(1982年フォークランド紛争時のイギリス軍派遣 【ウィキペディア】)
【国内政治の問題から目をそらすために、主権問題を利用】
30年ほど前の1982年に、南米アルゼンチンとイギリスとの間でフォークランド紛争と呼ばれる戦争がありました。
領有権を巡る戦いが行われたフォークランド諸島はアルゼンチン南部の沖合480kmほどの南大西洋に位置していますが、イギリス領となっています。
普段、日本を中心した地図を見慣れていると、左上のイギリスと右下のアルゼンチンということでピンときませんが、大西洋を挟んだ位置関係にあります。
それでも、アルゼンチン側からすれば自国のすぐ近く、イギリスからすると、大西洋のはるかかなたの島ということになります。
当時のアルゼンチンは軍事政権下で、古今東西の戦争の多くがそうであるように、国内の不満を外に向けさせるために領土問題を煽り、それに呼応して高まるナショナリズムの歯止めが効かなくなり・・・と言う形で、アルゼンチン側が仕掛ける形で始まりました。
まさか遠くはなれたイギリスが軍を派遣して本格的戦争になるとは思っていなかったのかも。こうした“読み違い”も紛争拡大の定番コースです。
紛争は遠路はるばる軍を派遣したイギリス側が勝利(約2ヶ月半の戦闘で、アルゼンチン軍は649人、英軍は255人が戦死)しましたが、アルゼンチンのフェルナンデス政権は、インフレ・景気低迷などの国内問題から対外問題に国民の目をそらしたい不人気政権にありがちな思惑からか、再びフォークランドの領有権を強く主張しており、イギリスの対立が再燃しています。
なお、近年、近海でイギリス企業による油田の開発も行われています。
****「困難に直面した政治が利用する」*****
アルゼンチンの主要紙の一つ、クラリン紙の外交問題コラムニスト、ホルヘ・カストロ氏は「現政権は、国内政治の問題から目をそらすために、マルビナスの主権問題を利用している」と指摘する。
アルゼンチンではインフレが止まらず、ドルの送金や換金の大幅な規制で経済は混乱している。国債は「財政破綻(はたん)の可能性がある」と格付けされた。治安も悪化し、国民の政府への不満は高まる一方だ。
フェルナンデス政権は「貧困支援」を名目にしたポピュリズムの手法で国民の支持を集めてきた面がある。だが、経済の行き詰まりは明らかで、「ばらまき」は限界に達している。すでに労組などの支持団体からも見放された。
これまでもアルゼンチンでは政権運営が難しくなると、大統領が「マルビナスの主権回復」を訴えることが続いてきた。フォークランドに侵攻した軍事独裁政権は、その典型だ。
カストロ氏は「マルビナスは歴史的にも、地理的にもアルゼンチン領であることは疑いがない」とした上で、「マルビナスは高所得層から低所得層まで、右派から左派まで、社会的、経済的、政治的に分断された国民が一つになれるテーマだ。だからこそ、困難に直面した政治が利用する」と語った。【1月17日 朝日】
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【フェルナンデス大統領の公開書簡、キャメロン首相は必要ならば軍事力で対応する姿勢】
30年前の紛争の経緯、フォークランドを巡る対立の再燃については、2012年4月3日ブログ「フォークランド紛争から30年 イギリス批判を強めるアルゼンチン・フェルナンデス大統領」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20120403)でも取り上げたところですが、今年年頭にフェルナンデス大統領がフォークランド返還を求めるイギリス・キャメロン首相あての公開書簡を英紙に掲載したことで問題が拡大しています。
****「英は植民地主義やめよ」=フォークランド問題で―アルゼンチン****
アルゼンチンのフェルナンデス大統領は3日付英紙ガーディアンに掲載されたキャメロン首相宛ての公開書簡で、両国が領有権を争う英領フォークランド(アルゼンチン名マルビナス)諸島をめぐる英国の「植民地主義」を批判、フォークランド返還を改めて訴えた。
書簡は「180年前の1月3日、19世紀の植民地主義の露骨な行使により、アルゼンチンはマルビナスを力ずくで奪われた。以来、植民地保有国である英国は領土返還を拒んでいる」と指摘。その上で、両国に交渉による解決を促す1965年の国連総会決議に従うよう英政府に求めた。
