(マリの首都バマコにある国連マリ多次元統合安定化派遣団(MINUSMA)本部に国連旗をかけて並べられたひつぎ。これらのひつぎはMINUSMAの任務中に死亡した9人のニジェール人兵士のもの。9人は2014年10月3日に北東部の砂漠で補給任務に就いていたところ武装してバイクに乗った男たちに襲撃された。【4月7日 AFP】)
【隠ぺいされたPKO参加自衛隊員への銃撃?】
昨年5月の南スーダンPKOから自衛隊の撤収で、92年のカンボジアPKO派遣から続いていた日本自衛隊部隊の国連PKO派遣はなくなりました。
一方、「ない」とされていたイラクPKOや南スーダンPKOの日報が相次いで“見つかった”ことで、大きな政治問題となっているのは周知のところです。
日報の隠ぺいにとどまらず、PKO派遣自衛隊員が被弾するという極めて重要な事態が、政治問題化を避けるため、日報として残されずに“隠ぺい処理”されているという信じがたい報道もあります。
****自衛官が被弾、燃やされた日報―元自衛官が証言、隠蔽されたゴラン高原PKOの実態****
(中略)今回、筆者の取材に応じてくれた、元自衛官のA氏は、国連平和維持活動(PKO)派遣部隊として、シリア南部ゴラン高原での任務に従事したという。(中略)
陸上自衛隊第4師団に所属していたA氏は、自衛隊PKO部隊の一員として、1996年にゴラン高原へと派遣された。
「当時は、PKO派遣に社会党(後の社民党)土井たか子衆議院議員(当時)らが猛反対していたため、僕らは小銃の弾も持たされないで、現地での活動への参加を余儀なくされたんですよ」とA氏は振り返る。
実際にはパッケージされた銃弾自体は持参していたものの、銃弾が装填されていない小銃を抱えてのPKO活動とは、丸裸にも等しい状況であるが、PKO参加の法的根拠であるPKO協力法では、「紛争当事者間で停戦合意が成立していること」がその原則の一つとされている。
つまり、シリアとイスラエルは停戦しており、ゴラン高原での活動では戦闘は起きえないし、そもそも自衛隊の活動は後方支援だから、小銃の弾も必要ないというのが、当時の政界の理屈だったのだ。
ただ、ゴラン高原での活動の実態は、そうした卓上の論理からはかけ離れたものだったと、A氏は言う。
「パトロール中、発砲音や迫撃砲の音、地雷が爆発する音が周囲に鳴り響くことは、当たり前のようにありました。最初は非常に驚きましたが、だんだん感覚がマヒして慣れていきました」(A氏)。
〇自衛隊員が被弾、燃やされた日報
A氏によると、シリア側の武装集団とみられる勢力が、国連PKO部隊に攻撃を行うことは、頻繁にあったのだという。そうした極度の緊張下の中での任務で、ついに恐れていたことが起きた。
「僕らは、小高い丘の上を見回っていたのですが、数百メートル離れた草むらの中から狙撃があり、ある自衛隊員が膝の近くを撃たれました。不幸中の幸い、銃弾は貫通し、大動脈を傷つけることも無かったため、命自体には別状はありませんでしたが、それでも、流血はかなりのものでした。傷の状況から観るに、5.56ミリ弾、AK系の銃*によるものでしたね」(A氏)。*筆者注:AKでも100系など、5.56ミリ弾を使用する銃はある。
小銃に弾が装填されない状況で活動させる程、「危険はない」とされた、ゴラン高原でのPKO活動への参加で、自衛隊員が撃たれた。PKO派遣そのものが見直される程の大事件であるにもかかわらず、この銃撃事件について、公式の記録が残されなかった。A氏が証言する。
「ゴラン高原派遣部隊の日報に、当初、『隊員が被弾』と書かれていたのですが、上官により、『隊員が被弾』の部分を除いた書き直しが命じられました。当初の日報は焼却され、文字通り無かったものとされたのです」(A氏)。
〇事実を報告したらPKO派遣が吹っ飛ぶ
A氏は、この「自衛隊員被弾」事件が、当時の防衛庁長官にまで伝わることはなかったのではないか、と言う。「恐らく、(派遣部隊の)隊長どまりでしょうね」(A氏)。
こうした事件の隠蔽について、当時の政府からの指示はあったのか、との筆者の問いについては、A氏は「わかりません。僕は当時、下っ端でしたので」と語るにとどまった。
なぜ、現場の自衛官らは自らが犠牲になるような出来事があっても、そうした事実を伏せようとするのか。A氏は「自衛隊員が負傷したことが明るみに出たら、ゴラン高原でのPKOへの自衛隊の参加自体が吹っ飛ぶことになったからでしょう」と言う。
政治が紛争地の状況を無視した自衛隊派遣を決め、そのツケを自衛隊が負わされる―そのような点において、A氏らが直面してきたことは、南スーダンPKOへの自衛隊派遣など、現在の問題にも通じている。
