孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ボスニア・ヘルツェゴビナ  パレスチナ国連加盟問題で難しい選択を迫られる

2011-10-17 23:06:55 | パレスチナ

(今年7月に行われた「スレブレニツァの虐殺」の16周年式典 新たに身元が判明した何百人もの遺体が埋葬されました。 「スレブレニツァの虐殺」やサラエボ包囲を指揮したとして、大虐殺や戦争犯罪、人道に対する罪で起訴されたセルビア人武装勢力の司令官ラトコ・ムラディッチ被告(69)が、今年5月にようやく拘束され、ひとつの節目を迎えましたが、遺族の悲しみを癒すにはまだ長い年月が必要と思われます。
“flickr”より By salihsarikaya http://www.flickr.com/photos/salihsarikaya/5946816230/ )

米拒否権はボスニア・ヘルツェゴビナの判断次第
パレスチナ自治政府・アッバス議長の国家承認を求める国連加盟申請が安保理で審議されています。
イスラエルの孤立化を防ぐため、アメリカは最終的には拒否権発動も辞さない構えですが、アラブ・イスラム社会からの反発を考えると、できることなら安保理15カ国のうち賛成が8カ国以下という形で、拒否権発動をせずに処理したいところです。
賛成・反対双方の陣営が多数派工作を行っていますが、まだ対応が決まっていないボスニア・ヘルツェゴビナの動向に注目が集まっています。

****割れる安保理、ボスニア注視 パレスチナ国連加盟****
パレスチナの国連加盟申請を巡る駆け引きが続く安全保障理事会で、バルカン半島の小国ボスニア・ヘルツェゴビナの動向に注目が集まっている。理事会メンバー15カ国の賛否が真っ二つで、同国が賛成に回ると、米国が拒否権を行使せざるを得なくなるからだ。

拒否権行使を回避したい米国と、パレスチナを支持する諸国の双方から外交攻勢を受けるボスニア・ヘルツェゴビナ。バルバリッチ国連大使は「国内にも様々な意見があって、態度を決められない。どう対応するかは今や国内問題だ」と険しい表情だ。

パレスチナが先月23日に国連に提出した加盟申請の承認には、安保理の15理事国中9カ国以上の賛成を得た上で、米英仏ロ中の常任理事国がそろって拒否権を行使しないことが条件だ。

イスラエルの立場を尊重する米国は、拒否権行使を明言しているが、実際には賛成を8カ国以下に抑え、拒否権は使わずに済ませたい。使えば、アラブ諸国の猛反発を招き「中東和平の仲介者」としての信頼も傷つくからだ。
一方、パレスチナ側は9カ国の賛成を確保し、あえて米国に拒否権を使わせ、米国とイスラエルを外交的な孤立に追い込む戦略だ。

複数の安保理外交筋によると、15理事国のうち、すでに中国、ロシア、ブラジル、インド、南アフリカ、レバノンの6カ国は賛成を表明。さらに、国民の約半数がイスラム教徒のナイジェリアと、大統領がイスラム教徒のガボンの2カ国も、最終的には賛成にまわるとみられている。
一方、英、仏、独、ポルトガルと、親米政権のコロンビアの5カ国は「パレスチナとイスラエルの交渉再開を妨げる恐れがある」などと慎重姿勢で、棄権か反対にまわる見通しだ。
このため、ボスニア・ヘルツェゴビナの判断次第、という構図となった。

ボスニア・ヘルツェゴビナは90年代の民族紛争を経て、イスラム教徒、セルビア人、クロアチア人の融和が国家的課題だ。
外交も複雑な国内情勢を反映している。欧州連合(EU)への加盟を目標に掲げる一方で、イスラム諸国の連帯強化を目指すイスラム諸国会議機構(OIC)にもオブザーバー参加している。国内では、パレスチナをめぐる議論がイスラム教徒と他の国民との間に亀裂を生みかねないとの懸念も出ている。【10月16日 朝日】
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ボスニア・ヘルツェゴビナも厄介な立場にたたされたものです。

内戦からデイトン合意へ
ボスニア・ヘルツェゴビナは、バルカン半島西部に位置する旧ユーゴスラビア連邦を構成していた国の一つで、イスラム教徒ボシュニャク人(48%)、セルビア人(34%)、クロアチア人(15%)から構成されています。
この3者は旧ユーゴ崩壊が進む中で、約20万人が死亡する三つ巴の激しい内戦を繰り広げました。

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正教徒主体のボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人たちは、セルビアやモンテネグロとともにユーゴスラビア連邦に留まることを望んでいたが、イスラム教徒中心のボシュニャク人(旧ムスリム人)や、ローマ・カトリック教徒主体のクロアチア人はユーゴスラビアからの独立を望んだ(この3つの民族は互いに言語・文化の多くを同じくする一方、異なる宗教に属していた)。

