
(フランス・オランド大統領とドイツ・メルケル首相 【1月23日 Broomberg.co.jp】http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MH23JY6K50XZ01.html)
【イギリス:EU残留の是非を問う国民投票という賭け】
イギリスで高まるEU脱退を求める動きについては、1月20日ブログ「イギリス 強まるEU脱退への動き 対応に苦慮するキャメロン首相」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20130120)で取り上げたところですが、キャメロン首相は23日、EUからの離脱を問う国民投票の実施について明らかにしました。
****国民投票、次回総選挙後に実施=EU残留の是非問う―キャメロン英首相****
キャメロン英首相は23日朝、ロンドンで演説し、2015年の次回総選挙以降に、英国が欧州連合(EU)に残留するか離脱するかを問う国民投票の実施を目指す意向を明らかにした。
英国とEUの経済的な結び付きは深く、EUにとどまることが「国益」であるとはキャメロン首相も認める。ただ、債務危機をきっかけにユーロ圏諸国は統合深化にかじを切る一方、英与党保守党や国内世論の反EU感情も根強い。こうした中、首相はあえてEU残留の是非を問う国民投票という賭けに出た。【1月23日 時事】
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大陸とは一定の距離を保ちながらもEUの単一市場がもたらす経済的利益を重視してきたイギリスと、「不戦の誓い」を出発点に欧州統合を主導してきたドイツやフランスの立ち位置には差があることは、前回ブログでも触れたとおりです。
【メルケル独首相「変革への勇気があれば難題を克服できる」】
EU離脱を求める与党・世論の動きに苦慮するイギリスとは対照的に、1月22日は戦後のドイツとフランスの和解の土台となった独仏友好条約(エリゼ条約)の締結から50周年にあたり、独仏両国では記念式典が行われ欧州統合へ向けた姿勢を改めて確認しています。
****独仏友好条約:「勇気あれば難題克服」…50周年記念式典****
戦後のドイツとフランスの和解の土台となった独仏友好条約(エリゼ条約)の締結から50周年を迎えた22日、ベルリンで記念式典が開かれた。
メルケル独首相は「変革への勇気があれば難題を克服できる。両国はこの50年でそれを学んだ」と述べ、憎悪を乗り越えた両国の半世紀の歩みを称賛。オランド仏大統領も「欧州統合というとてつもない冒険を、若者たちのために続けよう」と語った。この日はフランスの閣僚や国会議員ら約400人もベルリンを訪れ、独連邦議会の合同会議などに出席した。
条約は63年1月22日、当時のドゴール仏大統領とアデナウアー西独首相がパリのエリゼ宮で調印。20世紀に2度の大戦を経験した反省に立ち、首脳・閣僚の定期的会談や青少年交流など「人的交流」に重点を置く方針を盛り込んだ。
一方、式典後の記者会見では西アフリカ・マリに軍事介入した仏軍への「協力」について、輸送機2機のみの派遣を決めたメルケル首相は「(戦闘行為参加は)考えていない」と独軍の参戦を改めて否定した。オランド大統領は「ドイツの連帯に感謝する」と述べるにとどめた。【1月23日 毎日】
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現実の課題への対応においては、独仏両国は必ずしも一致している訳ではありません。
財政危機に揺れるユーロ圏経済、その渦中にあるフランスの問題についても、“危機への対応策をめぐり両首脳は合意の取りまとめに苦しんでいる。オランド大統領がドイツの規律重視の財政政策に抵抗する一方で、ドイツ国内では仏雇用市場の抜本的な改革を進めるよう同大統領により迅速に行動するよう求める声が上がっている。”【1月23日 Broomberg.co.jp】とも指摘されています。
ただ、「変革への勇気があれば難題を克服できる」というメルケル首相の信念が、今の独仏関係・ユーロ圏・EUをリードしているように見えます。それを支えるのが、欧州統合という理念の共有でしょう。
【「意見や利害の違いを軍事力で解決するという方法は、もはや考えられない」】
駐日独仏大使は、“対立がもたらす代償がいかに大きく、和解から得られる利点がいかに大きいかを、歴史の教訓から知ったから”こそ、“両国は欧州統合のエンジンとなったし、そうあり続ける”との寄稿文を【1月18日 朝日】に寄せています。
****独仏協力(エリゼ)条約-隣国との和解が互いの利益****
駐日ドイツ大使 フォルカー・シュタンツェル
駐日フランス大使 クリスチャン・マセ
2013年1月22日、ドイツとフランスは「独仏協力条約(エリゼ条約)」の調印から50周年を迎える。戦後の仏独両国の和解の土台となった文書である。