「ない」とされた、陸上自衛隊イラク派遣の日報の存在が明らかになった以上、その内容は開示され、検証されないといけないだろう。
それと同時に、現場の自衛官達が重大な情報を隠さざるを得ないような、海外派遣の在り方自体も見直されるべきなのだろう。【4月5日 志葉玲氏 YAHOO!ニュース】
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真実ならきわめて重大な問題ですが、真偽のほどを含め、この件に関する他の情報を知りませんので、とりあえず“こんな話もある”という紹介だけ。
【“No peace to keep”(維持すべき平和がない)の状態でのPKOの在り方】
現在の国連PKOはアフリカを中心に展開されていますが、“現在のアフリカの紛争の多くは国家間の紛争というより、いわば“No peace to keep”(維持すべき平和がない)の状態だ。PKOが展開するために必要な和平合意すら達成されていない状態で活動を開始しなければならない場合もある。現地では紛争によって一般市民が攻撃の対象になるなど、非常に深刻な状態もある。国連PKOを展開する場所や状況が複合的な人道危機を抱えているのである。”【3月16日 井上 実佳氏「アフリカをめぐる日・米・中の国連PKO政策の現状」 平和政策研究所HP】という状況にあります。
そうした状況にあって、PKOの性格も、住民を保護するためなら武力介入も辞さないという流れに変わってきています。
一般市民だけでなく、国連PKO自体が攻撃対象となることも珍しくなく、PKOの危険性は格段に増しています。
****マリの国連PKOにまた襲撃、ニジェール人隊員1人死亡****
マリ北部で6日、国連平和維持活動の国連マリ多次元統合安定化派遣団の車両1台が武装集団から銃撃を受け、ニジェール人隊員1人が死亡した。MINUSMAが明らかにした。マリのPKO部隊に対する襲撃が後を絶たない。
(中略)MINUSMAは国連PKOの中でも特に危険なものの一つで、2013年以降150人以上が死亡している。そのうち102人は、武装勢力の敵対行為によって命を落とした。
この前日の今月5日にもマリ北東部アゲルホックのPKO駐屯地に迫撃砲が撃ち込まれ、チャド人隊員2人が死亡し、10人が負傷していた。
今年2月28日はマリ中部でPKO車両の下で地雷が爆発し隊員4人が死亡。その前日の2月27日はマリ軍の車列を狙った地雷攻撃でマリ兵6人が死亡した。(後略)【4月7日 AFP】
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****中央アフリカ首都で国連部隊と武装集団が衝突、19人死亡****
世界で最も貧しく不安定な国の一つとされる中央アフリカの首都バンギのイスラム教徒地区で、国連平和維持軍と武装集団との間で衝突が発生、国連部隊の兵士1人を含む19人が死亡し、100人以上が負傷した。
過去2年の間で最悪の流血の事態に憤ったPK5地区の住民ら数百人は、国連中央アフリカ多元統合安定化派遣団の拠点に押し寄せ、国連部隊によって10日に殺害されたという男性17人の遺体を並べた。
MINUSCAによると、衝突は平和維持軍が治安捜査を開始した後に起きた待ち伏せ攻撃で始まった。
フォスタンアルシャンジュ・トゥアデラ大統領は同地域での「この作戦の唯一の目的は(武装集団の)指導者らの逮捕だ。一つのコミュニティーや住民に対するものではない」と語った。(後略)【4月12日 AFP】
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後者の中央アフリカの件での大統領発言は、PKOが“住民保護”すらかなぐりすてて、政権側とともに武装勢力との戦いに邁進するという、PKOとしては“変質”しているようにも思えます。
日本の場合は、言うまでもなく自衛隊の武力行使には大きな制約があります。
紛争に巻き込まれる危険性が高く、海外での武力行使が憲法で禁じられているため国際社会から求められている任務を日本の自衛隊が遂行することができなくなっていっています。
“日報問題”については、その責任問題もさることながら、本来は、国連PKOを取り巻く環境が大きく変わる中で、「危険だから、制約があるから参加できない」でいいのか?という問題を含めて、日本のPKOの在り方について議論すべきところですが、そういう方向に議論が向かっていないのは残念なところです。
【PKO分野で「普通の大国」になろうとしている中国 その国が持つ「自然治癒力」を支えるのが中国の役割】
