神戸メリケンパークの朝。

母と姉は、「森が見える景色よりも海が見える景色の方が断然好き!」だそうです。


「こんなところで暮らしたいわぁ。」と姉。
「ここで暮らしている人にとっては、海なんかどうでもよくなるんじゃないの。」と私。
34階からの景色

ホテルオークラ神戸のロビーのプリザーブドフラワー
「神戸市立博物館開館30年記念 特別展 マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」の「真珠の耳飾りの少女」
三宮へ向かうシャトルバスから撮影
旧居留地


三宮

三宮センター街
ここにも「真珠の耳飾りの少女」
私も早めに観に行かなきゃ!!
クリスマスの飾り付けが始まっていました
三ノ宮から大丸までゆっくりと歩きました
大丸を出る時、小雨が降っていました
神戸といえば、スイーツです。これははずせません。
「ボックサン」と「ケーニヒスクローネダンケコレクション店」は、道をはさんで立っています。どちらに入ろうかしら…と迷いました。
ケーニヒスクローネダンケコレクション店
ボックサン
姉が「ボックサン!!」と決めてくれました。
「ボックサン」をデパートで購入することはあるけれど、イートインしたかったそうです。
時間が遅かったからでしょう、残念ながら、プレートにいろんなケーキがのっているセットは売り切れ。
単品と紅茶をオーダーしました。


3人でたっぷりお喋りをしました。
姉と私が小さかった頃(私がオムツを使わなくなった頃からだそうです)、日曜日に父が連れて行ってくれた(母が家の掃除をするために、父が姉と私を連れ出したそうです)のは、日本橋にあった松坂屋大阪店(現・高島屋東別館)だったということが判明しました。
姉は、近鉄百貨店(上本町)だとずっと思い込んでいたようです。
私は、どこかのデパートの屋上で遊んだ記憶があるだけです。
更に姉の記憶によると、大阪へ行った日はいつも父を真ん中にして3人がカウンターに座り、ホットケーキを食べたというのです。
私には全く覚えがありません。
不二家の「ペコちゃんサンデー」の話も出てきました。不二家へは母も一緒に4人でよく行ったようです。
子どもの頃、母がシュークリームやクッキーやマドレーヌやカステラをいっぱい焼いてくれて、いい匂いが家中に充満していたこと、本当に美味しかったねぇという話も出てきました。
クリスマスケーキも母の手作りでした。最初はバタークリームケーキ、いつの頃からか、生クリームケーキになりました。
バタークリームケーキも美味しかった!!今も味を覚えています。
姉と私は「売っているクリスマスケーキが食べたい。」と言ったそうで、ある年のクリスマスケーキは買ったそうです。
それをちょっと食べて、姉と私は「美味しくない。」と言い、あまり食べなかったそうです。
母のお菓子作りの腕前を賞賛されたことになるこの瞬間、母はおおいに嬉しく思ったことでしょう。
食の記憶というものは残るものですね。
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Wikipediaの「松坂屋」を見ると、
大阪店 (天満橋店)
1966年、京阪天満橋駅の地下化に伴って建設された駅ビルに、ゑびす屋以来の日本橋(現・高島屋東別館のビル)から移転してきた。
とありますから、日本橋にあった松坂屋大阪店へ行っていたのは1966年より以前ということになります。
私がちょっと大きくなった頃には、父はゴルフにはまっていました。
日曜日はゴルフ!!
父と一緒に出かけることもなくなったように思いますが、この記憶は正しいのかどうか、次回母に聞かねば!

母と姉は、「森が見える景色よりも海が見える景色の方が断然好き!」だそうです。


「こんなところで暮らしたいわぁ。」と姉。
「ここで暮らしている人にとっては、海なんかどうでもよくなるんじゃないの。」と私。
34階からの景色



ホテルオークラ神戸のロビーのプリザーブドフラワー

「神戸市立博物館開館30年記念 特別展 マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」の「真珠の耳飾りの少女」
三宮へ向かうシャトルバスから撮影
旧居留地



三宮


三宮センター街

私も早めに観に行かなきゃ!!
クリスマスの飾り付けが始まっていました

三ノ宮から大丸までゆっくりと歩きました

大丸を出る時、小雨が降っていました

神戸といえば、スイーツです。これははずせません。
「ボックサン」と「ケーニヒスクローネダンケコレクション店」は、道をはさんで立っています。どちらに入ろうかしら…と迷いました。
ケーニヒスクローネダンケコレクション店

ボックサン

姉が「ボックサン!!」と決めてくれました。
「ボックサン」をデパートで購入することはあるけれど、イートインしたかったそうです。
時間が遅かったからでしょう、残念ながら、プレートにいろんなケーキがのっているセットは売り切れ。
単品と紅茶をオーダーしました。



3人でたっぷりお喋りをしました。
姉と私が小さかった頃(私がオムツを使わなくなった頃からだそうです)、日曜日に父が連れて行ってくれた(母が家の掃除をするために、父が姉と私を連れ出したそうです)のは、日本橋にあった松坂屋大阪店(現・高島屋東別館)だったということが判明しました。
姉は、近鉄百貨店(上本町)だとずっと思い込んでいたようです。
私は、どこかのデパートの屋上で遊んだ記憶があるだけです。
更に姉の記憶によると、大阪へ行った日はいつも父を真ん中にして3人がカウンターに座り、ホットケーキを食べたというのです。
私には全く覚えがありません。
不二家の「ペコちゃんサンデー」の話も出てきました。不二家へは母も一緒に4人でよく行ったようです。
子どもの頃、母がシュークリームやクッキーやマドレーヌやカステラをいっぱい焼いてくれて、いい匂いが家中に充満していたこと、本当に美味しかったねぇという話も出てきました。
クリスマスケーキも母の手作りでした。最初はバタークリームケーキ、いつの頃からか、生クリームケーキになりました。
バタークリームケーキも美味しかった!!今も味を覚えています。
姉と私は「売っているクリスマスケーキが食べたい。」と言ったそうで、ある年のクリスマスケーキは買ったそうです。
それをちょっと食べて、姉と私は「美味しくない。」と言い、あまり食べなかったそうです。
母のお菓子作りの腕前を賞賛されたことになるこの瞬間、母はおおいに嬉しく思ったことでしょう。
食の記憶というものは残るものですね。
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Wikipediaの「松坂屋」を見ると、
大阪店 (天満橋店)
1966年、京阪天満橋駅の地下化に伴って建設された駅ビルに、ゑびす屋以来の日本橋(現・高島屋東別館のビル)から移転してきた。
とありますから、日本橋にあった松坂屋大阪店へ行っていたのは1966年より以前ということになります。
私がちょっと大きくなった頃には、父はゴルフにはまっていました。
日曜日はゴルフ!!
父と一緒に出かけることもなくなったように思いますが、この記憶は正しいのかどうか、次回母に聞かねば!