗

 
○里山(3勝0敗)押し出し 古場(2勝1敗)
 
幕下の力士は原則、塩をまかない。
照明も落とされ土俵はしっとり湿って見える。
初土俵以来、どんな大きな相手にも真っ向勝負を貫き通して14年余りの里山。37歳になった。体には白いものは見えない。
立ち合いの変化も時には必要なのでは?のまわりの進言にも信念を曲げることはなかった。関取になったとき地元TVでも約束したのだった。
きょうも低い立ち合い、頭からあたった。互角だった。
変化にたより、下がってばかりでは、ついには相手に研究されてしまう。
やはり、一定の圧力は必要だ。
古場の強い当たりにも互角にわたりあい、押し込まれることはない。
常に動きを主導した。
土俵際での絶妙ないなし、それにつづく
素早い身のこなしを見ると、ますます稽古十分のようだ。
 

大相撲9月場所(2018) 5日目 奄美力士星取表(幕下上位以上)明生×大翔鵬 大奄美×琴恵光

2018年09月13日 | 大相撲
大相撲9月場所(2018) 4日目 奄美力士星取表(幕下上位以上) 
 
十両
明生(瀬戸内町)23歳
9月 東十2 O**OO      3勝2敗
 
7月 西前16***O*O***OO*O*O 6勝9敗 

 
○明生(3勝2敗)押し出し 大翔鵬(2勝3敗)
国技館は熱気で湿度が高くなっているのだろうか。
土俵の壁のひび割れもあまりない。
明生のふっくらと張りのある体に、うっすらと汗がにじんで
いっそう美しい肌艶が好調ぶりをものがたっている。
明生が締め込みを。ポンポンとたたく音は毎場所、乾いた音なのだが
きょうは、こころなしか湿った音にきこえる。
 
 
大奄美(龍郷町)25歳
9月 東十4 O*OOO      4勝1敗 
 
7月 東十2 OO****OOO***O** 6勝9敗

 
○大奄美(4勝1敗) 寄り切り 琴恵光(1勝4敗)
abematv  1:08:00/1:32:04頃立ち合い
 
琴恵光(ことえこう)は、ほとんど相撲が取れていない。
右の張り差しは無駄で墓穴、左の差し手は封じられ、そこに
大奄美の前に出る圧力を受け、後退。土俵際もまわしが無ければ耐えようがない。
大奄美は、前への圧力をかけながら、まわしへのこだわりそれから考える、というのが、好調の今場所の取り口だ。
 
千代ノ皇(与論町)27歳
9月 東十7 **OO*      2勝3敗 
 
7月 東十11 **OOOO*OOO***OO 9勝6敗

 
幕下
 
里山(奄美市)37歳
9月  東下21 O-O--    2勝0敗
 
7月 東下14 *-O-*--*-O-O*-- 3勝4敗


大相撲9月場所(2018) 4日目 奄美力士星取表(幕下上位以上)動画を解説 大奄美×矢後(北海道)

2018年09月12日 | 大相撲
大相撲9月場所(2018) 4日目 奄美力士星取表(幕下上位以上) 
 
十両
明生(瀬戸内町)23歳
9月 東十2  O**O       2勝2敗
 
7月 西前16***O*O***OO*O*O 6勝9敗 

 
大奄美(龍郷町)25歳
9月 東十4 O*OO      3勝1敗 
 
7月 東十2 OO****OOO***O** 6勝9敗

 
○大奄美(3勝1敗)押し出し 矢後(1勝3敗)
 
