(香港では4日夜、民主派団体主催の集会が開かれ、10万人を超える参加者たちがろうそくを手に、事件で犠牲になった若者たちを追悼しました。“flickr”より By judithbluepool http://www.flickr.com/photos/74399150@N00/4669534348/)
【「すでに明確な結論を出している」】
中国で民主化運動が武力鎮圧された天安門事件から4日で21年が過ぎました。
個人的には、それまでの仕事を辞め、新たな生活に乗り出そうとしていた時期に起きた事件であり、「21年か・・・」との思いもあります。
昨年は20周年ということで、また、前年末には中国共産党の一党独裁体制の変更を求めた「08憲章」が発表されたことなどもあって、ピリピリした雰囲気もありましたが、今年は昨年ほどではなかったようです。
天安門事件に対する「動乱」という中国当局の評価は相変わらずです。
また、国内では教育の場でも触れられることはなく、風化が進んでいます。
****中国:天安門事件から21年 評価変えず****
中国外務省の姜瑜副報道局長は3日の定例会見で、民主化を求める学生らを武力鎮圧した天安門事件(89年)について「(共産党・政府が)すでに明確な結論を出している」と述べ、評価を変えていないことを明らかにした。
4日で事件から21年。犠牲者の遺族らは学生らの行動を「愛国運動」として再評価するよう求めているが、姜副局長は「中国の発展ぶりをみれば、(武力鎮圧が)中国の国情と最も幅広い国民の根本利益に合致していたことが分かる」と主張した。【6月3日 毎日】
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また、“中国当局は、北京中心部の天安門広場の周辺に私服警官や、治安維持のための市民の「ボランティア」を数多く配置し抗議行動や追悼活動を封じ込めた。外国メディアの一部記者は、安全検査で広場への入場を拒否された。”【6月4日 読売】とのこと。
「市民ボランティア」については、
“4日の天安門広場。中国全土から訪れた観光客でにぎわう光景はいつもと変わらなかった。警備は通常より強化されていたとはいえ、発生から20年の節目となった昨年に比べれば警察車両の台数も少なく、警戒態勢は一見、緩和されたようにも映る。
広場付近の歩道では、椅子に座って雑談する多くの市民の姿がみられた。しかし、地面に置かれているミネラルウオーターはみな同じ銘柄で、制服警官の話に耳を傾ける一団もいた。不穏な動きに目を光らせる市民ボランティアだという。”【6月5日 産経】とあります。
【数十人の警官が監視する中で花を】
活動家や遺族への監視も相変わらずです。
****活動家らへの監視強化=天安門事件21年で中国当局****
中国で民主化運動が武力鎮圧された1989年の天安門事件から21年を迎えた4日、中国当局は天安門広場周辺で警戒態勢を敷くとともに、民主活動家らへの監視を強化して抗議活動を封じ込めた。
同事件で家族を失った人たちの一部は3日夜から4日にかけ、警察の厳重な監視の下で、現場での追悼や墓参が認められたが、メディアの取材は排除された。
中国人権民主化運動情報センター(本部香港)によると、元学生リーダーとして同事件で投獄された広東省深セン市の馬少方氏や河南省安陽市の郭海峰氏は3日夜、メディアの電話取材を受けていた最中に通信が遮断され、連絡が取れない状態になった。当局は元リーダーらが香港での追悼行事に参加するのを警戒して監視を強化しているという。【6月4日 時事】
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遺族に関しては、“3日深夜、遺族団体「天安門の母」の発起人の一人、丁子霖さん(73)が、高校生だった息子・蒋捷連さん(当時17歳)が戒厳部隊に射殺された現場を訪れ、数十人の警官が監視する中で花をささげた。他の遺族らは当局から外出を許されなかった。”【6月5日 朝日】とのことです。
【胡耀邦氏を慕う胡錦濤主席】
事件そのものではないですが、その死去が事件の発端となった胡耀邦元総書記については、同氏を慕う胡錦濤国家主席のもとで、再評価が進んでいるようです。
ただ、事件で失脚した趙紫陽元総書記については、厳しい評価は変わっていません。
****進む胡耀邦氏 再評価 趙紫陽氏に厳しい声*****
1989年の天安門事件から4日で21周年を迎える。その死去が学生デモのきっかけとなった故・胡耀邦元総書記については、胡錦濤政権下で再評価の動きが急速に進む。ただ、学生に同情的な姿勢を示して失脚した故・趙紫湯元総書記の再評価の動きはない。事件を「動乱」とする中国共産党の位置づけも変わらない。
