家の裏の田んぼの稲刈りがほとんど終わっています。コンバインが大活躍ですから、稲刈りも取り掛かれば、本当に早く作業が進んでいきます。
刈り取った田の畔には彼岸花が目立って赤い彩を見せ始めました。それを見ていますと、葛城古道の一言主神社の当たリにも、彼岸花が咲いているような気がしましたので、お昼前にちょこっと車を走らせました。
参道に下りていきますと、どうもこのあたりはまだ早いようで、蕾が赤いローソクのように多く見られる程度です。
駐車した車の後ろのやや高い位置の土手には、いくらか満開らしい集まりが見えます。日当たりの具合なのか、ここでは秋を楽しむかのように花を咲かせているので、見る方も嬉しくなりました。
この土手には蕾がにょきにょき斜面に立っています。これがすべて咲いた時赤い土手が黄金色の田んぼを引き立たせることでしょう。
神社の参道の左手の田の畦道は、両脇に咲く彼岸花の花道になるのです。何年か前にはそんな花道を、どんどん進んでカメラに納めていったこともありました。ここでも蕾がいっぱいです。やはりお彼岸さんまで待たなければだめなのでしょう。
神社の拝殿の横に、蜘蛛塚があったように記憶していたのは、私の記憶違いだったのかと、忘れっぽくなったので、神社にお参りして確かめようと思ったのですが、膝の調子が良くなかったので、石段を見上げて、下からお参りをして確かめは次回にしましょう。
土蜘蛛というのは、古代に大和朝廷に従わなかったその地の首長や集団をさす蔑称だと言われています。古代にこの地で、戦いがあったのでしょう。蜘蛛塚は土蜘蛛と呼ばれた人々の供養のために一言主神社に塚を造ったと言われています。
石段の上り口の左手に回って、大銀杏の下に行ってみました。神社の御神木です。樹木医の処置を受けて静養中の古木が、早く以前の元気を取り戻してほしいものものです。
ふと目の前にひっそりとお座りの石仏が目に付きました。神社の境内の仏様にもきっと何か謂れがあるのでしょう。
亀石という表示板がありました亀石といえば、明日香の「亀石」が有名です。明日香を訪れる人は必ずそこへ行って、さりげなく道路端にある亀石を目にしたことと思います。
葛城にも「亀石」があります。
その昔、役の行者が災いをもたらす黒蛇を封じるために乗せた石がこの亀石だという伝えがあります。樹木の下にありますので見つけにくいかもしれません。
帰り道美しく並ぶ参道の杉の木のある風景がいつお参りしても、立ち止まってじっくり眺めたくなります。
この美しい杉並木のことを調べていましたら、次のような説明文を見つけました。
司馬遼太郎氏の「街道をゆく」第一巻の中で、葛城古道は「葛城みち」として紹介されています。文中で司馬遼太郎氏がとても誉めていたのが、葛城一言主神社の参道です。 6124