矢後は、あの広い北海道から最近誕生した旭大星についで二人目の関取。
それでも奄美の3人にはおよばない。長い間およばないでいる。
 
 
画面をクリックすると停止し、もう一度押すとまたうごく
 
体格は大奄美に遜色ないが、矢後は長い脚が不利だなあ。
 
足の長さだけではない。腹の大きさと太ももの大きさも大奄美と比べると、いかにも細い印象だ。
 
矢後の、突っ張りには勢いを感じるものの、これらの要素が重なり、重い腰の大奄美に
比し軽かった。
 
それに、今場所の大奄美は、左からの攻めの意識が強い。
 
前に出る圧力と、相手のタイミングを見ての合わせ技による、左へのこだわりだ。
 
きょうの二度にわたる矢後の自滅への引きを呼んだのも、
この左からの圧力だった。腰の低さ重さは言うまでもない。
 
右脚のテーピングが気になるが、今場所の大奄美は稽古十分の好調のようだ。

千代ノ皇(与論町)27歳
9月 東十7 **OO      2勝2敗 
 
7月 東十11 **OOOO*OOO***OO 9勝6敗

 
幕下
 
里山(奄美市)37歳
9月  東下21 O-O-     2勝0敗
 
7月 東下14 *-O-*--*-O-O*-- 3勝4敗


大相撲9月場所(2018) 初日 奄美力士星取表(幕下上位以上)

2018年09月09日 | 大相撲
大相撲9月場所(2018) 初日 奄美力士星取表(幕下上位以上) 
 
西郷の家は代々運が悪い。苦労つづきだ。
そうなったのは、義を守ったためである。
現世には、虎狼の群れが徘徊している。義を守れば、どうしても不運になる。
だが、侍が義を守って苦しむ生涯を送るのは、本懐ではないか____津本陽 『巨眼の男』西郷隆盛 一 新潮社一 p106
 
そんな西郷家の一つの自慢は、先祖代々遺伝される類まれな体格と容貌である。
子孫に美田を残さなくても、西郷隆盛は身長191㎝を超える巨漢の曾祖父の吉之助から相撲の才を受け継いでいる。
吉之助江戸の出府の際、江戸相撲の小結九紋竜と勝負をして、ひけをとらなかったというのだ。(参考 津本陽 『巨眼の男』西郷隆盛 一 新潮社 他)
場所はいくつか異論がある。
大河ドラマ「西郷どん」第5回「相撲じゃ! 相撲じゃ!」では、西郷どんは篤姫も観戦する相撲大会で斉彬とガチ相撲を取り、藩主を投げ飛ばし、周りでおおさわぎになっている。
ちなみに、この回は番組最高視聴率の 15.5パーセントを記録している 。
西郷は、3月年余りの奄美大島では龍郷や笠利その他で島の腕自慢たちと、よく相撲を取っている。相撲の稽古は心身の鍛錬にもなった。
現在、奄美の現役の関取の数(3人)は、人口比でモンゴルを抜いて世界一である。
大相撲力士の数でも同じことがいえるだろう。
このことと西郷が島で子供たちに学問と相撲を教えたことは、まったく無縁なのだろうか。

十両
明生(瀬戸内町)23歳
9月 東十2 O        1勝0敗
7月 西前16***O*O***OO*O*O 6勝9敗 

 
大奄美(龍郷町)25歳
9月 東十4 O        1勝0敗
7月 東十2 OO****OOO***O** 6勝9敗


千代ノ皇(与論町)27歳
9月 東十7 *         0勝1敗 
7月 東十11 **OOOO*OOO***OO 9勝6敗

 
幕下
 
里山(奄美市)37歳
9月  東下21 O       1勝0敗
7月 東下14 *-O-*--*-O-O*-- 3勝4敗


去年の記事 新しい『奄美発の「西郷どん」』パンフいただきました。

2018年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム
 
新しい『奄美発の「西郷どん」』パンフいただきました。
↑ 左旧版 右新版きのうコメントにづづいて2日連続の西郷記事となってしまった。このパンフレットはいただきものだが、きのう図書館には、旧版とこの新版と並んで、「ご自由にお......
 