5月上旬、胡耀邦氏と一緒に失脚した側近の朱厚沢・元党宣伝部長(79)が死去した。
中国筋は、その葬儀に習近平国家副主席がひそかに花輪を送ったと明かす。
胡耀邦氏は80年代に総書記として改革・開放を急速に推し進めたが、民主化を求める動きに理解を示して批判され、失脚した。
事件後に総書記に就任した江沢民前総書記は胡耀邦氏の再評価に慎重だった。自らに権威をもたらした事件の再評価につながることを警戒したためとされる。
だが、胡耀邦氏と同じく党幹部養成機関である共産主義青年団(共青団)出身の胡錦濤氏が2002年に総書記に就任し、状況が変わった。
05年の胡輝邦氏の生誕90周年には式典が開かれ、当時の曽慶紅国家副主席が一定の評価を表明。昨年9月には、同じく共育団出身の李克強副首相が墓参りをしたことが明らかにされた。
さらに注目を集めたのは今年4月、温家宝首相が追悼の又章を党機関紙の人民日報に載せたことだ。
事情に詳しい別の中国筋は、いずれの再評価の動きにも胡錦濤氏が表面に出てこないと指摘する。
温首相の文章は、胡輝邦氏の貴州省視察に同行した話が中心だったが、このとき同省トップでホスト役だった胡錦濤氏の名前は出てこない。この視察は、当時、地方勤務で実力を試された胡錦濤氏を、明輝邦氏が「励ます旅」だったと言われているのにもかかわらずだ。
「胡錦濤氏が胡耀邦氏を慕っているのは明らかだ。しかし、自らが再評価の動きに踏み込むことはしない。これはまだ極めて敏感な問題だからだ」と同筋は語る。
一方、趙氏に対しては再評価の動きは一向に見えない。生前の肉声を収めたテープを元にしたとする回顧録が昨
年、香港で出版されたが、中国内では禁書とされた。保守派だった老党員は「死んでも趙氏を許せない」と語る。 ほかの指導者の胡耀邦氏に対する一連の動きはいずれも、胡錦濤氏に近いことを示す政治的な狙いだとの見方さえある。
北京の外交筋は「胡耀邦氏の再評価は、あくまで胡錦濤氏の権力の正当化につながる動きに過ぎず、事件自体の再評価は難しいということではないか」とみる。
中国外務省の姜瑜副報道局長は3日の定例会見で事件について「とっくに明確な結論が出ている」と述べ、評価秤変化がないことを確認した。【6月4日 朝日】
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“ひそかに花輪を送った”ことが、関係筋から明かされる・・・いつもながら、中国指導部の力関係というのは微妙なものがあります。
【中国、香港民主派へ接近か?】
香港では4日夜、民主派団体主催の追悼集会が開かれ、10万人を超える参加者たちがろうそくをともし、事件で犠牲になった若者たちを悼んだとのことです。【6月5日 朝日】
なお、香港では直接選挙早期実施を求める民主派議員による辞職・補欠選挙の作戦は失敗に近い不発に終わったことは以前も取り上げましたが、中国側からのアプローチもあるようです。
****天安門事件後初の公式会談=香港民主派と中国当局****
香港民主派最大の政党・民主党の何俊仁主席ら幹部3人は24日、当地で中国政府の出先機関である連絡弁公室の李剛副主任(次官級)と公式に会談し、香港の選挙制度改革について話し合った。
香港民主派が全面支援した本土の民主化運動が武力弾圧された天安門事件(1989年)で同派と中国当局が決定的に対立して以来、両者の公式接触は初めて。
中国はこれまで、本土の社会主義体制に批判的な香港民主派全体を敵視してきた。しかし、香港政府が進める立法会(議会)と行政長官の選挙制度改革を後押しするため、民主党などの穏健民主派に接近する方針に転換しとみられる。【5月24日 時事】
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中台関係の強化を進める台湾・馬英九総統は「人権について新たに熟慮するよう希望する」との声明を発表しています。
****台湾:中国に「人権熟慮を」 天安門事件から21年で****
89年の天安門事件から21年の4日、台湾の馬英九総統は、中国政府に対して「人権について新たに熟慮するよう希望する」という声明を発表し、「普遍的価値の体現」を呼びかけた。
馬総統はかつて天安門事件での武力鎮圧を批判してきたが、08年5月の就任後は、事件に触れる際にも中国の人権状況の進展を評価するなど配慮を見せていた。【6月5日 毎日】
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“新たに”という文言に、「これまでも人権については一定の配慮がなされてきたところであるが・・・」との意味が込められているのでしょうか。