(2002年9月 マレーシアでも最もイスラム主義が濃い北東部の都市コタバルの屋台広場 女性は皆スカーフを着用しています。 お祈りの時間になると拡声器を手にした“誘導係り”が現れ、売り手も買い手も皆モスクへ消え、屋台広場は僅かの留守番だけが残るゴーストタウンとなります。)
【「レフォルマシ(改革を)」】
マレーシアは、マレー系、中国系、インド系、その他少数民族からなる多民族国家であり、これまでの政権は、社会的に劣後した状況にある多数派マレー系住民や少数民族の地位を改善するため、中国系・インド系より優遇する“ブミプトラ政策”のもとで民族間の微妙なバランスをとってきました。
統一マレー国民組織(UMNO)を中心とする与党連合・国民戦線(BN)は、1957年の独立以来、総選挙で12連勝中で、民主的選挙で選出されたと国として「世界最長政権」を維持しています。
しかし、長期政権の宿命とも言える政治の腐敗、強権的姿勢への批判、また、長年維持してきたブミプトラ政策への不満・閉塞感から、2008年総選挙では野党側が大きく議席を伸ばしました。
誰も予測しなかった与党側の敗北ということで、“The Election Tsunami”とも呼ばれているそうです。
“マレーシアでは1957年の独立以来、統一マレー国民組織(UMNO)を中心とする政権が続いているが、2008年の選挙では野党陣営が、改選前の20議席を大きく上回る82議席を獲得した。次の選挙でも激戦が予想され、専門家の間では野党側が更に議席を伸ばすとの見方もある。”【1月12日 読売】
このあたりの事情については、2012年6月17日ブログ「マレーシア 初の政権交代を目指す野党指導者アンワル氏」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20120617)でも取り上げたところです。
今年3月頃にも総選挙が行われるのではないかと推測されている政治状況で、史上初の政権奪取を目論む野党連合「人民同盟」やNGOが連動して12日、首都・クアラルンプールで大規模集会を開いたことが話題となっています。
****10万人が改革叫ぶ 野党連合が大規模集会 マレーシア****
マレーシアの首都クアラルンプールで12日、野党連合「人民同盟」が大規模集会を開いた。1957年の独立以来政権を握る与党連合「国民戦線」はデモや集会を制限してきたが、当局が初めて許可した。今年前半にも実施される総選挙を前に強硬姿勢は国民の離反を招くと判断したとみられる。
会場となったサッカー場は超満員。人民同盟を構成する3政党の旗が揺れ、「レフォルマシ(改革を)」の声が上がった。参加者は警察発表で4万人超、地元メディアは約10万人だと推計した。
人民同盟を率いるアンワル元副首相は「自由で公正な選挙で政権交代を」と訴えた。
クアラルンプールでは昨年春、反「国民戦線」系のNGO連合のデモをめぐり、参加者の一部が催涙弾などで強制排除された。重傷者が出て、「国民戦線は強権的」との批判が強まっていた。【1月13日 朝日】
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【市民社会への「柔和なアプローチ」】
上記記事にもあるように、これまで政権側は政府批判行動に厳しい姿勢で臨んできており、今回メルデカ・スタジアムでの野党の政治集会を政権側が許可したこと自体が異例のことです。
“これまで、ナジブ政権は同場所での抗議集会などを禁止してきたが、今回、異例で初めて許可を下した。背景には、総選挙を控え、「アラブの春」など国際的潮流から判断しても、国民や野党勢力への“強硬姿勢”は返ってマイナスと判断したためと思われる。
また、昨年には、NGO主催のデモで、催涙弾などで強制排除された参加者に重傷者が出たり、同様に、取材活動を展開していた報道関係者が警察から暴行を受けるなど、訴訟問題にまで発展しており、その後、ナジブ首相が陳謝するなど、与党政権の中でも、そのハンドリングに問題提議がなされてきた。
加えて、そのハンドリングを米国の大統領選などで選挙展開の“コンサル”で知られる欧米系の「ボストン・コンサルティング・グループ」などに「高額な公金」を支払い、専門家から指導を受ける中、市民社会への「柔和なアプローチ」を選挙対策として展開していることも挙げられる。”【1月15日 地球の歩き方 特派員ブログ 末永 恵】
