孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

社会変革と個人 日本と西欧

2007-06-02 14:47:52 | 世相
風車
風車 posted by (C)みそラーメン

先日、環境問題を扱った番組をTVを観ていると、“デンマークでは消費電力の20%を風力発電でまかなっている。」とか「オランダでは自転車通勤が一般的で、平均ひとり1台の保有割合である。」といいうようなことが紹介されていました。

もちろん各国それぞれ事情・背景のあってのことであり、風力発電にしても自転車通勤にしても、そのことについて問題点がないわけでもないでしょう。
それらを論ずる意図はないのですが、そのとき感じたのは“こういう国は何らかの社会的合意が形成されると国民一人ひとりがそれに参加して、その変革を実現していく、そんなダイナミックな力を持っている社会だな・・・”という点です。

日本の社会を振り返ると、戦後の復興、高度成長、バブル経済、長期低成長時代などを経て社会は大きく変化してきましたが、“国民が主体的になにか変革を推し進めた、その結果社会が大きく変わった”というのはあまりないような気がします。
もちろん、それは個人が努力してこなかったとかいうことでは全くなく、社会の大きな流れのなかで、あるものは時流に乗り、ある者は流され、ある者は抵抗し・・・それぞれ必死に生きてきたところではありますが。

日本において社会変革は自分たちが主体的に起こすことではなく、政治家やお上が推し進めるものという意識が結局のところ根強いようにも思えます。
人々の意識にある理想は“有徳の為政者が民意を汲み取って行う善政”でしょうか。

自分たちが主体的に関わる意識を持たないと、北欧的な“高負担・高福祉”も“高い税金を取られる”という被害者意識で頓挫することでしょう。

こういったことの良し悪しを論ずる見識は持ち合わせていませんが、日本社会は個人が主体的に社会を変革していくいわゆる“民主主義”モデルとは若干違う社会なのかな・・・と感じた次第です。
随分大げさなタイトルをつけましたが、そんなふと思った感想です。

写真は“フォト蔵”より。
コメント (2)
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