これに対し、キャメロン首相のスポークスマンは「(首相は)島民の利益を守るためあらゆることをする(用意がある)」と述べ、返還要求を一蹴。フォークランドをめぐっては、3月に帰属をめぐる初の住民投票が実施される予定。【1月3日 時事】
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島の住民の大部分はイギリス領にとどまることを望んでおり、3月の住民投票でもそうした結果が出る予定です。
イギリスとしては住民の意思という錦の御旗を掲げ、近海の油田確保のためにも、一歩も引かない構えです。
****フォークランド諸島:英国とアルゼンチンの対立が再燃****
・・・・一方、英国のキャメロン首相は「島民は自らの意思で(英国に所属することを)選択してきた」と反論し、帰属は島民が決めるべきだと主張する。英BBCテレビの取材に対しては「英国は世界5位の軍事予算を誇る」と話し、フォークランド諸島の領有権が脅かされた場合、必要ならば軍事力で対応する姿勢を示唆した。
英国の大衆紙サンも「数百万の読者を代表して言う。(島に)手を出すな」と強い表現でフェルナンデス大統領に警告。「フォークランド諸島はアルゼンチンが建国される以前から英国のもので、アルゼンチンが所有したことは一度もない」と主張、大統領の歴史認識を批判した。
アルゼンチン国民の一部は、サン紙の主張が掲載された英字紙や英国旗を燃やして怒りを示した。一方で、「国内問題から国民の目をそらすために領土問題を利用している」と英国側の大統領批判に理解を示す声もある。
両国は90年に国交を回復している。しかし、2010年に英企業がフォークランド諸島沖で油田開発を始めたことでアルゼンチン政府が態度を硬化させ、「島を取り返すため政治、文化、外交などあらゆる手法で戦う」と宣言した。
地元議会は紛争から30年の12年6月、帰属を問う住民投票の実施を決定。住民の大部分は英国系で、改めて英国への帰属を制度化する狙いがあるとみられる。【1月13日 毎日】
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【アルゼンチンに戦争を仕掛ける軍事力なし】
現実問題としては、アルゼンチン側に再び戦争をしかける力はなく、対立が再び戦争に発展する危険は小さいと思われます。
イギリスも財政難から海軍力の縮小していますが、それ以上にアルゼンチン側の軍事力は低下しています。
先のフォークランド紛争後、軍事政権が倒れ軍部の権限は縮小、また、デフォルトに発展した経済危機によりアルゼンチンではインフラ更新が遅れていますが、軍備の面でも時代遅れ・老朽化の状況にあり、とても戦争を行うような状況にはありません。
、“開戦前には三軍で15万5000人程だったアルゼンチン軍は2000年には三軍で7万1000人程になっている”【ウィキペディア】とのことで、空母も揚陸艦もなく、戦闘機は質・量ともに貧弱という状況です。
【政府内で島をアルゼンチンに譲る案が検討されていた】
フォークランドは現在、漁業権収入と油田開発で経済的には好調で、島の住民が敢えて経済的にも問題のあるアルゼンチンを選択する余地はないようです。
****豊かな島、転機は紛争 ****
島民約3千人のうち、8割がスタンレーに住んでいる。のどかな田舎町では宅地開発が進み、新築の家が並ぶ。好景気なのだ。
南米チリと島を結ぶ週1本の定期航空便は、島からクルーズ船に乗り継ぐツアー客で常に満席。南極圏の島々まで、ペンギンやアザラシの見学に行くツアーが人気という。だがアルゼンチンからの直行便はない。
クルーズ船は11月から2月までの4カ月間、ほぼ毎日入港する。500人以上が乗下船する日もある。富裕層をターゲットにした観光は、島の経済の柱の一つに成長しつつある。年5万人の観光客を見込む。
観光名所の一つがスタンレーの港近くにある「フォークランド諸島会社」だ。かつて島の羊毛産業を独占し、植民地経営を担った。1970年代まで、島の土地の大半を所有。当時の島民の収入は少なく、若者は仕事を求めて島を出た。
「英国は1万4千キロ離れた孤島に冷たかった」と、当時を知る人は口をそろえる。生活物資から医療まで、島の生活は70年代までアルゼンチン頼みだった。
英国外務省から派遣されているナイジェル・ヘイウッド総督は「あくまでも一つの案にすぎなかったが」と断った上で、政府内で島をアルゼンチンに譲る案が検討されていたと明かす。
「放置された島」の象徴が、漁業だった。当時、島の周囲に漁業権は設けられておらず、旧ソ連やポーランドの漁船による乱獲が問題になった。だが、英国政府は植民地フォークランドのためには動かなかった。