図書館2階の郷土コーナーに今日も新旧版とも置いてありました。


京都市長時代、妹(菊子)家族を呼び寄せ暮らした屋敷は「聖護院」内の一角/結婚間もない菊次郎と久子は新納家に2人して養子縁組で入っていた。

2018年09月07日 | 歴史 民俗
西郷菊次郎に関する新しい知見
1、菊次郎は妹の菊子、その次男・網則、次女・冬子を京都の屋敷に呼び寄せて、菊次郎家族と一緒に暮らしたのだが、その屋敷が門跡寺院「聖護院」内の一角であったのだ。
2、結婚間もない菊次郎と久子が、新納家に2人して養子縁組で入っていた。明治27年から約1年4カ月の間、菊次郎と久子は新納家の人間であったのだ。
 
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奄美大島の恩人であった新納久修(読み)にいろひさなが)は、いくつかの名を持つ。薩摩藩遣英使節団の引率、視察役の一人として鹿児島出国の際は石垣鋭之助。
wikipedia
新納 中三(にいろ ちゅうぞう/なかぞう)は、江戸時代末期(幕末)の武士。薩摩藩家老。通称の刑部でも知られる。字は久脩。諱が中三。維新後、七等判事、奄美大島島司。

明治4年(1871年)の廃藩置県で薩摩藩消滅後に退職するが、明治9年(1876年)に七等判事として新政府に出仕。その後また一時期退職したが、明治18年(1885年)奄美大島島司となり、特産品である黒糖の流通改革に従事。負債に苦しむ島民のために尽力したが、翌年に突然免官された。これは黒糖流通を独占していた鹿児島県商人による画策といわれる。しかしその後も中三は島民から救世の恩人と敬慕された。
明治22年(1889年)、没。享年58。

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いくつか下の記事 ↓26日放送『西郷どん』第32回「薩長同盟」10.4% 『24HTV』みやぞんゴール34.7%、平均視聴率は15.2%

(勝海舟が)えげれすにわたってろんどん大学というところで学んだちいうのは、
長州五傑(長州ファイブ)1863年 井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)のことだろう。主にユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)
 
西郷は「えっ、そいは本当でございもすか」と驚くが、薩摩藩遣英使節団というのもある。鹿児島中央駅前正面の「若き薩摩の群像」

3名の視察係(新納中三・五代友厚・松木弘安)と15名の留学生(薩摩藩第一次英国留学生)に通訳1名の計19人で1865年に渡英した。(長州ファイブに対して薩摩スチューデントともいわれる)
このうち新納中三は、明治18年(1885年)奄美大島島司となり、黒糖の流通改革に従事。負債に苦しむ島民のために尽力したことは、島の歴史ではよく知られている)


フクギの実が生っている

2018年09月07日 | 植物

写真2~4は、過去記事からコピペしました。

 

 


去年の記事ツイートまとめ きのうの名瀬は大気不安定 夕日のはなし、

2018年09月05日 | 夕焼け
 
ツイートまとめ きのうの名瀬は大気不安定 夕日のはなし、
日は斜めに落ちる奄美市名瀬知名瀬漁港より写す撮影日不詳 pic.twitter.com/tmtrNnZcUN— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2017年9......
 

あの日は、偶然ここを訪れたのだった。今年もこういう時期になったのだな。


9/2日放送「西郷どん」第33話「糸の誓い」13・2% 前回から2・8Pアップ

2018年09月04日 | 歴史 民俗
2日放送「西郷どん」第33話「糸の誓い」13・2% 前回から2・8Pアップ
暗い幕末、あまりに暗い画面、まずしい西郷家の映像はなお暗い。
惰性でもついつい、ついつい見てしまう韓国ドラマ、「オクニョ」は日本の戦国時代16世紀中ごろの話だそうだが、登場人物の衣装も多種でカラフル、屋内、屋外とも明るい色彩に満ちているのと対照的だ。セット感に満ちている。
暗さで、低視聴率を予想したのだが、前回から2・8Pアップと健闘している。
ちなみに番組最高視聴率は、第5回「相撲じゃ! 相撲じゃ!」の 15.5パーセント 。
篤姫出演でやはりカラフルで明るい画面だった。健闘した奄美編も明るめだった。
 