国連ミッションへの各国の軍事要員・警察要員・司令部要員の派遣状況を見ると、長い間エチオピア、バングラデシュ、インドの3カ国が上位を占め、途上国が人材面でPKOを支えていることがわかります。
次いで4位がルワンダ、5位がパキスタンです。
一方、フランス、ドイツ、イギリスが30~35位、アメリカは73位で基本的に文民以外の人材を出していません。
“国際的な潮流としては、先進国は実働部隊を出さず途上国に出してもらうという国際的分業がみられる。”【前出 井上 実佳氏】
なお、アメリカについては、トランプ大統領が国連への拠出金を大幅に見直すと述べ、国連の次年度のPKO予算は14%削減されることになっていますが、“米国は要所を外さず重要なミッションには米国人を入れている”【同上】とも。
日本は、南スーダンから自衛隊の部隊を撤収し、その後は司令部要員のみ出しているため112位となっています。
興味深いのは中国です。
*****「普通の大国」としての中国*****
中国が11位に入っているが、これは10年前には考えられなかった変化である。
中国が本格的にPKOに人材を派遣するようになったのは、2008年頃の国連AUダルフール合同ミッション(UNAMID)が最初である。
国連PKOを人材面からみるとき、中国の変化は大きな要素となっている。
中国は長いあいだ内政不干渉原則を根拠に国連PKOには否定的であり、国連安保理の決議にも賛成票を投じない姿勢をとってきた。その政策を大きく転換し、現在は積極的に資金も人材も出している。(中略)
中国については、「普通の大国」になろうとしている。前述のとおり、かつては内政不干渉原則を主張して国連PKOには参加せず、予算も人も出してこなかったが、90年代に入ると政策を転換して反対しなくなった。
現在は、特にアフリカのPKOミッションに対して積極的にお金も人も出している。国連の事務局レベルで高いポジションに就いている中国出身者はまだそれほど多くはないが、中国が負担する国連予算の割合は増しており、存在感が高まっている。
国連総会で予算について議論するPKO特別委員会でも、中国は自国が拠出する予算の使途について以前より具体的なコメントをするようになったといわれている。
国連分担金やPKO予算を自国の政策の中で実質的に位置付け、重視していることの表れであろう。またPKOのフィールドに多くの人材を出すことで、現場でも存在感が増している。【同上】
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PKO参加への制約があるという点では、日本と中国は共通する事情もあるとか。
****日本と中国のPKO政策の共通性****
日中のPKO政策には共通性があるという指摘がある。日本には憲法9条があり、中国には内政不干渉原則がある。
これらを乗り越えてでも要員を派遣するには、世論に対してそれなりの説得力がなければならない。その意味で、日中はPKOに要員を提供するという面ではある程度似た状況にあるのかもしれない。
中国国防部ウェブサイトに、中国がPKOに参加する目的は「漢方的な発想」に基づく平和構築であるという興味深い表現があった。
つまり、西欧諸国が人道的介入をしたり、グローバル・ガバナンスの名のもとで対象国の政策や指導者を変更したりするのとは違うという意味だ。あくまでもその国が持つ「自然治癒力」を支えるのが中国の役割だとしている。
このような考え方は、実は日本の「人間の安全保障」の発想ともよく似ている。
一方で、中国は2017年の国連PKOサミットでAUの軍事的キャパシティ・ビルディングに1億ドル拠出することも表明している。王毅外相の演説は簡潔だったが、PKOを支えるにはAU支援が必要であり、そこに中国は資金を提供すると述べて明確な路線を打ち出した。【同上】
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“あくまでもその国が持つ「自然治癒力」を支える”・・・・面白い説明ではありますが、漢方薬が期待されるほど効果をあげないことが多いのも事実です。
「自然治癒力」を発揮させるためには、現在の症状・体質を正確に分析・把握したうえで、何を補い、何を抑えるべきかを判断して処方を決定する必要がありますが、単に“この病気にはこの処方がよく使われる”といった程度の認識で使用されることが、「自然治癒力」を発揮させることができない原因でしょう。
混乱状態の国にあっても、現状分析を行い、必要なら政策や指導者の変更も迫る形でないと、漫然と部隊を派遣するだけでは「自然治癒力」は期待できないのでは・・・・とも考えます。
【日本のPKOの方向性に関する議論】
中国の対応をどうこう言う前に、112位の日本です。これでいいのか?
