葛城山の麓の九品寺の境内で見た、吉井勇の短歌に心惹かれて、いつかテラスの記事にしたいと思っていた。
青春放蕩の歌から孤独に苦しむ時代の吉井勇は、この詠をどの時代に創ったものなのかは、調べていないので分からないが、読むほどに共感する。
九品寺の境内に歌碑があるわけでなく、ここの住職が、心の琴線に触れる、句、短歌、詩などを、千体仏に続く境内に書き上げている。
自分の成長過程で「いたくきずついた」中身は、幼い時は些細なことにあったり、傷つきやすい青春の頃は、深刻であり、大人になっては、職場であり、人間関係であったりさまざまであるが、「ははおはします」に象徴される両親によってどんなに癒されてきたことだろうと思う。
「ははおはします」の中にある、包容力や、温もりに支えられてきた自分を重ねる。
母の存命中「うれしやわれに」の思いは続いた。
母の亡くなった歳まで、あと10年、私は、自分の子たちにとって、「うれしや我に母おはします」的存在であると言えるのだろうかと、この詠を読むたび思う。