昨日4月8日は、お釈迦様の降誕をお祝いする花会式だった。
どのお寺でも花会式が行われたと思うが、何年か前偶然にお参りした飛鳥寺の花会式の祭事を思い出し、昨日は、朝のうちから行く予定を立てていた。
確か2時からだったと記憶していたので、明日香で食事をすれば良いような時間になるまで、もろもろの家事を済ませて出かけた。
遅れていた桜が丁度、花会式をお祝いするように満開になり、飛鳥川の堤の両側がとても綺麗だ。
山門をくぐると、「甘茶をどうぞ」と受付の前で声をかけてくださった。
ずいぶん歩いてきたので、渇いた喉に冷たい甘茶とその甘さがなんと心地よく美味しかったことか。
本堂の扉が大きく開かれて、飛鳥大仏様がお参りの人を優しく迎えてくださるようだ。
この本堂の扉は普段は閉じられていて、お参りする時には、本堂に上がって飛鳥大仏の名で呼ばれている、釈迦如来坐像と真向かってお参りさせていただけるし、お参りした後は写真も自由に撮らせていただける、ありがたい大仏様である。
本道の扉が開かれて境内からお釈迦様におまいりできるのは、花会式と大晦日だけだとのことである。
境内にはご招待の方々の席があり、一般にお参りした人や、たまたま明日香を訪れた人たちは、長椅子などに自由に座って祭事に参加させていただける。
本堂の前に、お釈迦様の誕生仏が美しい花の館の中に立っていらっしゃる。
「天上天下唯我独尊」右手は上を指し、左手は下を指したお姿である。
小さい頃お釈迦様のお話を絵本で読んだとき、難しい言葉だけれどカナを付けてくれていたので、それ以来覚えている。
『「天の上にも天の下にも、私ひとりこそが尊い」という意味であると同時に、人間は生まれや育ちにかかわらず、みな平等に尊い存在だということも意味します』と、その意味が分かるようになった頃、お寺で聴いたお説教に感動した覚えがある。
ご詠歌が流れ、称名が唱えられ、その合間に散華がお堂に静かに舞って落ちる。
このような花会式が一番最初に行われたのは、飛鳥寺だそうである。
古代から延々と続けられるこのお寺の最も大切な祭事であると聞いた。
祭事の後、招待席の人から順に、お釈迦様に甘茶を献じ、一般の参詣の人や、観光の人たちも、甘茶を献じることによって、お釈迦様とのありがたいご縁を頂いた。
特別講演があり、ラジオウォークでお馴染みだった青山茂先生の「寺」の成り立ちや役目を古代に遡ったお話は大変興味深かった。
橿原神宮でこの日合った行事に参加されていた村長さんが、パレードの古代の服装のままでのご挨拶も印象に残った。
お寺を後にして振り返れば、祭事の幟がはためき、甘樫の丘の櫻を背景に長閑な明日香の里が夕暮れ近くなってきている。
お釈迦様のご縁を頂いたありがたい一日であった。