「柔和なアプローチ」が選挙対策だけでなく、政治運営全般に及べば、それはそれで民主化の進展ともなります。
「柔和なアプローチ」への転換が吉と出るか、凶とでるか・・・・
ナジブ政権側は、順調な経済状況を背景に強気です。
****目標議席3分の2 強気のナジブ首相****
来年、総選挙が行われるマレーシアでは、政権第1党でナジブ首相が率いる統一マレー国民組織(UMNO)を中心とする与党連合「国民戦線」が議席数拡大を目指している。現在の議席数は全222議席中137議席を占めるが、2008年の総選挙で割り込んだ3分の2の議席数(148議席)を回復したい考えだ。
現地英字紙スターなどによると、同国は四半期ベースの成長率が5期連続で5%を超えるなど経済が好調だ。ナジブ首相は9月に国会に提出した13年度(1~12月)予算案で歳出を前年度比8%増とし、低所得世帯への500リンギット(約1万4000円)の現金支給などを盛り込んだ。
また、予定されていた消費税(一部生活必需品を除き4%)の導入を先送りするなど、好調な経済を背景に「国民の味方」ぶりをアピールしている。
これに対し、アンワル元副首相らが率いる野党連合の「人民連盟」は政府や与党の汚職・腐敗体質を訴えて議席増を図る。専門家は人民連盟が大幅に勢力を拡大するのは難しいと予想する。【2012年12月17日 SankeiBiz】
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【イスラム国家における発展モデル】
マレーシアは冒頭で述べたように多民族国家ですが、マレー系を中心にしたイスラム国家でもあります。
近年、イスラム国家における発展モデルとして、経済的にも順調で、政治的にも中東地域での存在感を高めるエルドアン政権のトルコが注目されています。
トルコは世俗主義を国是としてきましたが、イスラム主義政党の与党・公正発展党を率いるエルドアン首相のもとで、イスラム化が進むのかという点でも関心を呼んでいます。
一方、マレーシアも経済的には大きな成果を収めています。
国際金融センターのシンガポール、石油産出国ブルネイといった特殊な小国家を除けば、タイと並んで東南アジアの先頭に位置しています。
政治的には、トルコがクルド人問題というステレオタイプな民族問題から抜け出せないのに比べ、マレーシアは多民族国家という難しい状況を、いろいろな問題はあるにせよ(そのあたりが次回総選挙の争点にもなってきますが)、なんとかコントロールしてきています。
マレーシアが今後とも政治的・経済的に順調に発展すれば、トルコと並ぶイスラム国家の発展モデルともなると思われます。
****マレーシアの夢は実現するか――その年まで、あと7年 小杉 泰****
・・・・マレーシアでは、1981年にマハティール首相が登場し、新しい政策を次々と打ち出して、国造りの新段階に入った。その10年後には、「ビジョン2020」を発表した。これは、2020年までに先進国の仲間入りをするという目標を掲げたものである。これによって、マレーシアは「イスラーム国として最初の先進国となる」という夢を掲げた。(中略)
マレーシアも、1997年にアジア通貨危機に遭遇した。マハティール首相が当時、「国民が汗水流して働いた成果が貪欲な国際的なファンドによって奪われてしまう」と、怒りを表していたことを思い出す。(中略)
ところが、マレーシアはこの危機を乗り越えた。(中略)
結果論から言えば、マハティール首相が2003年に引退した後も、2020年に向かってマレーシアの夢の追求は今も続いている。これだけ長く継続的に夢に向かって進み続けるのは、すごいことだと思う。
マレーシアの経済発展は、イスラーム世界にとってきわめて重要な意味を持っている。イスラームと経済的な繁栄を合わせて追求しうることを証明したからである。
私が学生だった40年前には、日本でも「イスラームは近代化を阻害する」という考えが一般的であった。イスラームに限らない。儒教でも仏教でも、宗教は近代化と合わないという見方が優勢であった。
そうとは限らないという主張をしても、「イスラームの国はみな後進的でしょう」と言われれば、返す言葉がなかった。(中略)
