家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

山へ柴刈りに

2017-02-10 07:44:03 | Weblog
爺さんは山へ柴刈りに行くことは昔から。

薪については充分な量がある。

火口として使っている枯れた杉の葉も余っている。

炉の中に火がついてから薪に火を移すまでの肝心な部分を担うための柴刈りだ。

私はコナラの枯れ枝を使っている。

枯れるといっても芯まで枯れていると、まるで紙で作ってあるかのような状態になっている。

これに近い状態のコナラがたいへん役に立つ。

火付きはいいし、火持ちもいい。

そして火力も強いのだ。

これを求めてコナラの山を歩く。

昔は背負子というもので集めてきた。

私は現代版背負子で行う。

それはフレームが軽くて丈夫なアルミで出来ている。

まず試しに生きた木を荷台に乗せて背負ってみた。

重くて起き上がれない。

下で見ていた妻が「危ないからやめな。傾いているよ」と大声で警鐘を鳴らす。

たしかに荷台の木のしばり方が下手で偏ってしまっていた。

それならば、と今度はミカンのコンテナを括りつけてみた。

これなら偏りは少ないはずだ。

コンテナに入れるときに重さが偏らないように気を使って入れていく。

コンテナは3個あるので3個とも持っていった。

そんなに時間がかかることもなくそれぞれイッパイになった。

一番下のコンテナは背負子と固定してある。

上の二つは乗せたあとにゴムひもでしばる。

背負いやすいように切り株の上に背負子を乗せて低い場所から背負ってみる。

「あっ危ない」 転んだ。

幸い坂から転げ落ちたのは中に入れてあった内の一部のものだけ。

背負子を立て直し落ちた荷物を元に戻して再挑戦した。

「よし。今度は持てた」

歩き始めるがヨタヨタする。

自分の頭より上にコンテナがあり重心が高すぎるのだ。

いくら軽いものとはいえ数が多ければ重くなる。

後ろに重心がかかると後ろ向きに倒れる気がするので少し前かがみになって歩く。

坂を下りるのにスリルがあった。

舗装路を歩くわけではないのだ。

だがこれだけの量があれば10回分以上あるはず。

背負子に山ほどの枯れ枝を付けて歩く爺さんの姿のイメージがある。

昔の人は凄かったのだなと実感した。