1992年、ボスニア政府は、セルビア人がボイコットする中で国民投票を強行し、独立を決定した。3月に独立を宣言してユーゴスラビアから独立した。大統領アリヤ・イゼトベゴヴィッチなどの、数の上で最多となるボシュニャク人の指導者たちは、ボスニア・ヘルツェゴビナを統一的な国家とすることによって、自民族が実質的に国家を支配できると考えていた。

これに対して、セルビア人やクロアチア人は、ボシュニャク人による支配を嫌い、独自の民族ごとの共同体を作って対抗した。クロアチア人によるヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共同体や、セルビア人によるボスニア・ヘルツェゴビナ・セルビア人共同体は、それぞれ独自の議会を持ち、武装を進めた。

ボスニア・ヘルツェゴビナ・セルビア人共同体は、ラドヴァン・カラジッチを大統領とする「ボスニア・ヘルツェゴビナ・セルビア人共和国(スルプスカ共和国)」としてボスニア・ヘルツェゴビナからの分離を宣言した。1992年5月にユーゴスラビア人民軍が公式に撤退すると、その兵員や兵器の一部はそのままスルプスカ共和国軍となった。また、ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共同体も、マテ・ボバンの指導のもと、「ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国」の樹立を宣言し、同国の軍としてクロアチア防衛評議会を設立し、クロアチア人による統一的な軍事組織とした。

2つの民族ごとの分離主義国家、および事実上ボシュニャク人主導となったボスニア・ヘルツェゴビナ中央政府の3者による争いは、それぞれの支配地域の拡大を試みる「陣取り合戦」の様相を呈し、それぞれ自勢力から異民族を排除する目的で虐殺や見せしめ的な暴行による追放を行う民族浄化が繰り広げられた。【ウィキペディア】
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“民族浄化”はセルビア人勢力だけのものではありませんでしたが、一番著名な事件は95年、東部スレブレニツァで起きたセルビア人勢力による「スレブレニツァの虐殺」と呼ばれるものです。

当時、スレブレニツァには周辺地域から戦火を逃れてイスラム教徒ボシュニャク人が集まっていました。
国連はこの地域を安全地帯に指定し、200人の武装したオランダ軍の国際連合平和維持活動隊も駐留していました。
しかし、武力に勝るスレブレニツァを包囲したセルビア人勢力の圧力に屈する形で、ボシュニャク人男性8000人がセルビア人勢力に引き渡され、そのほとんどが組織的、計画的に、順次殺害されていったと言われています。

この紛争は95年の「デイトン合意」で一応終結しました。
「デイトン合意」では、ボスニア・ヘルツェゴビナはイスラム教徒(ボシュニャク人)とクロアチア系勢力で構成する「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア人の「セルビア人共和国(スルプスカ共和国)」が並立する単一の主権国家とされ、国会や行政府は両勢力の共同運営で、議会議員も連邦と共和国の各議会から選出、内閣は連邦と共和国の3民族代表で構成する幹部会により指名される形になっています。
現実的には二つの「国家内国家」に分割され、今も中央政府の基盤強化は進んでいません。

このあたりの経緯・現状は。
10年10月6日ブログ「ボスニア・ヘルツェゴビナ  紛争から15年、分断か融和か?」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20101006
11年5月12日ブログ「ボスニア・ヘルツェゴビナ  セルビア人共和国で分離志向の住民投票実施の動き」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20110512
で取り上げています。

【「どう対応するかは今や国内問題だ」】
なお、11年5月12日ブログで取り上げた、ボスニア和平の枠組み「デイトン合意」(95年)の是非を巡り、分離志向のセルビア系議会が住民投票の実施を承認した件については、その後セルビア人共和国のドディック大統領が議会に投票中止を要請すると発表して一応の収束をみたようです。

ボスニア和平の最高責任者インツコ上級代表は、住民投票を「デイトン合意への明らかな挑戦」とし、無条件の中止を求めていましたが、こうしたボスニアを管理する国際機関・上級代表事務所の猛反発を受け、EUの仲裁で矛を収めたというところのようです。
ただ、問題の本質はなんら改善しておらず、今も対立の構図はそのまま残っています。

多数のイスラム系住民を抱えるボスニア・ヘルツェゴビナですが、EU加盟を進めるにあたっては欧米の後押しを必要としています。
しかし、どのような選択をおこなっても、イスラム教徒、クロアチア人、セルビア人勢力の厳しい対立を更に悪化させる危険性をはらんでおり、難しい選択を迫られています。

「国内にも様々な意見があって、態度を決められない。どう対応するかは今や国内問題だ」というバルバリッチ国連大使の発言は、そうした本音でしょう。

パレスチナ問題は、ボスニア・ヘルツェゴビナに実に厄介な選択を迫る展開となっています。


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