家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

冥土の土産

2007-11-02 09:32:41 | Weblog
母と旅行に行った。

歩きに自信をなくしている母に車椅子も持っていくからという条件を出して承知させた。

母が冥土の土産に伊勢神宮を見たいと言うので鳥羽に宿泊し翌朝伊勢神宮に行くことにした。

内宮に着き車椅子を出して歩き始めた。

いつもは手押し車を押しているので、その代用として車椅子を押して歩いた。

五十鈴川にかかる宇治橋を渡っていると、母の姿を見て

「空で押しているならもったいないから、誰か乗せてもらえばいいのに。○○さんどう?」などという軽口が我々の後から聞こえてきた。

はじめは聞こえない振りをしていたが、一向に止む気配がないどころか、そこに入ってきた悪乗りおばさんもいて、我慢が出来なくなった私は歩きながら振り返ってみた。

メタボリック症候群のオヤジだった。

旗を持っているということは、あれでもガイドなのだろう。

便所用のサンダル履きだった。

私は特別恐い顔をしたわけではないが「止めろ」という意志が表れていたのだろう。

急に真面目になったメタボリックオヤジは「あれなら転ばない」だの言い始めた。

ついでに悪乗りおばさんも「大変だけどがんばるね」ぐらいのことを言う。

私は彼らの改心に満足して、それ以降は後を振り返ることはしなかった。

孝行少年になりきっている私は、それ以上続いていたら決して許さなかったと思う。

何も伊勢神宮まで来て大きな声を出したくもなかったから助かった。

五十鈴川で手を洗って母は昔訪れたときのことを思い出して嬉しそうだった。

樹齢1000年以上の巨木に感心したり池で泳ぐ鯉の鮮やかな姿を楽しんだ。



もう何人もの車椅子を押した経験がある私は、とうとう母の番になったかと思うと分かってはいたものの寂しさを感じた。

冥土の土産という言葉を出すと母は少し気が楽になるようだ。

「もうあと残り少ないから悪いけど連れて行ってね」という気持ちから、そう言うらしい。

「とんでもない。そんな簡単に冥土に送るか」と私の本音を隠して車椅子を押した。


砂利に車輪を取られて重かった。

だが舗装路に出ると、まるで空っぽのように軽くなった。

この実感は私自身の冥土の土産だと感じた。


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2 コメント

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Unknown (DOCです)
2007-11-02 13:29:12
素晴らしいお話ありがとうございます。親孝行は、すべて自分のためだったと、後でわかります。うらやましいかぎりです。世界に一人だけの母です。心置きなく
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DOC様 (無職無収)
2007-11-03 07:58:38
大切なものを大切に扱っているだけです。
扱い方は違いますけど。
欲張りなので大切なものが多いこと。
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