家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

雨と収穫

2014-09-15 10:29:50 | Weblog
よくもまあ、こんなに雨が降る。

ここのところ、やっと晴れが続いた。

4月に植えたショウガを抜いてみた。

まあまあの出来であった。

先日イノシシが我が家を耕して回った。

地面を掘り起こして下にいるミミズを食べるのだ。

Y爺さんの目撃によると4頭の親子連れが出没しているらしい。

たしかに、こう広範囲に荒らしてあると単独とは思えない。

しかも掘り方が浅いので小さな個体だと想像する。

まさに耕すという表現がピッタリの状態が広がっている。

ところが、このショウガを植えた場所だけは手つけずであった。

ひょっとしたらイノシシは、ショウガの匂いが嫌いなのか。

ミョウガは私が植えたわけではなく天然で生えている。

それを収穫した。

雨のせいか収穫時期が少し遅くずれ込んでいる。

こちらもイノシシが掘り起こしてある。

しかしミョウガの生っている面積が広いので問題はない。

そして、こちらもミョウガが食べられることはない。

たぶんミミズを探したのだろう。

我が家のミョウガの生っている場所は、大小の石や倒木の多いところで、いかにもヘビの生息地然としている。

奴の居ないことを確認して1メーターほどに育ったミョウガの中に入っていく私は、ヤブ蚊やアブには獲物の到来だ。

長袖シャツの上からでも平気で刺してくる。

目はミョウガを探すが耳は周囲の様子を探知し続ける。

ミョウガがあることが分かっていても、いかにも危なそうな場所の場合あえて採らない。

手を伸ばした途端にガブリでは、あった話ではない。

こういう時の自分は自然児になっているのかもしれない。

だが欲というものは恐怖を押さえ込んでくれる。

少し収穫できると次々と探したくなり恐怖はその分押さえ込まれる。

「よし。これで今日は終わりにしよう」と思うと再び恐怖が少しだけ戻る。

足早にミョウガ谷を抜けて道路に出ると安心する。

流しっぱなしの水道でミョウガとショウガを洗う。

それぞれの独特の香りが充満して喜びに満ちる。