イスラームを掲げない世俗国家となった国が発展しても、この問題は解決しない。その場合は、「阻害要因としてのイスラームを捨てたから、発展したのだ」と言われてしまうからである。
ところが、マレーシアは憲法に「イスラームは国教」と掲げ、イスラーム的なアイデンティティを強調してきた。そのような国が経済発展を遂げることで、「イスラームが発展を邪魔する」という見方に根拠がないことが雄弁に示された。
同じように、香港や台湾、タイなどの発展があって、儒教や仏教が経済の邪魔になるという見方もなくなった。要するに、宗教文化は経済発展する/しないに、直接関係はないということであろう。
日本でも、マレーシアの発展があらわになった後は、「イスラームが後進性の原因」といった見方は次第に消えていった。
イスラーム世界の全体を見渡すと、マレーシアによって「イスラーム的な経済発展」という新しいモデルが生まれたことで、新しい地平が拓けてきた。すでに石油ショック以降、産油国として勃興したイスラーム国はあったが、産油国型の発展は石油や天然ガスなどの資源の豊かな国でしか成立しない。
しかし、マレーシアが工業化を通じて発展するモデルを示したことで、非産油国のイスラーム国が発展する道筋が新たに示されたのである。
もちろん、経済成長するだけでは「国としての発展」にはなっても「イスラーム的な発展」にはならない。そのためもあって、マレーシアは80年代以降、利子を排するイスラーム金融を拡大したり、イスラーム的に合法な食品を供給する「ハラール食品」産業の育成などに力を入れてきた。
隣のイスラーム大国であるインドネシアも、経済発展やイスラーム金融においてマレーシアの後を追っている。そうして、東南アジアから「アジアの経済成長」のイスラーム版が生まれ、イスラーム世界に新しいモデルが提示されるようになってきた。(後略)
2020年まで7年余となった。マレーシアの夢は、どこまで達成できるであろうか――その成否は、イスラーム世界の今後を占う上でも、非常に大きな意味を持っている。【2012年11月27日 朝日 中東マガジン】
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【コタバルの思い出】
もっとも、政治的にイスラム主義をどこまで許容するか・・・という問題は、多民族国家マレーシアではトルコ以上に微妙な問題ともなります。
野党勢力の中心にいるアンワル元首相のこの点に関する立ち位置は知りません。
ただ、過激なイスラム主義政党である汎マレーシア・イスラム党(PAS)と共闘を組んでいることへの不安は、2012年6月17日ブログでも指摘したところです。
マレーシアでも、華人の経済活動が目立つ首都クアラルンプールとマレー系が大多数を占める北東部などでは全く宗教風土が異なります。
PASが州政府を握っていたマレーシア北東部のコタバルを2002年に観光した時の記憶が今でも鮮明に残っています。コタバルはマレーシアでも最もイスラム主義が濃い都市です。
夕暮れ時、多くの東南アジアの国と同様に広場にたくさんの屋台が出て、大勢の人々で賑わっていました。
そのとき近くのモスクからアザーンが流れ、拡声器を手にした男が広場にやってきました。言葉はわかりませんが、屋台の営業者・客双方にモスクに行くように促しているようで、すべての屋台の火が落とされ、最低限の留守番を除いて皆がモスクに向かいます。毎日のことですから手慣れてはいます。
それまで賑わっていた広場は、たちまちうす暗く閑散とした状況になりました。
現地の事情はまったく知りませんが、人々が喜んでモスクに向かっているようには見えませんでした。
ショッピングモールのような普通の店ならともかく、肉などを火で調理している屋台です。その作業を中断するのは大変なことではないでしょうか。
コタバルは住民の殆んどが敬虔なイスラム教徒のマレー系ですが、人々がそうした行為を望んでやっているとは思えませんでした。望んでやっているなら、拡声器を持った男などは必要ないはずです。当然、PASが支配するこの地で、モスクへ向かうことは拒否できないでしょう。
もちろん、言葉もわからない外国人の勝手な思いですが・・・。
イスラム主義が政治・社会に浸透するということの具体的イメージが、このコタバルでの記憶です。
(皆がモスクに行ってしまい晩御飯を食べ損ねた恨みも多分に影響していますが)