家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

猫の本能と妻の手法

2018-12-14 08:22:18 | Weblog
眠りにつく直前に妻が「マロちゃん、おいでー。寝るよー」と叫んだ。

珍しくない言葉だがマロ君が逝ってしまった今それを聞きたくないと思った。

「いまそれを言う?」と聞くと、「うん」と明るく答えた。

妻は口に出して忘れていくが、私は押し殺して忘れていく。

こんなにも違うものか、180度違うではないか。

マロ君が、いつから食べなくなたのか記憶にない。

11月4日には脚が立たなくなった。

その後少し回復したが、やはり食べない。

食べられないというより「食べない」と決めていたようだ。

自分の最期を、この時期だと悟ったのか。

子供の頃飼っていた猫は死期が近づくと、決まって姿を消した。

きっと人目に触れぬ場所を選び飲まず食わずで最期の一瞬を迎えたのだろう。

マロ君も、その例に倣って行動していたのだろうと思う。

だが妻は、そんな猫の本能を知らないし助けたいと思っている。

水を小皿に入れて口元に持っていき「飲んで」とやる。

マロ君は「いらない」という意思表示のため顔を背ける。

だが妻はそちらに小皿を移動して「お願いだから飲んで」とやる。

何度も繰り返した挙句マロ君が折れて「ぺチャぺチャ」と飲む。

「あー。おりこうだったね」と褒められる。

キャットフードも、その手だ。

私は、もう食べたり飲んだりしても回復しないことを知っていた。

余りにも落ちてしまった筋肉は戻らない。

妻は最後まで諦めない。

私が起きている間に少し寝ては起き出しマロ君の横に添い寝する。

もしものことがあったら私も、このように妻から介護をしてもらえるのだろうな、とその姿を見て確信した。

最期の前夜私も布団を持ち出し二人と一匹で川の字になって寝た。

10分から15分おきに寝返りを打ちたいのか体を起こす。

骨川筋衛門になった体は痛いのかもしれないと思い体を持ち上げて向きを変えてやる。

すると気持ちよさそうに寝入る。

妻は私が世話をすることで安心し、また今までの寝不足がありグッスリと寝ていた。

妻だけでなく私も最期の介護ができてありがたかった。

隣で寝ているマロ君と妻。

私の宝物たち。

介護に値する人間でなくてはいけないと肝に銘じた。