今回
龍馬とお龍が薩摩に来た。そして、駐日英国公使ハリーパークスもやってきて西郷どんと会見した。
パークスもそうだが、その部下で通訳のアーネストサトウも、よく似ちょりもすな。
サトウは西郷どんが気に入りで「黒ダイヤのように光る大きな目玉をしているが、しゃべるときの微笑には何とも言い知れぬ親しみがあった。」一外交官の見た 明治維新 上
と述べている。
 
イギリス公使おさらい。
 
薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件(生麦事件)1862年の時
初代の駐日英国公使であるオールコックは休暇で帰国中でジョン・ニールが代理公使として日本に着任し、薩英戦争の戦後処理にあたる。
この頃、西郷は沖永良部にいた。奄美大島に遠島中で、西郷との交流もあった重野 安繹(しげの やすつぐ 厚之丞)が一足早く帰還しており久光のお庭番になり、英大使館でのジョン・ニール側との薩英戦後和睦の談判にあたって講和に主導的役割を果たしている。
 
 
 
1864年にオールコックが公使に帰任すると、ジョン・ニールイギリスへ帰国した。
四国艦隊下関砲撃事件(1864年)、で、主導的な役割を果たしたオールコックの行動は、日本との全面戦争を避けたい英国政府の意向とあわず、オールコックは公使を解任された。
1865年パークスは、上司であるオールコックの後任公使に任命され、横浜に到着した。
 
ドラマは、1866年(慶応2年)。パークスはあのグラバーの仲介で鹿児島にやってきて
ナゼかナマコ料理を食べさせられ、ノーモアーなまこと怒ったのであった。
タイトルの「糸の誓い」とは、何だったのか、見逃した。
ちなみに原作では、京都市長の就任した奄美の息子西郷菊次郎の回想で、糸どんが奄美大島を訪れ、九歳の彼を迎えにくるシーンが語られる。
 

一昨年の記事 去年の記事 台風12号一過

2018年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム
 
去年の記事 台風12号一過
 台風12号一過名瀬では台風の雨風ともほとんど感じませんでしたが、船の便は欠航しています。九州のりものinfo →https://t.co/VWSQs2iGj0市内......
 

なんの根拠もないのですが、台風は19号とか21号とか強そうに感じますね。

こんどの台風は、夜9時過ぎでしょうか、やや強い風を感じましたが、雨もなく、すぎ収まった気配です。(今は深夜)

台風にも長年異変をを感じますが、この記事でも触れているように、それは2010年の奄美豪雨が起点だったのは?と思いますね。

急峻な山と狭い平野では台風といえども洪水は、それまではなかなかなかったのでは、と思います。本土んの水害はやはり想像を超えます。

気象庁台風情報→ http://www.jma.go.jp/jp/typh/182124l.html


26日放送『西郷どん』第32回「薩長同盟」10.4% 『24HTV』みやぞんゴール34.7%、平均視聴率は15.2%

2018年09月01日 | 歴史 民俗
 
 
みやぞんゴールって何だろう?
==
 
孝明天皇による長州再征の勅命が下された。
これに対し、大久保は「非義勅命は勅命に有らず」と幕府に従おうとしない。
西郷は驚くが、例によって大久保に怒鳴られ「おはんは恐ろしか人間じゃあ」と納得。
二人連名の書付は慶喜、岩倉はじめ諸藩、公家へと広まる。
 
これは、古代中国の王朝の交代を説明する理論で、
徳を失った現王朝に天が見切りをつけたとき、革命が起きるとされた「易姓革命」論に通じる。
 
そしてこれは聖徳太子の『十七条憲法』の第三条
三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、(承詔必謹)に反する。
君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)と せよと太子はいう。
 