井上 実佳氏は日本のPKOに関して以下のようにも。
****日本のPKO政策の方向性****
日本には自衛隊の施設部隊による多くの活動経験があり、その点では他国に対して優位性がある。
より広い視野でみれば、日本としては平和維持あるいは安全保障に関する活動と開発・人道分野の活動のリンクをより深めていくことが現実的であろう。
これは日本が独自に進めるというより、国連のPKO政策自体がそのような潮流になっているためでもある。【同上】
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正直なところ、井上 実佳氏の言う“平和維持あるいは安全保障に関する活動と開発・人道分野の活動のリンクをより深めていくこと”の具体的イメージがよくわかりません。
派遣再開のめども立っていない中、日本ができる国際平和協力のあり方を考えるシンポジウムが13日、早稲田大学大隈小講堂で行われたそうですが、このシンポジウムを企画した法政大学グローバル教養学部の藤重博美准教授は以下のようにも。
****欧米にできないアプローチを****
日本は、国際平和にどう関わっていくべきか。藤重さんは「自衛隊の大規模派遣にこだわらなくていい。日本ができることは何かを考えていくべきだ」と言う。
「第二次世界大戦で敗れ、その後発展を遂げた日本が経験してきたことや、知識の共有はどうか。現地の人々にアイデアを提案しつつ、相手の意見も取り入れるコーチングができる人材を送る。
今、国連PKOが展開するアフリカなどの国々では、欧米的価値観を良しとする国連の活動に対し反発が起きがちであり、それが新たな争いの火種にもなっている。欧米は自分たちの意見を押しつけがちだが、日本にはそれがない。非西洋的なアプローチができる」と主張する。
内戦が起こる国では、警察が機能していない。現地では、法治国家としての機能を再生させるためのコーチングが必要とされている。
日本もこれまで、独立行政法人国際協力機構(JICA)を通じて途上国の警察支援などを行っているが、鑑識技術を教えるなどの技術指導が多く、広く警察が抱える問題を観察し、アドバイスする支援を行う仕組みはできていないという。
「現地の問題を調査し、どんな支援が必要かをまとめるだけでも手助けになる。日本は量よりも質でできることがあるはずだ」と訴える。
また、「国連主導以外の形態の平和活動も重要」と指摘する。例えば、イスラム勢力が独立を求めて武装闘争を続けていたフィリピン・ミンダナオで、和平合意が締結される前から日本は支援を続けてきた。06年からは、国際停戦監視団にJICAの開発専門家を派遣するなど、積極的に和平支援に関わっている。
藤重さんは「今後は、改革支援などのコーチングに加え、国連以外の組織が主導する平和活動への参加が中心になるのではないか」との見通しも示した。【4月11日 毎日】
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個人的な意見としては、制約のある日本ができることは何か・・・という視点で考えることは重要だとは思いますが、それ以前の話として、世界には“今すぐに、多くの住民の命を守るための武力が必要とされている”という地域が多々あります。
そういう現状にあって、“日本は制約があるので・・・”という議論が説得的だとは思えません。
燃え盛る火を前にして、“火事を起こさないための対策”を云々しても意味がありません。まずやるべきことは、今燃えている火を消すことです。
“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう”というのであれば、世界で起きている公正と信義が踏みにじられ、国民の生存が脅かされている事態に、もし武力が必要ならそれも含めて、積極的に関与していく姿勢が求められるのでは・・・と考えています。
当然ながら、そのためには最悪事態の“覚悟”も求められます。