隣国同士の歴史的関係は複雑になりがちで、独仏も例外ではなかった。西暦800年ごろ、シャルルマーニュ皇帝(カール大帝)は、後に仏独国民になる人びとの「故郷」をつくり、共存の基礎とした。大帝は人びとの交流が着実に拡大すると願っていただろう。だが彼の帝国から生まれた二つの国は悲惨な戦争を繰り返し、第一次、第二次の両世界大戦で破滅と苦難を経験した。
ナチ体制による熱狂と苦痛に満ちた戦争体験の後、両国が和解するためには、シューマン元仏外相、ドゴール元仏大統領、アデナウアー元独首相のような、勇気と長期的視野、さらに雅量を備えた政治家が必要だった。彼らは両国は宿敵ではなく、平和と繁栄を生み出す運命にあると考えていた。
63年に署名されたエリゼ条約も、その後の両国民の誠意と努力がなければ、各国の史料館に所蔵されたままの外交文書になっただろう。友情は宣言では生まれない。幅広い草の根交流や互いの言語の習得が不可欠になる。
両国政府は仏独青少年事務所を63年に創設、750万人の若者が隣の国を知った。言語を学ぶ組織も数多くでき、90年に仏独二カ国語放送局、97年には独仏180の大学が参加する「独仏大学」が設立された。欧州の統治と行政に関する独仏共同修士課程プログラムも今年から始まる。
独仏の学校は最もつらい時期を含め全歴史を描いた共通の教科書を使用する。姉妹都市提携数は2200以上にのぼる。防衛分野では89年に独仏合同旅団が創設され、6千人の軍人が活動。いまや欧州合同軍の必須の部隊である。
両国を隔てるより結びつける要素が多くなったのは史上初めてだ。意見や利害の違いを軍事力で解決するという方法は、もはや考えられない。
この50年を振り返ると、仏独ともに将来に向けた責務を一層感じるとともに勇気づけられもする。両国は欧州統合のエンジンとなったし、そうあり続ける。国境の撤廃、共通の通貨、居住の自由など今日の欧州市民が享受している恩恵は、独仏の協働なしには考えられない。
独仏両国民は今後もこの道を歩んでいく。対立がもたらす代償がいかに大きく、和解から得られる利点がいかに大きいかを、歴史の教訓から知ったからである。
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2002年の単一通貨ユーロ流通開始後はユーロ圏に加わらず、域内の自由移動を認めるシェンゲン協定も一部を除き参加していないイギリスと、“国境の撤廃、共通の通貨、居住の自由など今日の欧州市民が享受している恩恵は、独仏の協働なしには考えられない”とするドイツ・フランスでは、その歩む道が大きく異なってきています。
ドイツのギド・ヴェスターヴェレ外務大臣とフランスのローラン・ファビウス外務大臣が、エリゼ条約調印50周年に際し、1月22日付仏『ル・モンド』紙と独『FAZ』紙に共同で寄稿した文書には、以下のようにも述べられています。
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ヨーロッパはかつてないほど我々の協力の中心です。単一市場から、人とモノの自由な移動、共通通貨に至るEUの成功は、両国の意志と共同行動がなければ考えられませんでした。我々は今後も独仏友好をこの計画に資するようにしたいと考えるとともに、希望する国々には我々に合流するよう呼びかけます。ワイマール三角連合の枠内で、ポーランドは我々の側に立ってヨーロッパ統合のために全面的に取り組みました。
意欲ある国々の最初の集まりが有意義な形で形成できるでしょうが、一部の国が義務を遵守せずにEUの特権を要求するような「四分五裂」状態のヨーロッパは、考えられる選択肢ではありません。
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“義務を遵守せずにEUの特権を要求する”云々は、これまでのイギリスの対応への批判のようにも思えます。
【壁が立ちはだかる東アジア】
尖閣諸島をめぐり軍事衝突の可能性すら俎上に上る日中関係、竹島や従軍慰安婦問題などで対立を繰り返すに関関係・・・など、日本をとりまく東アジア情勢を考えると、“意見や利害の違いを軍事力で解決するという方法は、もはや考えられない”とする独仏の関係は羨ましくもあります。
日本にとっては、中国・韓国との歴史認識の違いの問題、人権や民主主義といった基本的価値観に関する日中間の違いなど、関係改善には大きな壁が立ちはだかっています。
ただ、現在の不協和のみに目を奪われ、壁を乗り越える努力を放棄し、内向きの姿勢に転じるのでは、事態の改善は永久に望めないでしょう。
“63年に署名されたエリゼ条約も、その後の両国民の誠意と努力がなければ、各国の史料館に所蔵されたままの外交文書になっただろう。友情は宣言では生まれない。幅広い草の根交流や互いの言語の習得が不可欠になる。”
関係国指導者の大局的見地からの決断が望まれると同時に、20年後、50年後を見据えた地道で息の長い取り組みも必要です。