「英国にとって、優先順位の低い島でした。紛争ですべて変わりました」。自治政府のジョン・バートン天然資源局長は言う。
紛争終結後、英国が漁業交渉をとりまとめ、86年に漁業協定が発効した。島には漁業権収入が生まれた。それまで約500万ポンド(約7億1千万円)で推移していた自治政府の歳入は、8倍の約4千万ポンド(約56億8千万円)に跳ね上がった。
漁業権に次いで、収入の柱になると期待されるのが、埋蔵量が80億バレルを超えるとも推定される海底油田の採掘権。すでに5社が試掘を始めた。漁業権と採掘権による収入増で、自治政府の歳入は約6千万ポンド(86億3千万円)にのぼる。
「経済危機のアルゼンチンは、好景気のこの島が欲しい。どうして俺たちが、不景気の国の一部にならなきゃいけないんだ」。タクシー運転手はつぶやいた。 【1月17日 朝日】
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興味深いのは、かつて“(イギリス)政府内で島をアルゼンチンに譲る案が検討されていた”ということです。
ナショナリズムから離れて考えると、南大西洋の遠く離れた島に固執する理由もありません。
漁業・油田開発といった資源の面についても、あくまでも経済問題としてとらえるなら、経済的レベルでの対応も可能です。
ただ、いったんナショナリズムの問題となり、“我が国固有の領土”という話になると、互いに一歩も譲れない問題となり、戦争も辞さないという話になってしまいます。
30年前のフォークランド紛争当時のイギリス・サッチャー首相は“「人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない。なぜならば国際法が力の行使に打ち勝たねばならないからである」(領土とは国家そのものであり、その国家なくしては国民の生命・財産の存在する根拠が失われるという意)と述べた”【ウィキペディア】とのことです。
確かに、侵略を受けた時点においては“領土を守らなければならない”ということになりますが、それ以前の段階で、互いにナショナリズムを抑制して冷静に話し合い、紛争を回避する勇気と賢明さがあってしかるべきとも思われます。
【「そんなばかげたことをするはずがない」】
“鉄の女”サッチャー首相は、フォークランド紛争開戦に反対する閣僚たちにむかって「この内閣に男は(私)一人しかいないのですか?」と言い放ったことで有名ですが、そのサッチャー首相も、まさかアルゼンチンが本当にフォークランドに侵攻するとは直前まで思っていなかったようです。
****フォークランド侵攻 鉄の女も予想外 2日前は「ばかばかしい」****
「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャー氏(87)が英首相当時の1982年4月に起きたアルゼンチン軍による英領フォークランド(スペイン語名マルビナス)諸島侵攻を上陸の2日前まで「全く予期していなかった」ことが英公文書で明らかになった。
◇
文書は、英国がフォークランド紛争で勝利した後の同年10月に開かれた非公開委員会での証言を記録したもの。非公開期間の30年がたち28日に公開された。それによると、サッチャー氏は国防当局者らからアルゼンチン軍の動向について報告を受けていたが、上陸2日前までは「計画するだけでもばかばかしく、そんなばかげたことをするはずがない」と思い込んでいた。
しかし、3月31日、侵攻が迫っているとの「機密情報」を聞き「その夜、誰もフォークランド諸島を奪還できるか否か、明言できなかった。私たちは誰も知らなかったのだ。人生で最悪の日だった」と語った。
ただ、紛争が始まるとサッチャー氏は、フランスがエグゾセ・ミサイルをペルーに輸出する計画があることを察知し、ペルーからアルゼンチン軍に武器が渡るのを阻止するため、ミッテラン仏大統領(当時)に「悲劇的な効果をもたらす」と伝えやめさせた。また、レーガン米大統領(同)がアルゼンチンのメンツを立てるため、諸島を国際的な平和維持部隊に引き渡すのを認めるよう求めたが、サッチャー氏が拒否したことも判明した。【12年12月30日 産経】
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イギリスはアルゼンチンが本当に侵攻するとは考えず、アルゼンチンはイギリスが奪還に軍を派遣するとは考えなかった・・・読み違いの結果に起きた紛争でした。