非常に残念ですがこの笑顔はもう見られません(泣)
先週のことですが当社に一枚のFAXが来ました。
A・D(オートデルソーレ)を創業された野口社長が65歳にて死去されたという
訃報のFAXでした。
Drも驚きました。
まさか65歳の若さでお亡くなりなられたとは・・
DrとA・Dさんところはかなり近所にあり共にラテン系という共通点で取引は
少ないながら有りました。
Drにとって野口さんは業界の大先輩でDrからは声をかけるのも憚られたといのが
正直なところでした。
Drが野口さんと初めてお会いしたのは当社が創業間もない頃当時の花形であった
アウトビアンキA112ABARTHを業販にて譲って頂いた時でした。
野口さんはディーラーの社長様でDrはまだ出来立ての中古車屋ですからそれは
遠慮がちに「売って下さい」とお願いしたものでした。
価格も決まっていたのですがなんと野口さんは社員に「負けといたげて」と
決まったいた価格から更にDrが値切ったわけでもないのに値引きしてくれた
のです!。
Drの数多い取引の中でも売り主の方からディスカウントを申し出て頂いたのは
この時が最初で最後でした。
Drはちょっと感動物でDrもいつかはあんなことを言える心の広い社長になれたら
と思った物でした。
絵心の有った野口社長のギャラリー
それからずいぶんして某ディーラーの若社長の結婚式に招かれたときの円卓で
野口社長と同席する機会がありました。
しかしその円卓は京都の輸入車ディーラーの社長の蒼々たる面々で占められて
いてDrは明らかに場違いで小さくなっていたゆえお声をかける勇気もありません
でした(泣)。
それから当社が輸入したツインゴを買って頂いたりとか逆に下取り車を譲って
頂いたりのお付き合いはあったのですが残念なことに野口社長とお話出来る
機会はありませんでした。
やはりDrにとっては恐れ多い存在だったようです。
野口さんの描いた夢のプジョーディーラー
野口さんの絵を見ても現在のお店を見ても野口さんはとてもロマンティスト
だったんだなと思います。
Drも小さいながらショップ経営者ですから非常にこの思いが共感出来ます。
Drにもっと資本と度量があったらきっと野口さんみたいなお店を夢見て作った
に違いありません。
たぶん野口さんは商売よりもクルマ自身とロマンが好きだったんでしょうね。
Drもこの気持ちはすごくわかります。
会場にはあの元いすずのワークスドライバーの浅岡重輝氏が来ておられました!
会場で初めて知ったのですがやはり野口さんもDrと同じく若いときは父君の
バイクをバラしたりするのが大好きだったようです。
そしてレースにも参戦され良き時代に自動車を楽しまれたのですね。
浅岡重輝氏とはどうもレース仲間だったようです。
それにしてもお葬式は身内だけで密葬されあとでこのようなセレモニーを開催
されたのは野口さんの企画だったのでしょうか?!
Drもこんな風に出来たら嬉しいかななんて思いました。
ちょっと残念なのは自分でその光景が見れないことでしょうか?(苦笑)
きっと野口さんは天国でいろんなクルマを楽しんでいらっしゃると思います。
京都のラテンマニアに夢を与えてくださった野口さん本当に有り難うございました。
合掌
会場で遭遇した旧知のシブちゃん(シブヤオートモビル)とDr(^^;