だから、駅名としてしか認識していなかった。
昨日書いたカフェの窓から、道路を隔てた丁度向かいに神社が見え、お参りの人が次々見えたので、ママに尋ねた。すると、近くの席にいた年配の男性が、
「あれは、森之宮という神社で、由緒のあるお宮さんやで。帰りに寄って、参っていきなはれ。」
と勧めてくれた。
「鵲(かささぎ)社森之宮と神社名の碑があった。
神式の礼儀どうりの参拝をして、拝殿を見上げると、菊のご紋が社の上にも、幕にもある。
宮司さんの奥様と思われる方が、いらしたので、由緒を書いたようなものを頂けるかとお願いすると、奥から持ってきて下さった。
今は、ビルに囲まれた狭い場所であるが、1400年前、境内は方八町の広い森であったとの事である。
人皇三十一代用命天皇とその皇后、即ち聖徳太子のご両親をお祭りしている唯一の神社であることが記されていた。
なお,鵲森之宮の謂れも書かれていたが、これは省略する。
奥さんに「かささぎの 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞふけにける」百人一首の中納言家持の和歌の、「かささぎ」のことを話すと、昔、川があり、そこに架かる橋を「鵲橋」と呼ばれていたらしいことなど、にこやかに話されて、お神酒を注いでくださった。
お酒は駄目と思いながら、一口お神酒としていただいた。
良かったら記帳してくださいといわれたので、「他所から参りまして」と、記帳した。
帰りには下の写真のお供物のお煎餅まで頂戴した。
私の知りたい病に快く応えてくださった奥様に感謝である。
大阪城の観梅の頃には、是非またお参りをしよう。