大阪マラソンの最初の観戦予定地は、下味原の交差点手前の左車道だった。
ついたときにはすでに交通規制がされていて、道路上には車がなく、関係者や警察官の姿の方が多く、観戦する人はまだ見えていなかった。
ここで、この日1日中共に過ごすことになった大阪のおばちゃんとの出会いがあった。
本当は、二人ともおばちゃんではなく偶然にも孫が5人いるれっきとしたおばあちゃんなのだが、気合の入れ方は、まだおばちゃんで通用することにした。(本当のおばちゃん年齢の人には、あつかましくてすみません。)
先導のパトカーが目の前を通って、続いて時報車(というのかどうか~~)9時20分を示している。
スタートしてから20分だ。
第一団がいく。早い、早いと、カメラで追うのも大変だ。次の瞬間からはこのような団子状態の大集団の通過である。
少しばらけたなと思っていると交差点を右折するので、左側の歩道に立っている私には見えづらくなってきた。
声援に応えて手を上げるゆとりはこの時点ではまだ十分。救護班の人も力走だ。
どうかお世話になる人が少ないようにと祈る思いで見送る。
左手に書いたゼッケン番号も、こんなに大勢の人が通過する中では見つける可能性が全くなくなって、暫くはランナーのパフォーマンスのみを写した。
下味原の観戦場所で隣にいた、大阪のおばさんは、息子さんが抽選に外れて今日走れない分、大勢のランナーを応援したくてここに来たのだと話してくれた。
竜馬さんは、キロ7分ペースで走るとのことだったので、コースマップに大体の通過時刻の目安を記入して、その時刻が過ぎれば、御堂筋へさらにゴール地点へと追っかけ移動をするのを、大阪のおばさんが、
「地理がよく分かっているから、最後まで行こうよ。」と発破をかけてくれた。
お互いに名乗りもしなかったのに、マラソンという絆に結ばれたように、マラソン観戦の共有の時間をもてた。
難波で降り立って、御堂筋に出たが沿道は、人垣の連続で、人と人の頭の間からカメラを覗かせて前を走るランナーを、捉えるのみの結果となった。
こんな所で、ぐずぐずしているよりは、できるだけゴールに近い場所に行こうということになった。
乗ったことのないニューとラムに乗ると、空席を見つけるのもやっとの混みようだった。
応援に向かう人の思いは同じでゴールで「おめでとう」のお迎えをしたいのが人情であろう。
電車の中で、ユニホーム姿の外人さんが横の席にいたので、単語を並べたような英語で尋ねたら、もうゴールをしたのだとのこと。
フィニッシュ会場周辺には一般の人は入れないので、そこに一番近い沿道に張り付いた。
目の前の建物はこの辺りで一番高かったので、府庁の建物ではなかろうかと思うのだが、何しろ初めての場所なので何処だか自信がない。
おばちゃん二人も周りの人たちと一緒に、声を張り上げ足を引きずって痛そうな人には、「もうそこやから、しっかり、しっかり!」「おかえり~~」「○○ちゃ~ん」「お兄ちゃんがんばれっ!」など、声援をし続けた。
「応援ありがとう!」と何人かの人がハイタッチをしてゴールに向かうのを、この場所でないと味わえない完走の共有をさせてもらったような気がする。
大阪のおばちゃんとは森之宮で昼食兼夕食をご一緒して、お互いに「1日のお付き合いありがとう」と言ってお別れした。
帰ったらどちらも「おばちゃん」でなく「おばあちゃん」の居場所が待っている。
10月31日
15254歩
11月1日
10187歩