「君君たらずとも、臣臣たらざるべからず」などと言えば話が複雑になるからやめる。
 
西郷に「おい達は間違ごうちょおらん!」と叫ぶ大久保。
勅命が万民が納得できないものであると判断するのは誰なのか?主観的唯心論の陽明学のもつ毒にも通じる。また複雑になった。
さて、
ドラマの薩長同盟締結の場面では、意地をはり、互いに譲らない薩摩と長州を
竜馬がわじわじしながら見ている。現実主義の薩摩が頭を下げ、長州が負けたと認めてドラマはうまくまとまった。(それにしても伊藤俊輔(博文)の服装や立ち居振る舞いは、あまりに小物足軽風で・・・初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣になるのだからもう少し・・・)
 
原作では勝海舟が「いいですか、西郷さん。あたしからすれば薩摩と長州はよく似てますよ」
「どちらも独りよがりで、思いこんだら決して曲げない。それよりなによりあなたたちと長州は力をもっている。・・・
「長州というところは面白いですよ。こんなに長いこと攘夷攘夷と叫んでいるくせに、去年、とっくに若い者たちをえげれすに行かせているのですよ。」上製版 後編p73
 
えげれすにわたってろんどん大学というところで学んだちいうのは、
長州五傑(長州ファイブ)1863年 井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)のことだろう。主にユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)
 
西郷は「えっ、そいは本当でございもすか」と驚くが、薩摩藩遣英使節団というのもある。「若き薩摩の群像」(長州ファイブに対して薩摩スチューデントともいわれる)
3名の視察係(新納中三・五代友厚・松木弘安)と15名の留学生(薩摩藩第一次英国留学生)に通訳1名の計19人で1865年に渡英した。
 
このうち新納中三は、明治18年(1885年)奄美大島島司となり、黒糖の流通改革に従事。負債に苦しむ島民のために尽力したことは、島の歴史ではよく知られている)
 
共に関ヶ原負け組である薩摩と長州は、海舟がいうように似ているところもあるが、
原作で西郷の相思相愛の女お虎はこう言っている「祇園ではおさむらいはんとゆうたら、やはり長州のお方どす。薩摩はまるであきまへん」「薩摩のお方はケチ(吝嗇)やさかい。そこいくと長州はんは金払いがええうえに、男前どす」
 
薩長同盟締結は(1866年)。薩摩藩遣英使節団の渡英は1865年だった。
 
ドラマでは、この薩長の若き留学生達が、が異国の地でともに苦労を分かち合う姿にスポットが当てられたが、原作ではスポットは「商売」であったところが面白い。
 
上製版後編p111
「砂糖をやってみる気はなかか」
西郷は龍馬に持ちかける。
「薩摩には黒糖がある。そして船も。奄美大島はどこへ出るにも便利なところじゃ。ここに生糸と茶も集める。そいで上海まで持っていって売ってくれんじゃろか」
龍馬「商人は嫌いじゃなかったがですか」
「商人が嫌いなのではなか。武士が商人の真似ごとをすっとが好きではなか。じゃっとん考えてみっと、貿易などというものは商いの最たるもんかもしれんな」
これは西郷を知るためにも重要なセリフに思える。
竜馬「まっこと」
西郷「・・・大きな金が入ってくるからだけでなか。海の向こうの硝子玉のような目をした連中もおいたちと同じように生糸や綿や茶を欲しがる。そげん考えると何やら愉快な気持ちになってくるではなかか。海の向こうにもおいたちとそう変わりない人間が暮らしちょっと思えば、戦などつまらなぬことに思えてくる」 (ドラマでは西郷は常に非戦、反戦をこころがけている)
このあたりは西郷の5年にもおよぶ気候風土、文化の違う島での体験知見が生きているような。
龍馬「まっこてそうなんがです」
龍馬「・・・戦をせんように武器は備えておかんといかん。ましてや国内の戦など・・・」
竜馬の考えは憲法前文のいう「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するだけでは、「われらの安全と生存を保持」できないということだろうか。
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